ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 2021春①

昨日は会社内で部内向けのプレゼンがあって、生きた心地がしなかった。

発声の仕方がおかしいのか、一人で一方的に5分ぐらい話していると、喉元がギュウウウッと締め上がってくる感覚がある。

今回は30分ほどのプレゼンだったので、マジでメンタルも身体も持たなかった。

退勤して水泳教室で泳いだら、身体の緊張がほぐれるかなぁと思っていたけど、残尿感みたいな感覚がずっと残る。

今朝の出発時刻に寝坊しないかどうかが心配なのもある。

帰宅して1泊分の荷物の準備をして、深く眠らないように、人をダメにするクッションに寄っかかるように眠る。

起きないと間に合わないリミット時間の30分前から、目覚ましのアラームをセットしておいたけど、結局、起きれたのはリミット時間だった。

最初のアラームを止めた記憶はまったくない。

人をダメにするソファの威力を思い知る。

シャワーを浴びて身支度を整えて、荷物と戸締りを確認して家を出る。

羽田行きのバス停には出発時間の5分前に着いた。

先客の男性が1名いるだけで、辺りはまだまだ薄暗く静まりかえっている。

待っている間にメガネケースと頭痛薬を忘れたことに気づいたけど、もう家に取りに帰る時間はない。

忘れ物のない旅なんてしたことなんて無いんじゃなかろうか。

バスの中で仮眠の続きを取ろうとするが社内の照明が明るくて眠れない。

昨日のプレゼンの緊張感がまだ喉元に残っているようで少し不快でもある。

もう少し上手く出来たらと思うけど、上手くできるような気がしないのだ。

人身を掌握する才能があれば!と嘆く気持ちが湧くものの、そんな才能があればこんな仕事はしていないんだろうとも思う。

昨日の水泳の疲れもあるだろうし、なにより寝不足のせいでもあるだろう。

しかしながら、こんな辛い思いをしてまで出かける必要があっただろうか、とつくづく思うのだが、ちょうどいい時間帯の飛行機が取れなかったのだから仕方がない。

f:id:bat_warmer:20210319071345j:image

外が段々と明るくなってくると街の様子も見えてくる。

扉に「テナント募集」の案内を貼り付けた店が多く目についた。

f:id:bat_warmer:20210319065414j:image

日の出の時刻を少し過ぎて羽田空港に到着する。

こんなに晴れた日に出発するのは久々な気がする。
f:id:bat_warmer:20210319065450j:image

平日だけどビジネス客は少なめで、春休みで移動する人が多く見える。

保安検査場の検査が厳しくなっていて、上着はジャケットだけでなくパーカーも脱いでくれと言われて、Tシャツ1枚にさせられて驚いた。

ちゃんと綺麗めのTシャツを着ておいて本当に良かった、と安心する。
f:id:bat_warmer:20210319065429j:image
欠航する便が多め。天候のせいだろうか。
f:id:bat_warmer:20210319065419j:image

しかしとにかく眠い。

きょうの旅程は何となくでしか決めてない。

f:id:bat_warmer:20210319065402j:image

はてさてどうしようか。

なにも決まってないけど、とりあえず出発する。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2021春①

#きょうの水泳教室

きょうの水泳教室から新しいコーチになった。

これまではジムのスタッフの方が担当されていたのだが、今月から中上級クラスは、外部の水泳専門のコーチを本業とする方が担当される。

その話を伝えられたのは2週間前。

てっきりレッスン料を値上げされるのだろうかと思ったのだが、上級クラスの人数が減少傾向にあるため、付加価値を高めて集客を狙っての施策らしい。

赤字になるのではないかと心配になるものの、客にしてみればラッキーな話。

しかも、いまのクラスは正メンバーがエリオと兄者と自分の3人で、かつ、エリオは感染対策のために休んでるし、兄者は仕事が忙しいようで欠席ばかり。

水泳を専門に教えるコーチに、ほぼマンツーマンに教えてもらえる絶好の機会。

個人レッスンを頼もうとすれば、1時間6000円〜1万円が相場なところを、1時間2000円で教わることができて超お得なのである。

新しいコーチはシニアクラスの現役競泳選手で、20代の若い男性で顔がシュッとしたイケメンだった。

国体にも出場経験のあるマジもんのスイマー。

身体の形もテレビで見る水泳選手そのものの美しさだ。

自分の在宅勤務で緩んだ身体と比べると情けなくなってくる。

多少は元の体重に戻しつつはあるが、一度ついた脂肪はなかなか落とせない。

齢のせいだろうか。

 

……。

 

なんだか愚痴と言い訳ばかり連ねることになりそうなので、ここら辺でやめておく。

きょうの練習内容は以下の通り。

 

・ボビングジャンプ 25m

・蹴伸び 25m

・ビート板キック 50m×2

・クロール 25m×6

・(バタフライ25m→背泳ぎ25m→平泳ぎ25m)×2

・クロール 2ビート練習

・バタフライ うねりの練習

・クロール 50m×3

・クロール(クールダウン) 25m

 

クロールの2ビートの練習は、いままで教わってもピンとこなかったもので、案の定、きょうも上手くできてなかった。

けれど新しいコーチに、2ビートの感覚をつかむために、両脚を揃えたドルフィンキックでクロールを泳ぐように言われてやって見ると、片脚ずつのキックよりグングンと進む。

慣れてくると、片脚ずつの2ビートキックのクロールに戻してやってみるが、いまいち両脚揃えたキックより進まない。

身体の重心が身体の中で方々に散らばってしまう感じ。

両脚でキックすると上半身が左右にぶれず安定しているのか、重心移動がスムーズにできているようで、前に進む感じが得られたのだろうか。

もしかしたらローリングが下手くそで、重心移動もできていないし、水の抵抗を生んでいるのかもしれない。

 

バタフライのドリルでは、最初はうねりができていないとコーチに指摘されたのだが、後で第一キックで潜った後の動作が問題なのだと直してもらえた。

潜った後に顔を上げるタイミングが早いらしく、前方への推進力を真上方向の力で打ち消してるのだという。

顔を上げるタイミングはプルをし始めた後!と意識してやってみると、いまだかつてない推進力が出て驚いた。

ただ、50mを意識して泳ぎ切ることはできなかったので、体幹とタイミングをつかむ練習を続けてみようと思う。

 

(練習終わりの身体の火照りを取るためにコーラZero)

f:id:bat_warmer:20200905105100j:image

 

#きょうの水泳教室

#ボタニカルホモ日誌 20200517 #豊華さんと紫枝さん 

薔薇は育てるのに手間がかかるのだ、と、子供のころから母に聞かされていたので、好きな花ではあれども、自分で育てる気にはなれないでいた。

具体的に何が手間かというと、虫がつきやすく、肥料も適切なタイミングで適切な量をあげないと、すぐに病気になって枯れてしまうらしい。

実際、うちの母も近所を散歩しながら、奇麗に咲いている薔薇があれば目をつけておき、その薔薇の育て主が剪定作業をしているころを見計らったころに伺っては、枝を分けてもらっていた。

しかし、もらった枝を挿し木にして育ててはみたところで、上手く育ってくれることは少なかったように思う。

母もマメに世話をする方ではなく、雑に育ててもなお成長してくれる薔薇を愛でる傾向にあり、薔薇からしてみれば暴君そのものに見えるだろうタイプ。

挿し木をした薔薇の枝もちゃんと育たないことが多いのも、いまにして思うと当然といえば当然なのである。

そんな母に育てられた、というか、勝手に育ったうちの庭の薔薇は、挿し木をされてから30年以上経っても元気でいる。

その立ち姿は粗野な育ちを現しているかのようで、実に野性的で野太く、大輪の花をいくつか付けてくれるが、その数はあまり多くはない。

そんな図体はデカいくせに大して花を咲かさない薔薇に対しても、母は今年は肥料が足りなかったみたいだの、肥料をあげたけど遅すぎたみたいねとか、雨が多いせいで病気になってしまったね、などと毎年のように言い訳をしながら、適当に世話をしていた。

そんな様子を近くで見てきたこともあり、根っからの面倒くさがり屋で、しかもケチな自分の性分には、あまり手を出してはいけない植物だと心に決めてきたのだ。

肥料代や農薬代もかさむし、何より薔薇の苗はそれ自体が高かかったりして、ミニバラなら数百円なのだけど、好みの薔薇苗を買おうとすると、数千円から万単位の値段がついている。

薔薇の世話に慣れていない自分が買ったところで、わざわざ大金を出して枯らすようなものなのである。

近所の家から枝を分けてもらえればタダではあるが、この東京で軒先で薔薇を育てている御宅は実に少なく、さらに散歩中に知り合いになれる機会はもっと限られるから難しい。

なにより多年草の植物が枯れるのは、何度経験したって慣れることはないんじゃないかと思う。

そんなふうに長年の間、禁じ手にしてきた薔薇の栽培に、一昨年の冬、とある品種に出会ったことから、ついに手を出してしまったのである。

それは、最寄りの花屋であるオザキフラワーパークの初売りに出向いたときのこと。

駐車場近くに設けられた養生中の苗売り場の隅の隅に、見覚えのある札をぶら下げて数個だけ置かれていた。

ゴールデンウィークを過ぎた頃にも見かけた苗で、その売り文句が気にはなったのだが、薔薇に手は出さないというルールを頑なに守って買いはしなかったのだった。

初夏のころには新苗らしく、若々しく細い茎に柔らかい葉を茂らせていた苗だったが、買われ時を逃して売り残ってしまって、すべての葉を落として一本の茎を直立させた状態である。

冬の寒空の下で、見た目は枯れ木そのもので、素人目には育ってくれる気はしない。

けれど、初夏のころに目にしてからずっと気になっていた売り文句を再び思い出して心が惹かれてくる。

しかも初売りのセールで2割引きだったことに後押しをされて、ついに長年守ってきた禁じ手を破って購入したのであった。

そこまで惹かれる売り文句とは何かというと、「食用の薔薇」だったということだ。

売られていたのは、一季咲きで八重の花で咲く「豊華(ほうか)」と、四季咲きで一重に咲く「紫枝(ずず)」の二種類。

エディブルフラワーの苗は、インスタグラムの流行と合わせて増えてきてはいたものの、薔薇の類で食用の品種をそらまでずっと見たことはなかった。

インターネットで検索すると、もともとは中国の玫瑰(メイクイ)という地域で栽培されている品種で、香りがとても強く、ダマスクローズ並みの強香を持つそうだ。

乾燥させた花は漢方茶として売られ、花を蒸留して採った精油は、香水の原材料として高値で取引されているらしい。

そもそも薔薇の品種はイギリスや東欧のものが多く、中国の品種って点だけでも珍しいのだが、食用にできる薔薇なんて食べたことも見たことがない。

どんな味がするのだろうかと好奇心は盛り上がるばかり。

売れ残った苗と新年早々に再会できたのもなにかの縁であろう、と自分で自分に言い聞かせて二種類とも購入することにしたのだった。

枯らしてしまう可能性も頭の片隅で警告はしていたのだが、新春の浮かれた気分と好奇心の方が勝ってしまったのである。

しかし、初心者の行き届かない世話にも関わらず、翌春も翌々春もたくさんの花を咲かせてくれた。

この食用の薔薇たちは原種の野ばらに近い品種で、肥料は少なめを好み、虫のつきにくい丈夫な葉と茎へと育ってくれる性格のおかげで、考えていた以上に世話が楽だった。

昨シーズンは株も大きくなり、自分一人だけでは手に余るほど咲いてくれので、乾燥させた花は元ご近所さんにもおすそ分けをするほどだった。

反省点としては、剪定と植え替えの時期が遅かったせいか、苗が若干いじけてしまって、シーズンの後半は黒点病の葉が目立ってしまったことである。

次の春には丈夫な新芽を伸ばしてもらおうと、年が明けたらすぐに枝の剪定と植え替えをしようと考えていた。

けれども、そんな自分の都合などお構いなしで、今年の冬は過去にないほどの暖冬で、薔薇の苗は葉を落とすことなく年末を迎えてしまった。

葉を落とし切ったのは年を越してすぐのころで、2月を迎える前に固い新芽もつけ始めてしまっている。

どうやら休眠期を経ずして、芽をつけてしまったようだ。

 

(1月ごろ剪定前の豊華の枝には、産毛のように細かくて固い棘があるので白茶けて見える)
f:id:bat_warmer:20200524103236j:image

(枝の先端には固い新芽がついている。新芽は日光の熱を集めるために赤い色をしている)

f:id:bat_warmer:20200524103754j:image

(こちらは紫枝(ずず)の枝。文字通り赤紫色の枝をしており、棘は少なくてツルっとしている。枝が細いのでピントが合わない)
f:id:bat_warmer:20200524103118j:image

新芽が膨らんできてしまう前に植え替えなければ!と慌てて、ホームセンターで土を買ってきて、植え替えの作業をしやすくするための枝の剪定をする。

バラは新芽の伸びた先に花をつける植物なので、昨年に伸ばした枝を半分ぐらいの長さに切り戻すのが定説とされている。

手練れの園芸家は枝の伸び方を見ながら大胆に切り戻すのだが、いまだペーペーの自分には、新芽がついている枝を切るにはなかなかの覚悟必要だった。

細い枝を残したところで丈夫な新芽が伸びて来ないのにも関わらず、芽が吹く様子もない枝を残して剪定する勇気もなく、結果的に甘めの剪定になってしまった。

昨年の失敗が思い出されて急に不安になってきたので、剪定した枝の切り口を見つめて反応をうかがってみるものの、薔薇の方は何も言ってはくれない。

休眠期だから仕方はあるまいと自分で自分を慰めてみるけれど、そもそも植物は聞いたところで何も言ってはくれないのである。

けれども、人間の方がリアクションがあってわかりやすいかというと、相手のリアクションで諮ったところで失敗すれば後戻りはできないのだから、モノを言わない植物とそう大差は無かったりもする。

春にどんな新芽を伸ばそうとも受け入れなければ。

思うことは、かの人に対することと同じなのである。

(剪定後の豊華。ビビってしまって枝先から1/3の長さで切り戻すので精一杯だった)
f:id:bat_warmer:20200524103532j:image

植え替え時には、株本の土を半分ほど落としながら古い根を切り、新しい土を入れた鉢に戻す。

根も1/3~1/2ぐらいは切り戻したほうが新しい根っこが伸びやすく、土中の酸素を吸収しやすくなるんだそうだ。

コガネムシの幼虫に根を食い荒らされている心配もあったが、姿は見当たらなかったので少しホッとしながら、株周りの土を落としながら根をほぐす。

細い根っこばかりが目立つのは、昨年の黒点病にかかってしまったせいだろうか。

今年は太い根を張ってくれるといいのだけれど、と祈りのような期待を込めつつ、新しい土を入れた鉢に戻す。

薔薇は満足してくれているだろうか。

同じ趣味の友達でもいれば相談できたりするのだろうが、確かめようのない相手の本音っていうのは、本人以外に相談したところで気休めにしかならない気もしてくる。

ほんと植物との付き合いは人間と似ている。

 

植え替えてからの数週間は、ちゃんと新芽を伸ばしてくれるかどうか気がかりで、時間があればベランダに出て、豊華と紫枝の枝の様子をうかがうことを繰り返していた。

ラジオやインターネットを眺めると、世間では新型コロナの流行の様子に神経をとがらせていたが、うちのベランダでは鉢植えたちが無事に春を迎えてくれるかどうかばかりが気がかりで仕方がない。

植物の成長のスピードはゆっくりなので、しょっちゅう観察したところで、パッと見た感じは先っき見た感じと同じだし、昨日見た時の様子との違いを見つけるのは難しいのではあるが。

けれども2月の暮れのある晩を境に、赤くて固かった新芽が柔らかそうな黄緑色の葉を膨らませていた。

(豊華の新芽。枝の先端から膨らむのは日光によく当たるかららしい)
f:id:bat_warmer:20200524103406j:image
(紫枝の新芽はこれからだけれど、ぷっくりとしてきている。)
f:id:bat_warmer:20200524103426j:image

新芽が萌え出し始めてからは本当にあっという間で、2週間後には若葉の間から新しい茎が伸び始めてきた。

日に日に大きくなる葉は厚く、緑も濃くなってきて丈夫そうに見える。

(豊華の若葉。葉脈が深く溝になっているのが特徴。新しい茎の元がほんのり紅いのは茎を伸ばすためのエネルギーを蓄えているからだろうか)
f:id:bat_warmer:20200524103422j:image
(紫枝の若葉。豊華の葉より葉脈の溝は浅く、艶はないが薔薇らしい葉の形をしている)
f:id:bat_warmer:20200524103328j:image

(さらに1週間後の豊華の若葉。もう若葉ではないかも。)
f:id:bat_warmer:20200524103317j:image

(紫枝の若葉の中央には花芽を出し始めている。)
f:id:bat_warmer:20200524103739j:image

3月の末ごろには、枝全体に若葉を茂らせるようになって、枯れ枝だけの殺風景な立ち姿から、まるで別人のような姿になっていた。

新芽が見当たらなかった枝にも、新たな芽をつけ始めているのも見える。

今年の植え替えはうまく行ったと、もう安心しても良さそうだ。

この頃ぐらいには会社から在宅勤務の指示が出て、ずっと家にいるようになったこともあり、仕事の憂さが溜まるとベランダに出ては、鉢植えたちの様子を眺めるようになった。

過保護に鉢植えの世話をしているようで、世話をされているのは自分の方だったと思う。

(3月28日の豊華、広げる葉も多段構成になってくる)
f:id:bat_warmer:20200524103716j:image

(3月28日の紫枝。葉をのびのびと伸ばしている姿がとても優雅だ)
f:id:bat_warmer:20200524103359j:image

(4月4日の豊華。若葉の中央から花芽を伸ばしはじめた。)
f:id:bat_warmer:20200524103712j:image
(4月4日の紫枝。若葉の間に蕾が見える。)
f:id:bat_warmer:20200524102953j:image

ひとつの花芽が伸びはじめるのを見てからは、さらに怒涛のスピードで他の枝も成長しはじめて、数日後には立派な蕾をいくつもつけていた。

そして、蕾の萼片の隙間からは深紅の花びらの色が見えるように。

(4月11日の豊華の蕾。まだ固そうではあるけれど、萼片の隙間から除く花びらの色が鮮やかで美しい)
f:id:bat_warmer:20200524103731j:image

(4月11日の紫枝の蕾。ひとつしかなかった蕾が4つに増えた)
f:id:bat_warmer:20200524103323j:image

この間までの暖冬だった冬とは違って、この春先は急に冷え込んだり、冷たい雨が降ることもあったが、豊華も紫枝も特に問題なく過ごしてくれた。

剪定した後に感じていた不安は杞憂だったけれど、その分、薔薇の成長する様子に元気づけられる思いがしてくる。

(4月20日、雨露に濡れた豊華。蕾が膨らむために茎をのばし始めている。)
f:id:bat_warmer:20200524103516j:image
(4月20日、雨露に濡れた紫枝。玉のように雨露が葉の上に転がる様子が美しい。)
f:id:bat_warmer:20200524103630j:image

新芽の成長するスピードに比べて、蕾をつけてから花を咲かせるまでは時間がかかったように思う。

やはり花を咲かせるには、相当なパワーが必要なのだろうか。

花びらが開き始めるまで、さらに1週間の時間を要しはしたが、蕾はしぼむことなく膨らみ続けてくれた。

(4月26日の紫枝。蕾から花びらがほころび始めるのを発見する)
f:id:bat_warmer:20200524103131j:image

(4月26日の豊華。花びらの塊の先端が開きかけている。)
f:id:bat_warmer:20200524103836j:image

もうちょっと時間がかかるのかなぁ、と悠長に構えていたら、二日後の朝に起きて窓の外を見ると「蕾」が「花」に変化していた。

開ききったわけではないけれど、花の香りが一番強いのは開きかけの状態なので、早々に花を摘んでしまうことにする。

ダイソーで買った干物用ネットに、摘んだ花を並べ、日陰に吊るして乾燥させる。

今年はどれだけ咲いてくれるだろうか。

春になる前の不安はどこかに吹き飛び、これから咲く花の収穫量を期待すると心が躍ってくる。

相談したいことは他人と共有したくはなるのに、良いことは独り占めにしたくなるのは、本当に嫌な性格をしていると我ながら思う。

いや、いっつも独りでいるからこそ、幸せは自分だけのものにしたいと思うのかもしれない。

どちらにしろ、寂しい奴には変わりがないんだけれども。

(4月28日の豊華。花が完全に開いてしまうと香りを放散してしまうらしい)
f:id:bat_warmer:20200524103645j:image
(収穫した豊華(奥の2輪)と紫枝(手前の一輪)。)
f:id:bat_warmer:20200524103802j:image

前日には開く気配さえなかった蕾が、翌日になると花が完全に開いてしまっていた。

この日から連日の開花と収穫ラッシュが始まる。

(4月29日、満開になった豊華。周囲は薔薇のにおいが漂う)
f:id:bat_warmer:20200524103813j:image

本当は開きかけの絶好のタイミングで収穫したいのだが、お構いなしに蕾ごとに各々のタイミングで咲いてくれる。

起床直後にベランダの様子を見て、水やりと同時に昨日との変化を探し、在宅勤務の合間合間に開花の状態をうかがっていた。

朝は蕾だったとしても、昼過ぎには満開に開いてしまっていたりもする。

あまり太陽や気温の高さを気にしている様子はなく、ランダムに咲いているように見えるが、どういうメカニズムがあるのだろうか。

(このぐらいに花が開いたタイミングが望ましい)
f:id:bat_warmer:20200524103825j:image
(満開になってしまった紫枝の花。一重で大きい花びらが特徴)
f:id:bat_warmer:20200524103150j:image

(二つ同時に咲いた豊華の花。順番に咲けばよかったのに、かなり窮屈そう)
f:id:bat_warmer:20200524103011j:image

(満開になった紫枝の花によって来た虫。アブラムシのような外注の類は、花の匂いが苦手で寄ってこない)
f:id:bat_warmer:20200524103555j:image
そのうち、片手では持ちきれないほどに咲く日も出てきて、そのうち、両手でも持ちきれなくなるほど花が咲くようになった。

新型コロナの流行から在宅勤務をすることになって良かったことは、毎日家にいるおかげで、良いタイミングで花を摘むことができたことだろう。

以前は帰宅後や起床後に、満開になって散りかけている花を収穫することも多かった。

家での仕事はストレスでしかなかったけれど、物言わぬ隣人のおかげで、いい息抜きができているようにも思う。

f:id:bat_warmer:20200524103300j:image
f:id:bat_warmer:20200524103545j:image

ご覧のように、花の見た目は、食用として育てられてきた品種なので、お世辞にもよろしくはない。

観賞用の薔薇の花びらにはワックス成分が豊富で艶とハリがあるのだけれど、食用のこの薔薇の花びらは薄くて艶もないし、形も整ってはいないように見える。

しかし花びらにワックス成分がほぼ無いおかげで、食べても苦みが無く、口に残る感じもないのである。

実際に生のまま食べてみると、噛みしめるたびに薔薇の香りが鼻腔を突き抜けて清々しい。

この香りの成分に漢方の効果があるらしく、中国では主に胃腸薬として二日酔いのときなどに用されるそうだ。

花の姿を愛でる以外にも楽しみ方があるのは、なかなか付き合いがいのある薔薇の方だと思う。

(ぼってりと咲く満開の紫枝の花。東洋らしい姿といえば東洋らしい姿かもしれない)
f:id:bat_warmer:20200524103223j:image
(収穫が遅れた豊華の花。咲いてから時間が経ってしまって、色が抜けかけている)
f:id:bat_warmer:20200524103339j:image

(咲いたばかりの花びらは、まんべんなく色が濃い。)
f:id:bat_warmer:20200524103634j:image

干物用のネットを3ついっぱいにしたところで、蕾の数が少なくなってきた。

第一陣の開花期間がもうすぐ終わりになるようだった。

4月28日から咲き始めたわけだから、およそ2週間弱の開花期間だったのだろうか。

咲いてくれるまでは本当に心配だったけれど、豊華も紫枝も上機嫌で過ごしてくれたようで、心の底からホッとしてくる。

(5月11日、開きかけの花を摘んでしまうと、ほぼ蕾がなくなった状態の紫枝)
f:id:bat_warmer:20200524103205j:image

(5月13日、最後の花を収穫した後の紫枝。奥にある豊華はまだいくつか蕾を残している)
f:id:bat_warmer:20200524103134j:image

蕾がなくなった株の姿を見ていると、少し寂しい気もしてくるけれど、その一方で次々と花を咲かせてくる間の忙しなさがなくなって、自分の気持ちも落ち着きを取り戻せたように思う。

けれども、これで終わりってわけではなく、収穫後の花芽の元を見てみれば、ちゃんと次の花芽を萌ゆらせて準備を始めている。

豊華も紫枝も、真夏の暑さを迎えるまでは、今年も何回か咲いてくれるようだ。

(5月13日、紫枝の新しい花芽。花をつけたひとつ下の葉の付け根から芽を出している)
f:id:bat_warmer:20200524103757j:image

(これも紫枝の新しい花芽。今年の春から伸びた緑の枝から分枝して、新しい花芽が伸びる)
f:id:bat_warmer:20200524102958j:image

(5月13日、豊華の新しい花芽。新しい枝の棘は柔らかそうな色をしてはいるが、刺さるとまぁまぁ痛い)
f:id:bat_warmer:20200524103138j:image

(5月15日、豊華の新しい花芽。陽に当たろうとして真上に伸びる)
f:id:bat_warmer:20200524103846j:image

(5月15日、紫枝の新しい花芽。薄くてしなやかな若葉が陽の光を透かす様子がとても美しい)
f:id:bat_warmer:20200524103209j:image

(5月17日、夕日を透かす豊華の新芽)
f:id:bat_warmer:20200524103805j:image

(5月17日、日暮れ時の紫枝の新芽。数日前まで小さかった芽もシュッとしてきた)
f:id:bat_warmer:20200524103509j:image

(最後に収穫した豊華の花と、初期に収穫して乾燥させていた豊華の花。だいぶ小さくなる)

f:id:bat_warmer:20200524103257j:image

次の開花ラッシュを迎える前に、収穫した花たちを完全に乾燥させなければ。

うかうかしていると、すぐに梅雨になって湿気てしまう。

しかし予想以上に収穫することができた。

まさか干物用ネットが3つ分もいっぱいになるほど咲いてくれるとは。

新型コロナの騒ぎがなければ、元ご近所さんにおすそ分けをする予定だったのだけれどどうしたものか。

買えば高い代物だというのに、今年は一人で持て余すのはもったいない。

仲のいい現ご近所さんがいないことが問題でもあるのだが、いまさら知り合うには遅いし。

そうなることは覚悟したうえでこの街に来たのだから仕方がない。

ふと、来年もこの街で咲いてみますか?って、豊華と紫枝に念を送って尋ねてはみたのだけれど、案の定、答えが返ってくることはなかった。

次の開花の準備で忙しいところなんだ、尋ねた自分が悪いのだから仕方がない。

そもそも話し合うべき相手は別にいるのだ。

 

#ボタニカルホモ日誌 20200517

#豊華さんと紫枝さん

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目夜)

車窓からの景色が暗くなってくると、窓ガラスに自分の姿が反射して見えた。

もし自分が民族学博物館に陳列されることがあったら、どんなキャプションがつけられるのだろうかと、不意に想像してみたけれども、はっきりとした文面が思いつくことはなかった。

自分の属性はいくらでも思いつくのではあるが、いずれも不十分でそして過剰なように思えてくる。
f:id:bat_warmer:20200308132810j:image

自分はまだまだ世界に拓いてないことの証なのだろう。

昨日の博物館の館長の講演を聞いてから、「世界に拓くこと」について考えてばかりいる。
f:id:bat_warmer:20200308133127j:image

伊丹空港の駅について、出発ロビーに向かう。

出張や旅行の帰りの人、これから向かう人、空港に出勤する人、退勤する人などなど、結構な人の数が歩いている。
f:id:bat_warmer:20200308132758j:image

一方向に歩く人の列から外れて、橋下の方へ目をそらしてみる。
f:id:bat_warmer:20200308132753j:image

右がモノレールの駅で、左が伊丹空港のターミナル。中央はタクシーとバスのロータリー。
空港の近くの大抵の道路ってアスファルトが新しいから、雨に濡れて更に艶やかになっていた。


f:id:bat_warmer:20200308132855j:image

JALの発着する北ターミナルは改装中で少し薄暗かった。
f:id:bat_warmer:20200308133109j:image

出発の2時間前に着いたので、お土産を見に行ってみると結構な人混みで賑わっていた。
f:id:bat_warmer:20200308133049j:image

しかし博物館で買い込んだ図録が重いので、早々に荷物検査を受けてゲートに向かう。
f:id:bat_warmer:20200308133003j:image

改装後はどんな感じになるんでしょうかね。
f:id:bat_warmer:20200308133024j:image

監視カメラの数がすごい。
f:id:bat_warmer:20200308132730j:image

帰りの飛行機はもう到着していた。
f:id:bat_warmer:20200308132927j:image
改造が終わったゲート前のロビー。シックですね。
f:id:bat_warmer:20200308132839j:image
東京五輪デザインの機体だった。こういうの初めてかもしれない。
f:id:bat_warmer:20200308133116j:image
1時間半近く待って、ようやく搭乗。とにかく図録が重い。
f:id:bat_warmer:20200308133119j:image
CAさんはマスク着用。
f:id:bat_warmer:20200308133713j:image
出発~。
f:id:bat_warmer:20200308133701j:image
f:id:bat_warmer:20200308133654j:image

暗転~。
f:id:bat_warmer:20200308133547j:image

大気が不安定で機体が揺れるのを見越した関係で、機内サービスは冷たいお茶かリンゴジュースのみだった。

東京五輪デザインの紙コップ。

本当に結構揺れたので、小説を読み進めるのにも難儀した。

f:id:bat_warmer:20200308132934j:image

いや、小説が読み進められないのは、本当は機体が揺れていたせいではなくて、主人公の決断が自分の考えを大いに揺さぶってきたからだった。

自分の判断を正しいと思わない限りは、揚々と生きていくことなどできないというのに、小説の中の主人公は、まるで夢から醒めていくように、正しいと思ってきた現実の暮らしを改めて出直しを賭けようとしていた。

これ以外は無いと思っていた自分の日常生活が無かったことにされていく様子は、自分の将来にも読めてきて辛いのだが、さらに辛いのは新しい日常が希望に満ち溢れているように描かれていることだった。

別に「置かれた場所で咲きなさい」ということを信条にしてきたわけではないのだが、ただ我慢しているだけで状況はよくなることはないのだということを、面前に突き付けられているようだ。

自分は我慢しているだけなのか、そう思うと途端にむなしい気持ちになってくる。

自分が咲ける場所は自分でつくっていかないと。

そんな場所づくりって、どうすればできるのか。

小説を読み終える前だけど、それはなんとなくもうわかっていた。

「世界へ拓いていくこと」だ。

ただ、どう拓くことが正しいのかはよくわからない。

とりあえず、鬱蒼とした熱帯雨林の中を探索するように、勉強しながら探索していくしかあるまい。

そんなことを考えていたら、あっという間に羽田空港に着いてしまった。

ワラワラと機内から出ていく他の乗客が空くのを待って、自分も重くなった荷物を抱えてタラップに出ていく。

(背もたれのカバーも五輪デザインだったとは(気づかなかった))
f:id:bat_warmer:20200308132750j:image
(羽田空港も雨が降っていた)
f:id:bat_warmer:20200308132835j:image

あとは、家まで帰って寝るだけ。
f:id:bat_warmer:20200308133041j:image

名残惜しさが少しもなかったのはどうしてだろうか。

もちろん荷物が重くて一刻も早く家に着いてほしい、と思ってはいたけれど、時間さえできれば いつだってどこだって行けるんだよな、と思ったところが大きい。

これも拓いていくことのひとつかもしれない。

特別感など有って無いようなものなのだ。

 

(あーでも昨日食べたタコ焼きは美味しかったな...。また食べたい。)

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目夜)

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午後)

あいにくの雨降りだったせいか、万博記念公園に訪れている客の数も昨日よりは少なく見えた。

太陽の塔の裏にある広場でガレージマーケット?的なイベントがやっているので、そういう雰囲気のお客さんが目立つ。

(太陽の塔と俺)

f:id:bat_warmer:20200308135850j:image

(ガレージセールの入口に向かう人は疎ら)

f:id:bat_warmer:20200308133106j:image

ガレージセールのイベント、ポスターを見たところは有料のイベントらしい。

公園の入場料を払って、更にイベントの料金を払う人がいるのだろうか。

こりゃあ天気が良くても客は疎らなのでは、と横目に見ながら、国立民族学博物館に速足で向かう。

目論見通り13時過ぎには着いたものの、閉館時間までは4時間しかない。

昨日見られなかった展示を中心に見るとしても、ギリギリの時間に思われた。

(昨夏の台風で翼が折れてしまったというトウテムポール)

f:id:bat_warmer:20200308132819j:image

(国立民族学博物館の外観は、国立西洋美術館に似ている。色は違うけどね。)
f:id:bat_warmer:20200308132942j:image

博物館の中に入ると来客数はまばらで、先ほど足早に通り過ぎてきたイベントよりも少なく見えた。

職員の方が多いのではないかと思えてくるほど。

個人的には落ち着いて展示を観られるので良いのだけれど、もったいないことだよなぁと残念な感じもしてくる。

高校生までは無料だというのに。

大阪の人は見飽きるほど見てしまったのだろうか。

(雨に濡れる中庭。備前焼の中に雨水は溜まるのではないかと気になる。)
f:id:bat_warmer:20200308132901j:image

2階のチケットカウンターで、公園の入口で買った入場券を係の方に見せる。

昨日ももらったフロアマップを受け取る際に、カウンター上に置かれた料金表がふと目に入ってくる。

そこには、『前回来館時から3ヵ月以内に再訪し、入場券の半券を提示すると割引が受けられる』という旨が書いてあった。

すぐさま係の人に割引きを受けられるか聞いてみると、できますよ!と快く受けてもらえた。

言ってみるもんだなぁ、と割引分の90円を小銭で受け取る。

大人一人の入場券が580円だから1割強の割引きになるのかどうか。

たかが90円ではあるが、博物館的には結構な割引率だと思う。

リピート割りとかあまり聞いたことが無いのだが、他でもやっていることなのだろうか。

(割引き後に昨日の半券と交換した整理券)
f:id:bat_warmer:20200308132947j:image

最初の展示エリアはオセアニア地方の展示。

昨日も観たのだからと素通りしたかったのだが、やっぱり見入ってしまう。

ディズニー映画の『モアナと伝説の海』を観てから、オセアニアの暮らしには魅せられてばかりいる。

(木材を組んで作られた海図。)
f:id:bat_warmer:20200308132740j:image

↑の海図など、自分が見たところでわかることは無いのだが、どんな人がこの海図を作って、どんな人がこの地図をもって島と島の間を渡ってきたのだろうか。

想像するだけでも実に楽しい。

自分は海なし県で育ったせいか、航海技術は魔法のように見えてくる。

結局、昨日と同じくらいの時間をかけてもう一回見て回っていたら、案の定、時間がなくなってきた。

(世界各国で翻訳された『はらぺこあおむし』の絵本、手前の台の上に置くと翻訳された外国語で朗読が始まる。)
f:id:bat_warmer:20200308132952j:image

 

なんかこの調子で書いていくと長くなりそうなので、ここからは備忘を兼ねて写真とメモをつらつらと書いていく。

 

過去の特別展の図録が閲覧できるコーナーにあった興味深い図録。

キムチの歴史や作り方が載っている。朝鮮半島北部のキムチは唐辛子を多用せず、南に行くほど多用して赤いキムチが作られていたそうだ。

唐辛子は保存効果を目的に使うもので、北部は気温が低いから多用せず白いキムチが作られていたらしい。

お土産コーナーにあったら買おうと思う。
f:id:bat_warmer:20200308133037j:image

過去の特別展のポスターと図録だけが陳列するスペース。

手抜きのようだが見ごたえはたっぷり。時間があっという間に過ぎる。
f:id:bat_warmer:20200308133058j:image

東南アジアの人形を用いた演劇や舞踊の動画と実際の人形。

夜に演劇や舞踊をするところがアジアっぽい。日本の薪能にも通じていそう。

人形のスタイルがいい。
f:id:bat_warmer:20200308133044j:image

韓国で子供が1歳になったときにお祝いでやる占いの道具、というかおもちゃ。

子供がどのおもちゃを手に取るかで子供の将来の職業を占うとのこと。

生まれた時から潜在的に希望の職業があると思われているのだろうか。
f:id:bat_warmer:20200308132920j:image

モンゴルのゲルの内部。中央に竈?囲炉裏?があるせいか、天井が高い。
f:id:bat_warmer:20200308132734j:image

カザフスタンの天幕の内部。

中央に竈があって煙突が天井を突き抜けている。机と椅子のある生活。

こういう間仕切りが内と外しかない家で育った子は、どういう過程で大人になっていくのだろうか。

少なくとも同性愛なんて夢にも思わないんじゃないかとも思ったりもしたけど、思ったところで気づかぬうちに矯正されていくのかもしれない。

良いことか悪いことかは別にして、自我とは本当に厄介だと思う。
f:id:bat_warmer:20200308132737j:image

タシュケントの台所。竈がかわいい。

かわいい竈でパンを作るとか、もっとかわいい。
f:id:bat_warmer:20200308133031j:image

東北地方の男根信仰。

昔、田舎の大叔母に、戦地に出征した男性の無事?健闘?を祈願して金精様を祀った祠を見せてもらったことがある。田んぼのそばにあった。
f:id:bat_warmer:20200308133019j:image

田舎では巫女の文化はあまり見聞きしたことがないんだけど、廃れただけなのだろうか。

そういや近くに神社ってなかったような気もする。謎だ。
f:id:bat_warmer:20200308132743j:image

展示を見ていたら閉館時間まで残り30分を切ったので、展示を見て歩くのはあきらめた。

お土産コーナーにある本と図録のコーナーを見なくてはならない。

昨日は荷物になるし明日買えばいいや、と思って、買わなかったものがあるのだ。

速足で展示エリアの出口を目指す。

 

しかし展示エリアを出たところには、民族学博物館に所属する研究者のプロフィールと研究中のレポートがあった。

急いではいるのに、ひとつひとつが気になって読んでしまった。

昨日の館長の講演では毎年1万点のコレクションが追加されていると言っていたが、いままさに世界中で収集活動が行われているという様子が、簡易なレポートながらも十分に伝わってくる。

他人の仕事を見るのは本当にたのしい。
f:id:bat_warmer:20200308133033j:image

博物館の1階にあるお土産コーナーに着いたころには、退館を促す音楽が流れ始めていた。

昨日、目星をつけていた本を手に取ってレジへと急ぐ。

買ったのは食文化をテーマにした雑誌と、
f:id:bat_warmer:20200308132904j:image

過去の特別展の図録だ。韓国食文化の図録もあって無事に購入することができた。
f:id:bat_warmer:20200308132845j:image

館内放送に追い立てられるように博物館を出て、公園の出口に向かう。

ガレージイベントも片づけをしていて、搬出作業をする人が大きな荷物を台車に乗せて歩いている。

雨に濡れた公園の地面からは土のにおいが立ち上ってきて、梅まつりの花のにおいは感じられなくなっていた。

雨脚は弱くなっていて、肌に当たる雨粒の温度も冷たくはない。

春は確実に近づいているようだ。

公園の出入り口には退園を急ぐ客が集まって、太陽の塔と最後の記念写真を撮っていた。

太陽の塔の方を振り返ると、薄暗い曇り空をバックに目から光を放っていた。

自分の行く道の先を照らしてくれるには、実にモノ足りない光量だった。

威厳があるようで、押しつけがましさはまったく感じられない不思議な塔だと本当に思う。
f:id:bat_warmer:20200308132849j:image

モノレールの駅から、そのまま伊丹空港に向かう。

近くのスタジアムでサッカーの試合が終わった後らしく、ホームは観客の人で混みあっていた。

先っきまでガラガラの博物館にいたせいか、人混みの圧迫感に息が詰まる思いがしたけれど、それは単に買った図録と本の重さで腕がシンドくなっていただけだった。
f:id:bat_warmer:20200308133103j:image

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午後)

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午前)

いかりや長介にホモだということを、アウティングされる夢を見て起きる。

詳細は起きた時までは憶えていたのだが、なんでお前が俺の性体験を知っているんだ!馬鹿野郎!と笑いながら怒鳴り散らすのだが、周りの知らない人たちはいかりや長介の話ばかりを聴いて、笑っていたことだけは記憶にある。

笑っている人たちは、俺の話かどうかなんてのは関係なくて、他人の性体験は笑うためにあるのだろうか。

しかし、もしかしたら寝言でも怒鳴り散らしていたのかもしれない。

そうだったとしたら、本当に迷惑な客だったと思うが、そんな窮屈な夢を見たのは、カプセルホテルに泊まったせいの気もする。

朝風呂に入って首筋にたまった冷たい寝汗を流し、身支度を整えてカプセルホテルを後にする。

f:id:bat_warmer:20200225200358j:image

外に出ると弱い雨が降っていた。

夜の間は結構な雨が降っていたのか、大通りの路面は雨水で湿って、曇天の空を映して輝いていた。

今日の当初の予定としては、カレー屋さん巡りをしようと考えていた。

けれども、昨日、民俗学博物館の展示を周りからなかったので、今日も観に行くことにしたのだった。

ただ、どうしても食べてみたいカレーがあったので、昼飯にそのカレー屋さんに行って、博物館は午後から行くことにした。

そのカレー屋さんは午前11時半が開店時間なので、それまでの時間は、できればモーニングのある喫茶店で過ごせればとスマホで検索してみる。

しかし、魅力的なお店は総じて日曜は休みで、散歩しながら探すにも雨も降っている。

いろいろと面倒になってしまって、結局、梅田駅のマクドナルドで朝マックをすることにした。

いや、大阪だと「朝マクド」と言うのだろうか。

どっちなのだろう。

大きな駅のマクドナルドなだけあって、待ち合わせに使う人や出かける前の時間調整に立ち寄っている人、勉強をしに来ている学生や時間をつぶしに来たお年寄りなど、幅広い客層で混み合っていた。

(これだけレジの並ぶマックは東京でも珍しい気がする)

f:id:bat_warmer:20200225200412j:image
(前の席に座る若者のグループのひとりがしきりに咳き込んでいるのが気になった)
f:id:bat_warmer:20200225200943j:image
コーヒーを飲みながら、持って来ていた小説の続きを読むが、主人公の境遇が自分と似ていて気楽に読み進めることができない。

ソーセージマフィンの強い塩分と香料で痺れた舌から、まだ味が滲み出てくるので気持ちが悪くなった。

f:id:bat_warmer:20200225200353j:image

カレー屋さんの開店時間までは多少の余裕はあるので、近くの紀伊国屋書店に立ち寄ってみた。

特に大阪らしい棚は見当たらなかったけれども、1フロアにかなり広い面積があって、棚も見やすいので良いお店だと思った。

レジ脇のメインの棚には、新装刊の文庫版じゃりン子チエちゃんがプッシュされていたので、少し嬉しくなる。

(チエちゃんの父テツは俺のタイプだったりする)
f:id:bat_warmer:20200225200420j:image

ぐるりと棚を見て回って、入口とは反対の出口から店を出る。

大阪の駅はガード下のスペースを無駄なく使うことを美徳としているのか、また別の内装の真新しい雑貨を中心にした専門店街があった。

通路を道なりに進むと、タクシー乗り場と高速バス乗り場に出て、ガード下にターミナルがあることにまた驚く。

f:id:bat_warmer:20200225200348j:image

ターミナルを渡ると、今度は飲食店中心の専門店街があって、その通路の突き当たりには地蔵尊が在ったときには、一筋縄ではいかない設計コンセプトに頭が混乱してきた。

意匠はいま風で新しいのだが、細かくて雑多な動線と配置にアジアを感じる。
f:id:bat_warmer:20200225200448j:image
f:id:bat_warmer:20200225200502j:image

外に出ると阪急とJRの駅の間を渡る巨大なデッキを、たくさんの人が移動していた。

ここまで大きなデッキ?コンコース?は東京でも珍しい。

最近は渋谷の再開発の辺りで見られるようになったけれど、まだ完成はしていないので物珍しさにキョロキョロしながら渡る。

目線を高く遠くを見ると新しくて綺麗なファサードの建築デザインが目に入ってくるが、目線をデッキの下に逸らすと覆い隠しきれなかった旧来の設備が見える。

経年劣化と一昔前の無骨なデザインは、修繕されることもないし、新しいものとの調和も図られることなくそこにあった。
f:id:bat_warmer:20200225200431j:image

(JRの駅のホームにかかるピカピカの鉄骨の大屋根と、手前にある錆びの目立つ柵の対比)
f:id:bat_warmer:20200225200436j:image

JRの方の駅前ロータリーに出ると、目に入る建物の全てが真新しく見えた。

以前はここに何があったのかさえ、想像するのは難しい。
f:id:bat_warmer:20200225200509j:image

駅周辺部から5分ほど歩いたところに目的地のカレー屋さんはあった。

f:id:bat_warmer:20200225200545j:image
f:id:bat_warmer:20200225200533j:image
f:id:bat_warmer:20200225200903j:image

予定通り、オープン時間の少し前に着いたのだが、階段を上ると先客が数人並んでいる。

いずれもちょくちょく来ている様子のお客さんで、初見の客は自分だけのようだ。

f:id:bat_warmer:20200225200426j:image

5分ほど待ってオープン時間を迎えると、カウンター席に案内されて目的のメニューを注文した。

(厨房の調理台に置き切れなかったらしい、パクチーの入ったタッパーが目の前に)
f:id:bat_warmer:20200225200455j:image

(カレーのために開発されたクラフトビール。ウコン入りらしい。)
f:id:bat_warmer:20200225200443j:image

(オープンしてからすぐに満席になって、店前にも列ができていた)
f:id:bat_warmer:20200225200526j:image

15分ほど待ってカレーが届いた。

プレミアムとんかつカリー。

厚切りの豚肉に薄く衣をつけたとんかつに、スパイスカリーと黒カリーと合わせたもの。

ほうれん草のカレーソースは別盛りで付いてくる。

f:id:bat_warmer:20200225201729j:image

レモンは黒カリーにかけて食べる。

大阪のスパイスカレーはシャバシャバ系で濃厚さは無いが、その分、スパイスの香りを楽しむ感じの仕上がりなのだろうか。

f:id:bat_warmer:20200225201906j:image

普段は中濃ソースでとんかつを食べるので、スパイスカレーのあっさりさに、正直物足りなさは否めないが、十分なボリュームに満足する。

(食べ終わると頭から汗がしたたってきた)

f:id:bat_warmer:20200225201748j:image

店を出たら来た道を戻り、御堂筋線梅田駅に向かう。

f:id:bat_warmer:20200225201738j:image
f:id:bat_warmer:20200225201723j:image

ホームの巨大なスクリーンが、ホームの照明デザインを殺していた。
f:id:bat_warmer:20200225201815j:image

伊原六花ちゃんが、地元関西なだけあって色々と起用されているらしい。
f:id:bat_warmer:20200225201743j:image

御堂筋線に乗って千里中央駅に着く。

昨日もやっていた青森県の販促イベントは、雨のせいもあって更に寂しい感じになっていた。f:id:bat_warmer:20200225201758j:image

モノレールに乗って万博記念公園駅で降りる。

もう昼過ぎだというのに、空は今朝と同じような色をしている。

雨雲の下にある太陽の塔は、湿った地面から生えたキノコのように見えた。
f:id:bat_warmer:20200225201809j:image
ショッピングモールのエキスポシティは今日も人がたくさん。

ガンバ大阪の試合も近くであるのか、スポーティな格好をした人が多い。
f:id:bat_warmer:20200225201733j:image

公園の入り口で民族学博物館のチケットを買って入場すると、背景の曇り空に埋もれるように太陽の塔が正面に見えた。

本物の太陽は雨雲に隠されているからだろうか、塔に掘られた顔は不服そうで、いつもの威厳さとは別物に見えてくる。

f:id:bat_warmer:20200225202003j:image

まるで、いまは見てくれるな、と言っているかのような顔をしている。

けれども、それに構わず自分はスマホでその様子を写真を撮って、記念の自撮りをした。

こうして、さも誰かに決められたタスクであるかのように振る舞う図々しさというのは、あまり知り合いには見られたくないところだ。

いまとなって思い返せば、彼の人もそういうところを目にする度に距離を取っていたのだと思う。

旅に出ると物理的にも心理的にも、普段の自分から離れられて、そこからわかることが良くも悪くもたくさんある。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午前)

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目夜)

千里中央駅のローソンでモバイルバッテリーをレンタルした後は、鶴橋にキムチを買いに向かうことにした。

本当は明日行こうと考えてはいたのだが、民族学博物館の展示を明日も見ることにしたので、予定を前倒しにして詰めることにした。

ひとり旅だと簡単に予定を変えることができて都合がいい、というのは強がりで、誰の断りも要らないことに少し孤独を感じないことはない。

地下鉄の駅に向かうと、昼に見かけたたこ焼き屋さんが夜の時間もお客さんで混み合っていた。

テイクアウトで持ち帰るお客さんも多いのを見ると、地元でも人気のお店なのだろうか。

夜は目当てのカレーを食べに行くつもりだったのだけれど、少し小腹も空いたので食べてみることにした。

暖簾をくぐると表現の難しい色の髪を束ねたお姉さんが、カウンターにどうぞ!と愛想よく案内してくれた。

メニューを見て、一人前のたこ焼きを頼む。

たこ焼きの鉄板は3枚あって、常にたこ焼きが焼かれていて。

お世辞にも品のいいとは言えない話題で、店員さんたちがケラケラと笑いながら焼いている。

お客さんは入れ替わり立ち替わりやって来て、それぞれの好みの数を告げてたこ焼きを頼む。

一人前が10個なのだが、15個を頼む人が多かった。

f:id:bat_warmer:20200224124316j:image

15分ほど待ってたこ焼きが配された。f:id:bat_warmer:20200224124837j:image

卓上のソースと青海苔、魚粉をかけて、竹串で突きながら食べる。

f:id:bat_warmer:20200224125024j:image

生地はしっとりとして出汁の味もあり、柔らかい食感なのに生っぽさを一切感じることはなく、実に美味い。

思い返してみると、大阪でたこ焼きを食べるのは初めてのことだった。

これまで食べてきたたこ焼きって、本当にたこ焼きだったのだろうか、と疑ってしまうほど、初めて食べる美味しさだった。

意外と満腹になってしまったと、これから食べるカレーのことが心配になりながら、地下鉄に乗って鶴橋に向かう。

鶴橋には大阪のコリアンタウンがあり、去年にも寄ってポッサムキムチを実家に送ったところ、珍しく好評だったので、今回も買って送ろうと考えていたのだ。

駅に着いて地上へ向かう階段を上っていくと、辺りは焼き肉のにおいが充満していた。

f:id:bat_warmer:20200224124941j:image
f:id:bat_warmer:20200224124330j:image
f:id:bat_warmer:20200224124720j:image

毎日こんなにおいがするのだろうか。

ガード下にはたくさんの店が隙間なく並んでいて、地上のJRの切符売場も向かいのホルモン焼き屋の煙で霞んで見えた。

f:id:bat_warmer:20200224124844j:image
f:id:bat_warmer:20200224124913j:image

空腹の時には堪らないな、と思いながら、目的の店に向かう。

Googleで調べると閉店時間までは、まだまだ時間があるかと思いきや、鶴橋の商店街は19時前にしてシャッターを下ろしている店ばかりだった。
f:id:bat_warmer:20200224124742j:image
f:id:bat_warmer:20200224124933j:image
f:id:bat_warmer:20200224124651j:image
f:id:bat_warmer:20200224124337j:image

目的の店も閉店していたりして、と心配になったが、店の前を通ると片づけをしているところだった。

店舗のガラスケースに並べられていたキムチは、奥の冷蔵庫に閉まわれた後のようで何も無かった。

配送はできるかと店員の女性に尋ねると、大丈夫よ!と答えが返ってくる。

今回は実家と姉①と姉②の家に送ることにした。

父の入院の時の世話を率先してやってもらったので、その御礼の代わり。

しかし言わなければ、うちの家族のことだから気づくことはないだろう。
f:id:bat_warmer:20200224124828j:image

ポッサムキムチを送りたいと店員さんに告げると、もう終わりにしたのよ!と威勢よく残念な答えが返ってきた。

暖冬のせいで1月のうちに製造をやめたのだそう。

ポッサムキムチは、キムチに海鮮の具を混ぜ込んで漬けるので、気温の低い時期にしか作られない。

2月であれば当然のことながら買えるだろうと考えていたが、食品管理の厳しさを思い知った。
f:id:bat_warmer:20200224124800j:image

残念に思いながら、白菜キムチと山芋キムチにネギキムチと岩海苔の珍味を選んで配送をお願いした。

キムチを注文した後は、商店街を散策するつもりだったのだが、開いている店も少ないので次の目的地に行くことにした。

鶴橋駅から中津駅に地下鉄で向かい、ネパールのカレーを食べに行く。

f:id:bat_warmer:20200224153500j:image
f:id:bat_warmer:20200224125017j:image

中津駅に着いて地上へ出ると高層マンションなのか、オフィスビルなのかよくわからないビルが、大通り沿いに何本も立っていた。

その大通りから逸れて目的地のカレー屋さんに向かって歩いて行くと、高層のビルは遠くなり、低層のマンションや木造のアパートメントばかりが増えてくる。

(コンビニよりも目立つたこ焼き屋さん)
f:id:bat_warmer:20200224124920j:image

(外者は来ないだろうと思われていそうなエリアに入って行く)
f:id:bat_warmer:20200224124819j:image

(目的の店とは違うカレー屋さん、大阪は欧風以外のカレー屋さんが本当に多い)
f:id:bat_warmer:20200224124733j:image

(目的地の商店街)
f:id:bat_warmer:20200224125010j:image

(夜だから閉まっているのか、元からシャッター街なのかはよくわからない)
f:id:bat_warmer:20200224124644j:image

目的地のネパール料理屋さんは、暗い商店街を少し歩いたところにあった。

f:id:bat_warmer:20200224124344j:image

中に入ると昔は町屋建築の商店だった建物を改装して店舗にしていた。

土間のスペースには背の高い冷蔵庫や食品棚を置き、高くした床の上にテーブル席とカウンター席を配していた。

日本人のオーナーがいるのだろうかと思ったら、店員さんは二人ともネパールの方のようだった。

カウンター席に案内されてメニューを出してもらう。

注文するのは決めていて、10種のタルカリ(おかず)を載せてカレーとダルスープを付けたダルバートを頼んだ。

たこ焼きを食べた後で食べきれるかどうか不安はあったけれど、水牛のモモも頼んでみた。

少ししてテーブルに運ばれてきたダルバートは、配色のバランスも考えられているようで、隙間なくタルカリが盛り付けられていた。

まるで曼陀羅のようだと思いながら、中央のジャスミンライスと混ぜながら食べる。

スパイスと塩と油は刺激のために使うのではなく、あくまでも野菜の味を引き出すために使う感じで、やさしい味がして実に美味い。

塩味に辛味、甘味と酸味と苦味のバランスが、一つの皿に載っかっていて贅沢な一品だった。

f:id:bat_warmer:20200224142219j:image

水牛のモモも噛みごたえのある肉らしい肉で、旨味もにじみ出てきて美味しかった。

(左側のモモ二個は豚と鶏の合挽き、右側の二個が水牛のモモ)
f:id:bat_warmer:20200224141905j:image

てっきりネパールに頭が変になった日本人の店だと思っていたけれど、ネパールの味をそのまま日本に伝えようとしているお店だった。

偏見は改まってはいないが、誤解を改めることができて、来て良かったと思う。
f:id:bat_warmer:20200224142319j:image

ネパール料理屋さんを後にして宿泊先の梅田に向かう。

たこ焼きとダルバートとモモで腹がパンパンなのと、時間まだ遅くはなかったので歩いて向かうことにした。
f:id:bat_warmer:20200224142050j:image
f:id:bat_warmer:20200224142115j:image
f:id:bat_warmer:20200224142255j:image

薄暗くて落書きも多い高架の上と下が入り組む街の間から、新しくて高級そうなマンションが頭を出している。

住み分けが十分にされていない様子に、東京との違いを思う。

高架の脇にある階段を何箇所か通り過ぎてみた。

上に何があるのかは外者にはわからないし、Google マップも詳しいことが示されない。

f:id:bat_warmer:20200224141912j:image

上った先の明るい階段があったので、上ってみると通り過ぎたガード上の駅が見えた。

少し行き過ぎてしまったようだ。
f:id:bat_warmer:20200224142035j:image
f:id:bat_warmer:20200224141853j:image

少し先には梅田の街が見える。

大阪の街は意外とコンパクトにまとまっているのだろうか。

それともビルが密集していないために、見通しが良いからそう見えるのだろうか。
f:id:bat_warmer:20200224142245j:image

大通り沿いを歩いていても交通量は意外と少なく、通り過ぎる人も少ない。

f:id:bat_warmer:20200224141920j:image
高架の下にある交差点で信号待ちをすると、今朝飛行機から見た景色を思い出した。

上空からも見えないところに立つ自分を想像してみて、神が居たとしても自分の存在など気づやしないだろうと思う。

実際、自分がどこにいるのかはわかっていても、どんなところにいるのかはわかっていないのだ。

かと言って、自分の存在を世に知らしめたいのかというと、そういうわけでもない。

なんだかよくわらなくなって真っ暗な空を見上げる。

星が見えないのは曇っているせいなのか、それとも街が明るいせいなのか。

ひとりだと誰かに気を使う必要がなくてよいのだが、余計なことを考えてしまうのは本当によくない。

梅田駅が近づいてくると、ガード下に開かれた店舗の照明で明るくなってくる。

改装を終えて入居したチェーン店や、改装されずに残されたよく知らないお店など様々に並んでいる。

(鯖寿司とラーメンのお店)
f:id:bat_warmer:20200224141943j:image
f:id:bat_warmer:20200224142102j:image

(渋谷っぽくて新宿っぽいけど東京駅っぽくもある街)
f:id:bat_warmer:20200224141928j:image

(土曜の夜なのに仕事帰りの人もたくさんいた)
f:id:bat_warmer:20200224142235j:image

(観覧車はインバウンド向けなのだろうか)
f:id:bat_warmer:20200224142129j:image

(まだ21時すぎなのに駅に向かう人でたくさん)
f:id:bat_warmer:20200224142014j:image

行き交う人の動きで少し酔った気がしたので、早めに宿泊するカプセルホテルに向かう。

前回は漫画喫茶に泊まって後悔したので、今回はカプセルホテルにしてみた。

風呂に入って横になると、あっという間に睡魔に襲われて、明日の予定など考える間もなかった。
f:id:bat_warmer:20200224141951j:image

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目夜)