#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午後)
あいにくの雨降りだったせいか、万博記念公園に訪れている客の数も昨日よりは少なく見えた。
太陽の塔の裏にある広場でガレージマーケット?的なイベントがやっているので、そういう雰囲気のお客さんが目立つ。
(太陽の塔と俺)
(ガレージセールの入口に向かう人は疎ら)
ガレージセールのイベント、ポスターを見たところは有料のイベントらしい。
公園の入場料を払って、更にイベントの料金を払う人がいるのだろうか。
こりゃあ天気が良くても客は疎らなのでは、と横目に見ながら、国立民族学博物館に速足で向かう。
目論見通り13時過ぎには着いたものの、閉館時間までは4時間しかない。
昨日見られなかった展示を中心に見るとしても、ギリギリの時間に思われた。
(昨夏の台風で翼が折れてしまったというトウテムポール)
(国立民族学博物館の外観は、国立西洋美術館に似ている。色は違うけどね。)
博物館の中に入ると来客数はまばらで、先ほど足早に通り過ぎてきたイベントよりも少なく見えた。
職員の方が多いのではないかと思えてくるほど。
個人的には落ち着いて展示を観られるので良いのだけれど、もったいないことだよなぁと残念な感じもしてくる。
高校生までは無料だというのに。
大阪の人は見飽きるほど見てしまったのだろうか。
(雨に濡れる中庭。備前焼の中に雨水は溜まるのではないかと気になる。)
2階のチケットカウンターで、公園の入口で買った入場券を係の方に見せる。
昨日ももらったフロアマップを受け取る際に、カウンター上に置かれた料金表がふと目に入ってくる。
そこには、『前回来館時から3ヵ月以内に再訪し、入場券の半券を提示すると割引が受けられる』という旨が書いてあった。
すぐさま係の人に割引きを受けられるか聞いてみると、できますよ!と快く受けてもらえた。
言ってみるもんだなぁ、と割引分の90円を小銭で受け取る。
大人一人の入場券が580円だから1割強の割引きになるのかどうか。
たかが90円ではあるが、博物館的には結構な割引率だと思う。
リピート割りとかあまり聞いたことが無いのだが、他でもやっていることなのだろうか。
(割引き後に昨日の半券と交換した整理券)
最初の展示エリアはオセアニア地方の展示。
昨日も観たのだからと素通りしたかったのだが、やっぱり見入ってしまう。
ディズニー映画の『モアナと伝説の海』を観てから、オセアニアの暮らしには魅せられてばかりいる。
(木材を組んで作られた海図。)
↑の海図など、自分が見たところでわかることは無いのだが、どんな人がこの海図を作って、どんな人がこの地図をもって島と島の間を渡ってきたのだろうか。
想像するだけでも実に楽しい。
自分は海なし県で育ったせいか、航海技術は魔法のように見えてくる。
結局、昨日と同じくらいの時間をかけてもう一回見て回っていたら、案の定、時間がなくなってきた。
(世界各国で翻訳された『はらぺこあおむし』の絵本、手前の台の上に置くと翻訳された外国語で朗読が始まる。)
なんかこの調子で書いていくと長くなりそうなので、ここからは備忘を兼ねて写真とメモをつらつらと書いていく。
過去の特別展の図録が閲覧できるコーナーにあった興味深い図録。
キムチの歴史や作り方が載っている。朝鮮半島北部のキムチは唐辛子を多用せず、南に行くほど多用して赤いキムチが作られていたそうだ。
唐辛子は保存効果を目的に使うもので、北部は気温が低いから多用せず白いキムチが作られていたらしい。
お土産コーナーにあったら買おうと思う。
過去の特別展のポスターと図録だけが陳列するスペース。
手抜きのようだが見ごたえはたっぷり。時間があっという間に過ぎる。
東南アジアの人形を用いた演劇や舞踊の動画と実際の人形。
夜に演劇や舞踊をするところがアジアっぽい。日本の薪能にも通じていそう。
人形のスタイルがいい。
韓国で子供が1歳になったときにお祝いでやる占いの道具、というかおもちゃ。
子供がどのおもちゃを手に取るかで子供の将来の職業を占うとのこと。
生まれた時から潜在的に希望の職業があると思われているのだろうか。
モンゴルのゲルの内部。中央に竈?囲炉裏?があるせいか、天井が高い。
カザフスタンの天幕の内部。
中央に竈があって煙突が天井を突き抜けている。机と椅子のある生活。
こういう間仕切りが内と外しかない家で育った子は、どういう過程で大人になっていくのだろうか。
少なくとも同性愛なんて夢にも思わないんじゃないかとも思ったりもしたけど、思ったところで気づかぬうちに矯正されていくのかもしれない。
良いことか悪いことかは別にして、自我とは本当に厄介だと思う。
タシュケントの台所。竈がかわいい。
かわいい竈でパンを作るとか、もっとかわいい。
東北地方の男根信仰。
昔、田舎の大叔母に、戦地に出征した男性の無事?健闘?を祈願して金精様を祀った祠を見せてもらったことがある。田んぼのそばにあった。
田舎では巫女の文化はあまり見聞きしたことがないんだけど、廃れただけなのだろうか。
そういや近くに神社ってなかったような気もする。謎だ。
展示を見ていたら閉館時間まで残り30分を切ったので、展示を見て歩くのはあきらめた。
お土産コーナーにある本と図録のコーナーを見なくてはならない。
昨日は荷物になるし明日買えばいいや、と思って、買わなかったものがあるのだ。
速足で展示エリアの出口を目指す。
しかし展示エリアを出たところには、民族学博物館に所属する研究者のプロフィールと研究中のレポートがあった。
急いではいるのに、ひとつひとつが気になって読んでしまった。
昨日の館長の講演では毎年1万点のコレクションが追加されていると言っていたが、いままさに世界中で収集活動が行われているという様子が、簡易なレポートながらも十分に伝わってくる。
他人の仕事を見るのは本当にたのしい。
博物館の1階にあるお土産コーナーに着いたころには、退館を促す音楽が流れ始めていた。
昨日、目星をつけていた本を手に取ってレジへと急ぐ。
買ったのは食文化をテーマにした雑誌と、
過去の特別展の図録だ。韓国食文化の図録もあって無事に購入することができた。
館内放送に追い立てられるように博物館を出て、公園の出口に向かう。
ガレージイベントも片づけをしていて、搬出作業をする人が大きな荷物を台車に乗せて歩いている。
雨に濡れた公園の地面からは土のにおいが立ち上ってきて、梅まつりの花のにおいは感じられなくなっていた。
雨脚は弱くなっていて、肌に当たる雨粒の温度も冷たくはない。
春は確実に近づいているようだ。
公園の出入り口には退園を急ぐ客が集まって、太陽の塔と最後の記念写真を撮っていた。
太陽の塔の方を振り返ると、薄暗い曇り空をバックに目から光を放っていた。
自分の行く道の先を照らしてくれるには、実にモノ足りない光量だった。
威厳があるようで、押しつけがましさはまったく感じられない不思議な塔だと本当に思う。
モノレールの駅から、そのまま伊丹空港に向かう。
近くのスタジアムでサッカーの試合が終わった後らしく、ホームは観客の人で混みあっていた。
先っきまでガラガラの博物館にいたせいか、人混みの圧迫感に息が詰まる思いがしたけれど、それは単に買った図録と本の重さで腕がシンドくなっていただけだった。
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪2日目午後)