ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

吉田修一著『怒り』を読んで(1)

 掲題の小説が映画化されるにあたり、妻夫木聡がゲイ役を演じるということで話題になった。予告編でプールサイドで繰り広げられるナイトパーティー(?)で踊る妻夫木聡がとてつもなく愛らしいと、みなが口々に言うのを見て、そんなシーンがあるのかと自分も予告編を見てみたけど、一瞬しか映ってなくてちょっと興醒めしたのはつい最近のことだ。

 この小説のことは、新聞連載時から知っていた。ハッテン場の描写があって、それが一般紙に載っていることだけは、何かの出版関係のネットニュースか何かで伝え聞いてはいた。小説のタイトルからして、以前にも映画化された『悪人』と同じハードボイルド系の重たい話のようで、単行本が発売されるとすぐに購入していたのだが読んではいなかった。上下巻もあるし重たい内容なので、買っといて何だけど、進んで読みたいとは思えなかったのだ。

 自分のTwitterのTL上でもゲイ役俳優の愛らしさに騒ぐ一方で、実際に小説を読んでいそうな人は少ない様子だったが、大概の読んだ人はどこか神妙な面持ちでいるようだった。この作家が描く話の顛末は、いつも普段の自分が見て見ぬ振りをしているようなことを自分に押し付けてくるので、読めば(ゲイに限らず)誰もがそうなるのは、さもありなんという風に見ていた。

 いざ自分が読んでみると案の定で、かなり気持ちが揺さぶられてしまった。正直、同じゲイの友人から感想を求められない限りは、ただ神妙な面持ちで「読んでよかったよ」、と言うだけだったと思う。ゲイ界隈に馴染みの薄い自分には、それらの描写を興味津々で読むことはできたし(特にハッテン場)、そういうことはいくらでも上げられる。でも、自分のパーソナリティに近い物語であるが故に、自分がこの物語に何を思ったかを述べることは、自分の今後の生き方を表明することに思えて、簡単に済ませてはいけない気がした。

 前置きがかなり長くなってしまったが、読書感想文なんて直近に書いた記憶さえ無いので要領がわからない。自分の考え方を他人にさらけ出すことはかなり勇気もいる。その本を読んだ感想なんて浮かぶことを述べてたらキリもないので、この場では、この物語の中で自分がどんな人間として過ごしたのか、もしくは、現実の自分はどう在りたいと思ったかを伝えられればと思う。(つづく)