ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

おしのの映画鑑賞日記-『ズートピア』を観て(2)

※(1)の続きね。

 

でも将来の目標を定める理由なんて、無いと困るから、わざわざ設定していることだったりするのよ。たぶんね。


ジュディが、過去に例のないウサギの警察官になろうとしたきっかけは、映画では描かれてはいないけど、理想郷として憧れるズトーピアを舞台に、とにかくチャレンジングなことをしようとして、特に理由もなく警察官ってのを設定したんだろうな、って思うの。
何不自由ない家庭環境で育てられはしたけど、安定した生活が少し退屈に感じてしまうような子だったのよ。
どうせやるならカッコいいことがしたいって気持ちもわかるし、自分で目標を決めるってすごく前向きなことに見えるけど、でもそれって自分"だけ"で決めたことじゃないのよね。

現実を知り得ない環境だったから描けた夢だったんじゃないかしら。
ジュディが生まれたころから都会のズートピアで暮らしていたら、きっと楽に叶えられるようにさ、別の目標を考えていたんじゃないかな、って思うの。

あたしも商家の娘に生まれてたら、丁稚として働くなんて考えもしなかったはずだしね。(あたし、ジュディに厳しすぎかしら、、)

 

 でもキツネのニックはさ!違うのよ。ジュディに事件解決のために相方とされちゃうキツネのニックってのが出てくるんだけど、現実を知ってるが故に目標を失った人としてね、ジュディとは対照的に描かれてんの。それはそれで魅力的なキャラクターだった。
ジュディみたいな前向きさは無いけど、ニックにも自分の目標や理想像はあってさ。

でも、そのベースにあるのは現実を知ってしまったがゆえの諦観の念みたいなもので、無知ゆえの万能感がベースのジュディとは真逆の雰囲気や色気があって、ほんと見惚れたわ。

何事も動じずに相手を煙に巻く様子を見て、あー私も真似したい!って思うぐらい。

 

でもニックの雰囲気の根底にあるのってさ、周りから「キツネは信用ならない動物」っていうキツネの紋切型のイメージがあるのならば 逆にイメージ通りに振舞ってやろうじゃん、ってことなのよ。皮肉っぽいとこがあんの。

幼少のころの挫折がきっかけなんだけど、そう考えるとカッコいいとか軽く言うのもさ、少し憚れるような気がするのよ。


肉食動物がマイノリティの共同体で、そういう役割を与えられたんだ、って周囲に当てつけるかのように、"キツネ"として生きてきたんだろうと思うと、ほんと切ない話よね。

ジュディも自分の夢を幼少の頃に否定されたけど、それは他の動物と歴然とした力の差があったから、「そんなに頑張らなくてもいいじゃん」っていう理由だったけど、ニックの場合はさ、「端から信頼されないキツネだから」って理由で夢とか目標を打ち消されてしまってさ。

力の差は知恵と努力でなんとかなることかもしれないけど、ステレオタイプに持たれてるイメージとか信頼感ってのを覆すには、知恵とか努力じゃどうしようもないことよ。ましてや子どものころだったら特にね。


なんか、ニックのキャラクターは放っておけない感じがして、あたし、きっとニックみたいな詐欺師がいたら、簡単に騙されちゃうんだろうな、って思ったわ 笑。

 

でもニックの心根には、ひとりは寂しいって気持ちがあったんだなぁ、って思うと、諦観の念を現わす生き様って言うのも、ちょっと違うのかもしれないのよね。
悟った風を装って、周囲に影響を受けないように、動揺しないように、ときどき感じる寂しさとか虚しさを隠すための態度だったのかもしれない。

 

(続く)