ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

おしのの映画鑑賞日記-『レッドタートル ある島の物語』を観て(3)

(2)の続きです。

 

この映画が伝えようとしてることって何だろうって考えると、「『普通に』生きることに抗うな」ってことなんじゃないかと思うの。

何というか死ぬことを恐れるな、っていうんじゃないのよね。

特に可もなく不可もなく生きることを恐れることなく受け入れろ、って言われたような気がするわけ。

 

そもそもさ、世間で目立つような著名人って、どんな気持ちで日々を過ごしているのかしらね。
職業としての責任とかポリシーはあれど、自分は英雄的存在だ、とか、思って暮らしているようには思えない感じはするけどね。

あたしがさ、今年はよく世間で騒がれていた五輪選手になったつもりで、その生活を想像してみても、なかなか英雄としての自覚って持てる気がしないのよ。

だって、英雄って元々は普通の人だしさ。
生まれたころから英雄でした、って人がいても、その自覚って、結構、眉唾で聞いておかないといけないんじゃないかしら、なんて思えたりしちゃいません?

 

なんか話がズレてきたわね。

 

無人島に漂着した男も、元の土地に戻ればさ、英雄的存在として取り沙汰されることもあるんだと思ってね。

漂着したばかりの頃はさ、己の不運に嘆き苦しむ感じもあってさ、ある種、自分が特別な存在だって思える境遇だったとは思うの。

でも、島での出来事を通して、自分の境遇を理解することができたから、漂着したばかりのころの焦燥感みたいなものを解消することができたんじゃないかって、そう思うの。
自分で人生の選択肢とか正解を見出したわけじゃなくて、無人島にいる間、その『普通』なことに折り合いをつけることができたってことなのかも。

 

この映画を観て本当に良かったと思ったのは、そういう『普通』でいることを受け容れる過程を、物語として観ることができたからでさ。

それと、人生の折り合いって、人間関係だけじゃつかないってことを思い知らされたのかもね。

 

ありがちな言葉だけど、あたしたちは常に自然の脅威に晒されてるじゃない?
気象現象だけでない、交通事故だってさ、人の脳みその判断不全から起きると考えれば、ある意味でさ、それも自然現象ので内にしちゃうわよ。
そんなさ、わけもわからないし、抗うのも困難な何かに対してさ、あたしはどう身構えたらよいのかしら、なんて無駄な抵抗なのよ。

 

映画を見ている間はさ、植物や動物、海に自然現象、その人間以外の中に置かれながら、死ぬまでの時間を過ごしていく過程が、とてもスムーズに流れて行くの。
その様子はまるで魔法のようで、あたしの胸をとても強く打ったの。いまでも思い出すだけでウットリしちゃう。

あの様子を表す言葉って、泰然自若、って言うのかしら。すごく素敵なもののように見えた。

あたしだって、江戸時代からタイムスリップしてきちゃってるけど、ただの蕎麦屋の女将さんだしね。

普通なのよ。それ以上でも、それ以下でもないの。

 

なんだか、当たり前のようなことを言っているような気がしてきたわ...。
いつものことだけども。おほほほほ。

この映画を観ると、そういうことをスッと素直に理解することができた気がしたの。


さてさて、夜の営業もあるから、今回の感想はこれで終わり!

勢いで整理もろくにせずに書いてしまったし、いろいろ語りたいことはあるけれど、とにかく観て感じてほしいな、と思います。

特に、東日本震災の被災者に共感をしたいんだけど、ちょっと自分には何か欠けているような感覚を抱いている人は、この映画を観るとよろしいのではないかと、そう思ったりもします。


次は、ファンタスティックビーストの感想を書くわ!!