ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

おしのの映画鑑賞日記-『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』を観て

こんにちは。しのです。


今回は、前回のブログで予告したとおり、
『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(http://wwws.warnerbros.co.jp/fantasticbeasts/)の感想です。

これは、この間に観てきたばかりなので、割りと勢いだけの感想になりそうよ!
本当はね、「ファンタビを観たのよ!おもしろかったわよ!」だけで、済ませたいところよ!!

 

本当は変な説明もしたくないんだけど、ロマンチックな雰囲気を漂わすNYの光景、魔法使いへの憧れと、出てくる幻獣の多様さと愛くるしさが、一本の映画の中に詰め込まれていて、観てるだけで心を動かされるシーンがとにかく満載だったわ!

正直、ハリーポッターシリーズって、娘が小さかったときにさ、最初の3作を観ただけで、最後まで観てないの。見る前は、前知識が足りなくて、理解できなかったりするかしら、なんて不安だったけど、そんな心配なんて必要なかった!

 

あらすじは、HPを見れば良いと思うけど、魔獣の研究をしている魔法使いのニュートが、魔獣を持ち込みを禁止しているNYで、持っていた魔獣たちが逃げてしまって捕まえるのに四苦八苦する、っていう話。

話としてはそれだけなんだけど、どうしてNYでは魔獣の持込みを禁止しているのか、って背景が、物語に深みを持たせるわけよ。

ネタバレしかねないから、物語についてあれこれ言うことはやめようと思うけど、とにかく良いことも悪いことも起こるのよ。
魔法使いだから、いろいろと解決するのに時間はかからないんだけど、それしか方法が無い、ってのは悲しい気持ちにさせられちゃって、魔法でなんとかならないこともあるのねって、思わず涙してしまったわ。

物語の中のNYでは、魔法使いの排斥運動の動きが見られるようになってきて、大きな動きになるのを魔法使いの団体は懸念している様子が描かれるんだけど、他にも、人間と魔法使いの対立や、貧困と富、上司と部下、親と子とか、いろんな対立点の場面が描かれている。

どうしてか魔法ではその対立点は解消できないのよね。この物語での魔法は、物理的なことにしか効果がないのかもしれないのかしら。詳しい人がいらっしゃったら教えていただけません?

 

人の記憶を消すことは魔法でできるのに、対立関係の要因になる感情を魔法で制御することはできないのよね。

魔法使いだから、いろいろと解決するのに時間はかからないんだけど、解決策が限られている、ってのは残念な気持ちにさせられちゃって、魔法でもなんとかならないこともあるのよね、だなんて思わず涙してしまったわ。

 

逆にさ、魔法使いの排斥運動のリーダーや議員選挙に出ようとするエリートの方が、人々の気持ちを動かすことができているのよ。

なんか魔法とは異なる理屈なんだろうけど、考えると不思議なことよね。

人の魅力、モノの魅力、言葉の魅力、音楽の魅力、料理の魅力、いろんな魅力があるけれど、人間は魔法が使えなくても、そういう身の回りにあるものの魅力を存分に活かしてたりするのよね。

そう考えると、ちょっと魔法使いとは違った魔法みたいなものを自分も使えるのかな、って思えて、少しワクワクしたの。
もう40も半ばのオバサンだけどね。

 

あたしも旦那様と一緒に、うちのお蕎麦の魅力を上げて、お客様を喜ばせたいな、って思ったわ。

しかし、このハリーポッターシリーズの映画って不思議ね。
魔法使いと私たち人間との圧倒的な能力差を見せつけられる映画なのに、どうして自分の普段の生活に力がもらえる感じがするのかしらね。

何かしらの仕掛けがあるのかしら。これも、ある種の魔法なのかもしれないわね。

 

さてさて、お昼の営業が始まるから、ここで終わりにしますね。
次はどの映画を観ようかしら!