ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目午後)

今回の旅の目的は、民族学博物館で毎月やっている市民向けの講演を聴くことだった。

マイルの期限が近づいてきて、何処かに行こうかと検討している時に、民族学博物館の講演プログラムを調べて、その日程に旅程を合わせてみた。

きょうの講演のタイトルは、『文明の転換点におけるミュージアムみんぱくのこれまでとこれから』。

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民族学博物館の館長による講演で、期せずして500回記念の講演に当たるらしい。

学生の頃、学芸員資格を取るほど博物館や美術館が好きな自分には、聴かないという選択肢は無い講演だった。

特に民族学博物館については、自分は疎い分野であったので、これを機会に理解を深められたらと思っていた。

民族学博物館が特殊なのは、博物館や美術館では考古学や歴史学的に価値のある品が展示されているのだが、民族学博物館にはそれらの価値は無いものばかりが展示されている。

少し昔から現在まで、実際に使用されていたり生産されている生活用具や祭祀の道具が展示されている。

中にはもう生産されていない物もあって、それなりに貴重なものも含まれるだろうが、それは資料として貴重なのであって、希少で価値のある品かというと違う。

国や地域は異なれども、そこら辺にあるようなものを展示する意義とは何なのか、民族学に特化した博物館としての役割は何なのかを知ることができたら、と講演を聴くのがずっと楽しみにしていた。

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開場時間になると早くも行列ができていた。

並んでいる人はみなスタンプカードを持っていて、受付の人に押してもらっている。

係の人も並んでいる人たちに「受講証を手に持ってお待ちください」と案内をしてくる。

事前受付は必要ないと案内にはあったのだが、受講証の有無で何か変わってくるのだろうか。

よくわからないまま並んで待ってはみるが、若干心配な気持ちがわいてくる。

自分の順番がきて受付の人に初めて来たと伝えると、係の人は「そうですかー」と言って、きょうの講演資料と「みんぱくゼミナール受講証」をくれた。

毎月の講演を聴きに来るごとにスタンプがひとつ押してもらえて、スタンプが10個たまると記念品がもらえるらしい。

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なるほどみんなこれをモチベーションにして、セミナーを聴きに来ているのかと合点がいった。

しかしそんなに魅力的な記念品がもらえるのだろうか。

資料を持って講堂に入ると、思っていたよりも立派で大きく、中規模な学会やシンポジウムにも使えそうなホールだった。

人の少ない右脇の席に座って、公演の開始を待つ。

周りを見渡すとお年寄りが多いが、学生風の若者が2割くらい来ている。

一番少ないのが自分と同年代の客層という感じ。
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ステージが明るくなったので、講演が始まるかと姿勢を正すと、みんぱくゼミナールの表彰式をやるとアナウンスされて、頭に?がたくさん浮かんだ。

聞けば毎月開催している講演の出席回数をカウントし、節目の回数を達成した人には表彰式を行なっているそうだ。

(表彰式の様子)

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てっきり10回ごとに表彰してもらえるのかな、と式の様子を眺めていると、今回は80回受講した方と110回受講した方が表彰されている。

110回とか、毎月欠かさず出席したとしても、9年近くかかることではないか。

自分の予想を大きく超えてきた事実に、この博物館が生涯学習に力を入れていると実感させられたし、一気に好きになってしまった。

(館長から賞状を渡されているところを見て、自分も頂きたいと思うなどする)

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表彰式が終わると、いよいよ館長の講演が始まった。

館長はアフリカの民族学を専門とされている方。

淡々とした口調ながら、内容がスッと理解できる語り口で1時間半の講演時間もあっという間に感じられた。

講演資料の余白にメモ書きをしていたのだけれど、書くスペースが無くなって困るほどに興味深い話を聴くことができたように思う。

覚書として箇条書きに記してみると、下記のような内容だった。

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みんぱく人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関で、開館して43年たった

みんぱくゼミナールは開館当初から開催している

・第一回目は加藤九祚先生による『明治初期の日本人が見た北アジアの民族』で、加藤先生のロシア抑留経験を活かして行っていた研究成果を発表された

・現在は52名の研究者が在籍し、世界各地へフィールドワークを行っている

・コレクションは同時代のもので歴史的美術的価値は薄い

・研究と共にコレクションは増えて、いまは34万5千点の世界最大規模の収蔵品があるが、展示されているのは全体の3%の約1万点に過ぎない

・常設展の展示ルートはほぼ開館当時と同じで、オセアニアからアメリカ大陸、アフリカ、欧州、アジア、日本の順にまわる

・世界各地の様子を把握して日本の民族文化の位置づけを考えてもらう仕組み

・だいぶ設備も古くなってきたので改装や、スマホアプリでの視聴覚メディアを開発している

・初代館長の梅棹忠夫は「博情館」を目指していた

・世界各地にある民族学博物館ではアフリカエリアの展示を見直しを進んできている

・植民地時代や奴隷貿易時代のままではいけない

・特にオリンピック開催地の博物館ではその展示内容が国際問題に発展しがち

シドニーオリンピック開催時には、原住民アボリジニの文化運動が起こり、博物館では数々の文化的プログラムと共にアボリジニの権利主張が行われた

東京五輪が開催される今年は、北海道でアイヌ民族に特化した国立博物館ウポポイが開館するのも同様の動きによるもの

・先住民の存在を知ってもらうのが博物館の意義

・民族の暮らしには変化が伴うものであり、保存を強いるものではない

・身体化された知識や経験は常に変化するもので、代表的な特徴を選定することは適さない

・文化と創造性を共に継承していくためには、有形文化財だけを保存するのではなく、人の営みである無形文化財と共に在る必要がある

・有形の文化財を奪われることもあるが、無形文化が継承されていれば、また作ることができる(カナダインディアンの文化財返還運動の例)

・物だけを大量に並べるだけでは実際のの生活は見えにくい

・その地域の日用品から実際の生活を実感するための展示方法を、現地の研究者と共に作り上げる取り組み

・一方向の権力を示すための博物館ではなく、双方向の協働作業をする場としての博物館を理想とする

・テンプル(神殿)としてのミュージアムではなく、フォーラム(議論の場)としてのミュージアム

・伝統/現代、以前/以降の二分方ではなく、歴史的展開の結果としての現代を示す展示

・いまを生きる人々の姿が浮かび上がり、同時代人としての共感を育む展示

・展示される側(地域の人々)との共同作業による展示

・アフリカや台湾、アイヌ博物館学の研修やワークショップを開催し、自民族による博物館を地域に根づかせる取り組みをしている

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この民族学博物館が開館してから43年。

今回の講演では、その43年分の取り組みから得られた知見や、博物館学の今後の在り方や焦点を、たった90分で学ぶことができたように思う。

東京から大阪まで聴きに来て本当に良かった。

我ながらグッジョブ!と思えたし、改めて博物館は偉大だなぁと感動しながら講堂を後にする。

(公演後に表彰式の記念撮影をしている様子。来年にはこの講堂も円形ステージに改装される計画があるらしい。)
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講演を聞いた後は、もちろん常設展示を観に向かう。

先っき勉強したばかりのことを、実際に見て確かめられるなんてラッキーなことだなぁ、と感動でクラクラしてくる。

しかし、この時点で閉館時間まで残すところ2時間ばかり。

またもや全ての展示を満足いくまで見るには難しくなってしまった。

朝の寝坊がなければ、多少はゆっくり見られたはずなのに。

悔やんで反省したところで過ぎてしまった時間は戻らない。

前回に見た展示は飛ばして見て歩こうか。

(ルーブル美術館の中庭を模したかのような広場には、巨大な備前焼の壺が置かれている)
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しかし、その目論見は初っ端から失敗に終わる。

最初はオセアニア地域の展示エリアがあるのだが、やっぱり展示物のひとつひとつが魅力的でついつい足を止められてしまう。

去年も見たものばかりなのに、見るたびに面白いなぁと思っては魅入ってしまう。

それはモノの魅力だけではなく、展示の工夫が成す結果なのだろう。

案の定、東北アジアのエリアに差し掛かった頃には、閉館時間が迫っているという放送がされてしまった。

また明日来ることにして、足早に残りのエリアを見て回る。

明日の下見も兼ねて、備忘録として写真に撮ってメモをする。

その一部を記録として残しておく。

(昔の航海術を調査するためにミクロネシア諸島から沖縄まで実際に航海した船)
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(まだGPSも無い頃の航海術を案内するビデオ、オセアニアの人たちは台湾から東南アジアを経て、船で移り渡って行った民族と考えられている)
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(植民地時代に支配していたイギリスでつくられた民族学博物館)
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(植民地時代に反抗的な原住民を捕らえるための道具)
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(ペルーの焼き物とその作り方を案内するビデオ)

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(フィンランドの移民たちにインタビューした動画)
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(アフリカの奴隷貿易で使われていた拘束具)
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(現代のアフリカに住む人たちの生活の様子やインタビューした動画と実際に使われている日用品)
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(アフリカの各民族の祭祀で用いられる仮装道具)
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(韓国の旅人をもてなす為の建物「酒幕」は修理中で中には入れなかった)
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(中国圏の展示)
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(アイヌ民族の展示エリア)
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(窓の外には祭壇が設けられていたという様子)
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(日本各地のしめ縄)
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(日本各地の祭祀で用いられた仮面)
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(鳥取の鷺祭りの仮面?仮装が面白かった)
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(総じて愛媛の祭りの道具が異形で巨大だった)
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博物館の外に出ると、上空の高いところにうろこ雲が広がって、沈む太陽の光をマダラ模様にして反射させていた。

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予想外にもまだ明るかったので、帰り道にある梅園にも立ち寄ってみる。

木立の向こうに見える太陽の塔巨神兵のように見えて面白い。
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梅園ではどの梅の木も満開の様子で、微かな香りを漂わせていた。

その香りに誘われたのか、街にいるスズメかと見紛うほどにたくさんのメジロが蜜を吸いに来ている。
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園内には梅だけでなく、菜の花やチューリップも咲いていて、2月とは思えないほどに春の匂いがしている。
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公園出口にはビレバンのアンテナシャップが設けられていて、岡本太郎グッズがたくさん並んでいた。

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モノレールの駅に向かうスロープからは、遠くクリーム色と水色の二層になった空をバックに、太陽の塔がそびえ立っているのが見えた。

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太陽の塔という割には、薄暗くなった辺りの空気に馴染むようにひっそりとした佇まいに見える。

しかし考えてみれば、本物の太陽も夜になれば地平線の向こうに隠れるのだった。

太陽の塔も暗くなる空に紛れるのが自然であろう。

粋なことを言おうとして、挙げ足を取るだけに終始するのは本当に悪い癖だと反省する。

塔の方を見ると、パラボラアンテナのように付けられた顔の目が、弱く白い光が灯っているのが見えた。

あの弱々しく光る目は何を照らして見ようとしているのか。

それとも、夜の街を歩く猫の目のように、ただ自分の存在を示す光なのか。

そんなことをスマホで写真に撮りながら考えてみたが、気づけば電池の残量が残り2%になってしまっていた。

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スマホ無しでは旅もままならない。

仕方なく、千里中央駅のローソンでモバイルバッテリーのレンタルサービスを利用することにした。

都内でこのサービスを知った時には、利用するわけないと思っていたのだが、使ってみるととても便利であった。

年会費もいらないし、48時間以内に返却すれば300円で済む。

モバイルバッテリーを忘れてなかったら、この便利さに気づくことはできなかったんだな!と無理やりながらに感動してみる。

実際のところ、寝坊せずに忘れ物をしなかったら、博物館に早く来て展示を見る時間が長く取れたし、300円を使わずに済んだのだけれども。

こういう調子の良い性格は父親譲りなのだろうが、この独善的なところがきっと、彼の人を苛立たせるところであるのだろうと思うなどする。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目午後)