ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年元旦の夜

姉の家から実家に帰ってくると、忘れないうちに仏壇へ線香をあげて、御先祖たちに新年の挨拶を済ませる。

うちは昔から寺社仏閣に初詣に参る習慣が無いので、仏壇に挨拶をしたらそれでもう正月の行事は終わりだ。

しかしそうなると本格的にもうやる事がない。

父は姉の家では自由に観ることができなかったテレビを観始めたし、母は先っきまで御節を食べていたというのにもう夕飯の支度をしている。

自分は、なんとなくもう帰ろうかな、という雰囲気を醸すと、母がそれに察知して、もう帰るのか、と問い質してくる。

それはどこか寂しそうな声にも聴こえた。

そんなつもりは無いのだけれど、と自分は答えを濁しつつ、やはり一晩だけでも泊まっていくか、と思い直してしまった。

どちらでも良いように、最小限の着替えは持ってきていたので特に支障はない。

しかし、やる事がないことに変わりはないので、二階にある自室のベッドに横たわって本を読んでいると、昨日までの疲れが残っていたのか、睡魔に襲われるままに寝落ちしてしまった。

18時になると夕飯だと母に起こされて、居間に降りると自分がつくったのし餅を入れた雑煮ができていた。

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千切りにした大根や牛蒡の根菜類と鶏肉を麺つゆで仕上げた汁に、餅を落として煮たもの。

つきたての餅は少し煮ただけでも、とろんと溶けてくる。

これが野菜の旨味も溶け込んだ汁と絡んで美味いのだ。

母も満足そうである。

この柔らかさなら、歯の弱い父も食べられるのではないかと思うがどうだろうか。

違う部屋で父はテレビを観ているので様子がわからない。

食卓を家族で一緒に囲む、という規範がうちには無いことを、子どもながらに如何なものかと思っていたのだが、大元は父親の幼稚さから由来するものだろうかと最近は考えている。

自分の観たいテレビ番組があると、違う部屋で食事をするのは相変わらずで、子どもが独立して母と二人になったら自由度がさらに増したようだ。

母は文句を言いつつも笑いながら、それに付き合う。

昔はそんな父の見せる幼稚さが嫌で嫌で仕方がなかったが、いまはひとりで楽しんでくれているのなら構わないと思えるようになってはきた。

(ただ、自分が見せたい場面がテレビに映ると、誰か見ろ見ろ!と呼んでくるのは厄介で仕方がないけれども)

雑煮を食べ終えると、暇そうな自分を見かねたのか、母が温泉にでも行ってくればと勧めてくる。

もう両親の寝る時間でもあるらしく、息子の相手もしてらんないからという意図でもあるらしい。

外の寒さを思うと気は進まなかったが、テレビを見ていても退屈になるばかりなので、車で10分ほどのところにある日帰り温泉施設にひとり向かう。

温泉の駐車場で、車から降りると頭上にはくっきりとピカピカと光る星空が広がっていた。

その温泉施設は田んぼの真ん中にあるので、空が広く見上げられる。

空気が乾燥しているせいで、夜空は濃紺色に沈み、その中を星々が宝石のように光を瞬かせる様子がよく見ることができた。

露天風呂でゆっくり眺められたら、さぞや気持ちよかろう、そんな期待を抱えて温泉施設の中へ入る。

正月の営業の割に、そこまで混んではいなかったのは助かった。

服を脱いで身体を洗い、内湯で身体を温めると、露天に出て星を眺めつつ温泉に浸かる。

まさに文字通りの頭寒足熱の具合で、まったくのぼせることはなさそうで、いつまでも入っていられそうな気持ち良さだった。

お客さんは家族や友だちと来ている人が大半だったが、自分と同じように一人で来ている若者も多かった。

お宅も実家に居ずらいんですか?と、ついつい勘ぐってしまう。(※「居ずらい」は方言なので分からなかったら検索してね)

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(風呂上がりの牛乳。その日の栄養バランスを考えた結果。)

2時間ぐらい過ごして帰宅すると、23時を過ぎる頃だった。

母がわざわざ起きてきて、温泉の様子を伺ってくる。

まぁまぁの混み具合だったと知ると、やっぱりね、と眠そうに言って寝室に戻って行った。

しばらく居間でテレビを観ていたけれど、あまり目を引かれるものもなかったので、自分も湯冷めをしないうちに寝ることにした。

布団のなかでスマホのアプリでラジオを流しながら眠りにつく。

大して特別なこともしなかったし、退屈な時間ではあったけれども、普段通りを意識しては少しだけ贅沢をすることができた気がする。

しかし、元旦の過ごし方はこれで良いのだろうか、と核心に迫れていない感じは相変わらずで、毎年のことながら中途半端さの残る元旦であった。

それはたぶん東京で新年を迎えたとしても、同じように感じたのだろうと思う。

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年元旦の夜