#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)③
実家にある自分の部屋は東向きに窓がある。
朝日が登ると外の光の眩しさで目が覚めてしまうから、夏場は朝早く起きることになるし、冬場はよく寝坊ばかりしていた。
遮光カーテンでもかければ、外の眩しさで起こされることもないのだが、昔の自分は、遮光カーテンの見た目が重々しく見えていたので、部屋にかけたいとは思わなかった。
厚みのある生地や高貴さを醸す重量感のある柄のせいで、部屋の雰囲気も重くなる気がしたのだ。
だから自分は眩しい思いをするにも関わらず、薄手の白いレースのカーテンをかけていたのだけれど、外光がよく入るし明るい部屋になったではないかと、それはそれで気に入っていた。
いまの東京の部屋でもそれは同じ。
断熱効果も期待できないから、冬のこの時期は寒いし暖房効果も低いのだが、部屋にかくまった植物たちのためにも変えることは難しい。
話は逸れたが、新年2日目の朝である。
窓から差し込む朝日の眩しさに起こされはしたが、昨夜に温泉で温まったおかげで、夢を見ることなくグッスリと眠れた。
姪の結婚式と自分の試験日がかぶった件については、まだ脳の中心で燻っていたものの、もう半ば結論は出ている気がした。
家の階下からは今朝もテレビ中継の音がしている。
布団から出て居間に顔を出すと、父と母が箱根駅伝の1日目を観ていた。
食卓には一人前の朝飯が置かれたままだ。
たぶん2人はもう済ませていて、自分のものが置かれているのだろう、目玉焼きと赤飯が並んでいた。
自分の気配に気づいた母から、案の定「やっと起きたか、ごはんを食べなさい」と言われたが、自分はシャワーを浴びてからにすると言って、居間に背中を向けてすぐの所にある脱衣所に入る。
シャワーを済ませて居間に戻ると、母が赤飯をレンジで温め直してきてくれた。
自分で蒸したものではあるが、赤飯は数日経っていても、温め直せば蒸したてのように美味しくなるから面白い。
ひとりで自画自賛しながら赤飯を食べる俺に、両親は構うことなくテレビの駅伝を見ている。
ちょうど第一グループの1区の選手たちが、2区の選手にタスキをわたす中継地点にもうすぐ到達するぐらいの頃だった。
テレビに表示されている出場している大学名を見ると、見慣れないチームが随分と増えていた。
自分の母校も毎年のように出てはいるのだが、あまり勝負事に興味がないので、応援は両親たちにお任せしている。
しかし大学を卒業してから年数も経ったせいなのか、両親たちも息子の母校への愛着は減っているようで、いろんな大学の選手を応援するようになっていた。
とっくに朝食は食べ終えていたが、花の2区でレースが動いたこともあり、その決着を見届けてから東京に帰ることにした。
帰ることを告げると母は驚いた様子をしていたが、昨日の晩に言ったでしょ、と自分が言うと、もの凄くガッカリし始めた。
なんだか親不孝なことをしているような気分にさせられるが、家にいたところで何もしないのだ。
父が駅まで車で送って行くと言うので、駅伝が観なくていいのかと訊くと、別に良いのだと言う。
昔であればブーブーと聴き取れない文句を言っていたところなのに、人は変わるものなのだなぁと少し不思議に思った。
駅まで送ってもらう車の中では、母が姪①の結婚に関する裏話と父の手術について、ものすごい勢いで話し始めた。
たぶん自分がすぐに帰らなければ、家でのんびりと話すつもりだったのだろう。
孫(姪①)に病院の手配をしてもらえるなんて幸せものね、とご近所の人に言われたのだと、うれしそうに話していた。
母が40歳のときに孫(姪①)が産まれたので、当時は困惑することもあっただろうが、姪①も真っ当な方に育ってくれたおかげもあって、昔の苦労も報われているように感じてくれていれば幸いである。
息子の結婚も待ち望んではいるようだけれども、あまり強要してくることはない。
これは推測ではあるのだが、昔の自分が故郷から強制的に働きに出されたことや、若くして結婚したことへの後悔が、影響しているのだと思う。
好き勝手にさせてもらえていることに、少しは報いたいとは思うけれど、一体どうすればいいのかはいい歳になった今でもよくわからない。
けれども、いまはこれが一番だろうと思って、母の報告事項が終わったタイミングを見計らって、今年の試験は受けずに姪の結婚式に出ることにしたよ、と改めて言った。
すると母は「えー!いいのかい?」と念を押して確認してくるが、その声はとても明るかった。
駅のロータリーで車から降りて、車で去って行く両親を見送る。
次は父が入院先に見舞いに行くよ、と言うと、両親からは、来なくていいよ、と返してきた。
遠くて大変だろう、と自分に気を使われることを気にしているようだった。
ここで本当に行かなかったら、姉たちに何を言われるかわからないという理由もあるが、今回は割りと素直な気持ちで見舞いに行くつもりでいたのだけれども。
言うなれば家族孝行というやつ。
でも親としては子どもには心配されたくはないらしい。
親の威厳というものだろうか。
しかし、両親もいつまで生きるかはわからないし、それは自分も同じで、いつ死ぬのかは誰もわからないのだ。
孝行はできるときにしておきたい。
最寄駅のホームで電車を待つこと20分。
一昨日とは打って変わり、温かい陽の光が駅ビルの向こうから差し込んでくる。
この時期に珍しく風も弱くて、本を読む手も悴むことはなかった。
ようやくやってきた電車に乗ると、初売りに出かける人や、挨拶回りの帰りか、逆に向かう人たちで、それなりに混み合っていた。
空いていた座席に座ると、車の中で母に言われたことを思い返された。
午前のうちに帰ると言った時の残念そうにしていたことが、やっぱり気になって仕方がなかったのだ。
本家から送られてきた牛肉を解凍したのに、とも言っていたし、帰省した自分にしてやろうと考えていたことが他にもあったのかもしれない。
事前に言っておいてくれればいいのに、と思ったが、考えてみれば自分も似たタイプの人間なのであった。
もう少し照れずに親孝行ができればいいのに、などと思いながら、車内の家族連れを眺めて電車に揺られて東京に戻る。
(母が種から育てたアボガドの苗、真冬で外に出されたままだが頑丈に育っている)
(オレンジ色の丸いやつは何かのキノコ)
東京の部屋に到着する頃にはお昼をとうに過ぎていたので、荷物を置いたら食事がてら、初詣と初売りに行くことにした。
隣町には大師様とショッピングセンターがあるので、なかなかに都合がよく、去年からこのコースを辿ることを恒例にしようと考えていたのだ。
大師様では達磨市や屋台も多く出て賑わいがあり、東京らしい雰囲気があってとても感じがいい。
あと水泳教室が一緒のエリオが、今年も学生バイトとして働くのだと言っていたので、もし遭遇することができたら年始の挨拶をするつもりだった。
大師様の裏手にある山門に着くと、お守りや破魔弓などを売るお札所で、早速、エリオが法被を着て座っているのが見えた。
まさかこんなすぐに見つかるとは。
昨年はおみくじを引いた後に結びに行った所で偶然出くわして驚いたものだが、今年は探す余地などなく出くわすことになった。
すぐに声をかけようかと思ったがお客さんの相手をしていたので、働いている様子を隠し撮りだけして、先に参拝をすることにした。
(こちらには気づくことなく一人で番をするエリオ)
表の山門には長蛇の列ができていたが、天気もよくよく暖かかったので苦に感じることはなかった。
周りにいる人たちはほぼ家族連れで、自分のように一人で来ている人はあまりいない。
話し相手もいないので、四方八方から聴こえてくる会話に耳を澄まして時間を潰した。
面白かったのは参拝の仕方である。
順番が間近になって迷う人の多さに驚いた。
大抵の人は周りの人のやり方に倣って済ませてしまうのだが、周りを見ていない人は結構いて、直前まで「え!どうする?え!いいのかな?」と喋っている。
そんな風に「二礼二拍手だよね!」と神社の方式を確認し合っていた親子は、直前になって他の誰もそれをしていないことに戸惑っていた。
大師様なので拍手は要らないのだが、神社と寺の区別がついていないようだ。
結局、その親子は周りに気づかれないように、小さくペコペコと二礼二拍手をしてお参りをしていた。
その様子を見ていたら、なんだか神様も仏様も気の毒なことをさせるよなぁ、と思えてくる。
参拝を済ますと、エリオの番をするお札所に戻って、改めて挨拶をしに向かう。
だいぶ眠そうにしていたが、自分に気づくとパァッと表情が明るくなって、もじもじとしながら新年の挨拶をしてくれた。
それを見ると大学生といえども、まだまだ子どもだなぁと思った。
せっかくなのでエリオが番をするお札所で、おみくじを引かせてもらうことにした。
大吉が出てほしいなぁ!と言いながら選んでいると、エリオが「いや、ここは凶ばかりですよ」と忠告してくる。
縁起でもねーな!と言いながら引かせてもらったおみくじは、やっぱり凶だった。
「この人は常に心迷いやすく、何事も手につかぬたちなり、信心固くして心を一つにかため十分仕遂げるべし」とある。
まさに昨日のことだな!と驚いていたら、エリオにも思うところがあったようで、二人で「あ〜」という声を漏らした。
しかし凶ではあるのだが、よくよく読めばそんなに悪いことが書いてあるわけではなかった。
やはり、上機嫌で抜かりなくいることが、人生の肝なのだろうか。
大師様を後にして、駅の反対側にあるショッピングセンターの初売りに向かう。
生活用品の福袋があれば買いたいなぁと思って行ってはみたが、残念なことにめぼしいものは特になかった。
つまらんなぁ…と思いながら他の店舗を回っていると、ABCマートで防水機能を持った革靴がいろいろと並んでいるのが目に入る。
ずっと以前から雪の日や大雨の日に使える長靴を探してはいたのだが、普通の革靴でも防水機能を持った革靴が、結構な品数で販売されているとは知らなかった。
それなりの素材感もあって、形も品のある靴なのに重量感はなく、中敷にはクッション性が施されていて驚くほど履き心地もよい。
これは買いでしょ!と、熟考した後に二足買うことにした。
これで一年は持たせられるはず。
初売りで安くなっていた上に、二足目が半額になるシステムも使い、一年分の買い物をお得に済ませることができた。
(ホーキンスの防水ビジネスシューズ2足で1万2千円)
靴の買い物で気を良くしてしまった自分は、荷物もあるのにもう一駅電車に乗って、よく行くデパ地下まで初売りの様子を見に行くことにした。
ちょうどたくさんケースに並んだ寿司に半額シールが貼られている頃で、お客さんがたくさん群がっているではないか。
ラッキー!と自分も混じってはみたものの、みんな荷物を抱えながら密集してくるので、変な体勢になりながら寿司を吟味する。
まだ夕飯には早かったがお昼も食べていなかったので、自分も中トロの入った寿司とネギトロ太巻きを勢いに任せて買うことに。
あと谷中珈琲で福袋が余っていたので買い、両手に袋を下げながら電車に乗って帰る。
部屋に戻って買ったものを仕舞い、寿司を食べ終えると一気に眠気に襲われてきてしまった。
(合わせて800円ぐらいで済んだ🍣)
正月のテレビを観たいのになぁと思いつつ、半分気を失ったようになりながらシャワーを浴びて、布団に入るとすぐに眠りについた。
タイマーでラジオを流してはいたけれど、聴きとる気力など最早ない。
そういえば年末から年始にかけて、年賀状やら大掃除やら赤飯やら帰省やらで、ずっと忙しかったもんなぁ、と自分で自分を慰めた。
こんな年末年始をあと何回過ごすことになるのだろうか、と少し途方に暮れたが、すべては自分のもの好きに由来することである。
せめて、かの人と共有できればいいのだけれど、と微かに思わないでもなかったが、きっと興味はないだろうし。
これはこれで幸せなことだよなぁ、と思い直して、睡魔に意識を委ねることにした。
#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)③