ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#きょうの水泳教室

久々に水泳教室についての記録。およそ二ヵ月ぶりになるだろうか。

ずっと水泳教室に行っていなかったわけではなく、むしろ皆勤賞で毎週欠かさずに出席していた。

単純な話、ブログに記録するのをサボっていただけで、ずっとブログに書いておきたいなぁ、とは考えていたのだ。

ただ、資格試験の勉強もあって時間もなかったし、それとなにより、練習の内容がハードになって心身共に余裕がなくなった。

かなり疲れる練習で、やったことを憶えてる暇もなかった。

どうして練習がハードになったかというと、ひとつは水泳教室の参加者が、自分一人だけの日が増えたことにある。

この2ヶ月ぐらい、スジ筋兄上は仕事が忙しかったようで、いつもの教室を休みがちになり、エリオの方も体調不良や大学の課題で休みがちだった。

水泳教室の参加者が少ないせいで、一人当たりの練習量が必然的に増えてしまったのだ。

コーチとマンツーマンの練習になるので、それはそれでかなりお得なことではある。

けれども、体力的にはなかなかタフさが要する、ということは、以前にも書いたことがあると思う。

それとこれが最大の要因なのだが、ジム主催の水泳大会にエントリーしたのである。

このエントリーをきっかけに、コーチがせっかく試合に出るのだからと張り切り、大会に向けてスピード練習をする比重を増やしてくれた。

そのおかげで、以前にも増してハードな練習になったのだった。

このジム主催の水泳大会は、ほぼ定期的に毎年開催されていて、関東近県の系列ジムの利用者が参加する大会だ。

場所は国際大会も開かれる辰巳国際水泳場で、本番さながらに飛び込み台からスタートし、SEIKOの黄色い計測版でタイムを計る。

掲示板にもデカデカと自分の名前とタイムが表示さ れて、公式の試合と同じような雰囲気がある。

ただ、大会のコンセプトは「泳力の腕試し」なので、ジムとしては初心者の人にも参加してほしいようだ。

しかし、結果的に泳力に自身のある人ばかりが参加するようになってしまい、参加者が年々減ってきてしまっているという。

実は一昨年に、自分も参加したことはある。

あまりの力の差に臆してしまって、もう少し泳力がつくまでは決して出場しまい、と固く心に誓ったほど、他の選手との力の差を思い知らされた記憶が強い。

だから、参加者が減っている事情も然もありなんという感じである。

じゃあ、今回エントリーしたということは、それなりの泳力がついたという話になるのだが、十分ではないけどまぁまぁかなぁ、という程度。

以前よりは、だいぶ泳力はついたとは思うのだが、他の出場者のレベルには達してはいない、という自覚だけはあった。

そんなレベルで何故にエントリーしたのかというと、エリオから「出ましょう!」と誘われたからで、要は断りきれなかったのだ。

エリオ的には、兄上と自分と3人で出場したかったようなのだが、兄上が頑なに拒否したがために、成り行き上、断りづらくなって自分が出ることになったわけである。

エリオはこの大会に出たことはなく、自分の泳力が伸びていることもあって、若さゆえの自信に満ち溢れていて怖いもの知らずといった様子。

大会に出たら圧倒的な力の差を思い知らされて、心が折れるかもしれないぞ、という兄上と自分の忠告など、まったく聞く耳を持たなかった。

ただ、コーチの話では、この大会もコンセプトと実態が違ってきたので、そろそろ開催されなくなるかも、とも言う。

そう聞くと元来のケチクサ根性が働いて、せっかくだから出ておこうかな、という気持ちになってくる。

本番で他の猛者たちに打ちのめされるのは、目に見えてはいるが、思い出づくりにはいい機会だ。

エントリーしたのは、自由形50mと平泳ぎ50mのレース。

コーチからは、しきりに個人メドレー100mを勧められたが、前回の種目と同じにして泳力がどれだけ伸びたのかを測ることにした。

そうするとエリオも「じゃあ僕も同じにします!」と言って、同じ種目でエントリーすることにしたようだった。

きっと年代別で泳ぐことになるから、大学生のエリアとは同じ組で泳ぐことはないと思うのだが、エリオ的には勝負を挑んできたつもりなのだろう。

若さゆえの負けん気の強さが、ここでもうかがい知れた。

そんなこんなで、エントリーの締切週に申し込みをしたのが10月ごろ。

元々、部活のようだと言われていた我がクラスではあったが、こうした経緯で試合向けの練習にアップデートされた。

内容的にはインターバル練習が中心で、全速力で泳ぐことを短い間隔で繰返し、身体的な限界に挑戦するというもの。

25mを1分サークルから40秒サークルで、50mを90秒サークルから70秒サークルで、6本~10本で繰返し泳ぐ。

自分の場合は25mを泳ぐのに平均で25秒ぐらいかかるので、休憩が15秒しかとれないし、後になるにつれて疲労もたまって遅くなるので、休憩時間もどんどん短くなる。

兄上やエリオがいれば、順々に泳ぐことになって休憩時間も増えるのだが、ひとりの時には短くなりがちで、より過酷さが増くことに。

それに、練習のハードさに慣れてくると、徐々に負荷やインターバルも短かくされるので、あまりの苦しさに意識が飛ぶかも!!と思いながら、泳ぐ練習がずっと続いた。

しかし、タフな練習をしていても、無意識的に自分でセーブして泳いではいるので、より大きな負荷をかけて、そのセーブしているリミッターを外す練習もした。

要は「火事場の馬鹿力」を人工的に発揮させるような練習。

この練習をしたときなんか、エリオは貧血を起こしてしばらく動けなくなったりしたこともあった。

そんなハードな練習をしたあとは、なかなか息切れが治まらなかったし、心拍数も上がったまま落ち着きにくい。

外はだいぶ寒くなってきているのにも関わらず 、汗だくになりながら電車で毎週帰宅していた。

そんな練習はとても辛いものだったが、苦に思うことはなかった。

幸いなことに、実際に泳力は上がっていることを実感することができていたおかげだと思う。

それに練習に集中すると、仕事やプライベートのストレスをスッパリと忘れることができたので、いいリフレッシュになっていた。

仕事以外でも自分の能力を伸ばす余地があることを実感できたのは、ある種のヒーリング効果があったのだろうか。

途中フォームを直したり、スピードのリミットを外すトレーニングをした後は、思っている以上に好タイムを出せたりすると、モチベーションもより高まったりもした。

自分には伸びしろがあることに驚かされたし、なにより楽しくて仕方がなかったように思う。

おそらくは、ランナーズハイみたいなものだったのかもしれない。

兄上は「これは選手コースと同じだな」と言いながら、自分は大会に出ないにも関わらず、同じ練習に付き合ってくれた。

一部の参加者にレベルを合わせることは、クレームを言われてもおかしくないのに。

ただ、たくさん練習はしたのだが、十分に練習ができたかというと課題は残っていて。
スピードを出すとクイックターンのタイミングが取れないし、飛び込みスタートの練習も間に合わせることができなかった。

悔しいところではあるが、できる限りの練習はできたと思うし、個人的には早く泳ぎたい気持ちでいっぱいだった。

はたして、本番の大会で記録を出せるのかどうか。

そればっかり次第に気になっていった。

エントリー時には、50m自由形を50秒、50m平泳ぎを50秒で自己申告していた。

いずれもジムのプールで、全力で泳いだ時のタイムを参考にしたものだ。

本番は飛び込みスタートだし、辰巳のプールは水質も良いので、エントリータイムよりは速く泳げるとは思われる。

だけど、どれだけ速くなるかはやってみないとわからないところだった。

スタートで深く潜り込みすぎたり、ターンで壁を蹴り損ねたりすると、大きなタイムロスになる。

ちなみに依然として勝気なエリオは、50m自由形を40秒、50m平泳ぎを50秒でエントリーしていた。

今後の練習で上達することを見越して、普段よりも速いタイムで申告したようだ。

この前のめりな姿勢は、性格によるものなのか、年齢による積極性の違いなのか。

きょうは年明け一発目の練習で、大会前の最後の練習でもあった。

年末年始をはさんで二週間ぶりに泳いだこともあって、やはり身体がかなり怠く感じられた。

かなりスッキリはしたが、本番前の仕上がりとしては完璧とは言い難い。

しかし以前と比べたら、確実に上達はしている。

そんな風にエリオに倣って、前向きなことを互いに言い合いながら、吉野家で牛丼を食べて帰った。

(納豆に紅生姜を混ぜて食べると、超美味いことを発見した)

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#きょうの水泳教室

 

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)③

実家にある自分の部屋は東向きに窓がある。

朝日が登ると外の光の眩しさで目が覚めてしまうから、夏場は朝早く起きることになるし、冬場はよく寝坊ばかりしていた。

遮光カーテンでもかければ、外の眩しさで起こされることもないのだが、昔の自分は、遮光カーテンの見た目が重々しく見えていたので、部屋にかけたいとは思わなかった。

厚みのある生地や高貴さを醸す重量感のある柄のせいで、部屋の雰囲気も重くなる気がしたのだ。

だから自分は眩しい思いをするにも関わらず、薄手の白いレースのカーテンをかけていたのだけれど、外光がよく入るし明るい部屋になったではないかと、それはそれで気に入っていた。

いまの東京の部屋でもそれは同じ。

断熱効果も期待できないから、冬のこの時期は寒いし暖房効果も低いのだが、部屋にかくまった植物たちのためにも変えることは難しい。

話は逸れたが、新年2日目の朝である。

窓から差し込む朝日の眩しさに起こされはしたが、昨夜に温泉で温まったおかげで、夢を見ることなくグッスリと眠れた。

姪の結婚式と自分の試験日がかぶった件については、まだ脳の中心で燻っていたものの、もう半ば結論は出ている気がした。

家の階下からは今朝もテレビ中継の音がしている。

布団から出て居間に顔を出すと、父と母が箱根駅伝の1日目を観ていた。

食卓には一人前の朝飯が置かれたままだ。

たぶん2人はもう済ませていて、自分のものが置かれているのだろう、目玉焼きと赤飯が並んでいた。

自分の気配に気づいた母から、案の定「やっと起きたか、ごはんを食べなさい」と言われたが、自分はシャワーを浴びてからにすると言って、居間に背中を向けてすぐの所にある脱衣所に入る。

シャワーを済ませて居間に戻ると、母が赤飯をレンジで温め直してきてくれた。

自分で蒸したものではあるが、赤飯は数日経っていても、温め直せば蒸したてのように美味しくなるから面白い。

ひとりで自画自賛しながら赤飯を食べる俺に、両親は構うことなくテレビの駅伝を見ている。

ちょうど第一グループの1区の選手たちが、2区の選手にタスキをわたす中継地点にもうすぐ到達するぐらいの頃だった。

テレビに表示されている出場している大学名を見ると、見慣れないチームが随分と増えていた。

自分の母校も毎年のように出てはいるのだが、あまり勝負事に興味がないので、応援は両親たちにお任せしている。

しかし大学を卒業してから年数も経ったせいなのか、両親たちも息子の母校への愛着は減っているようで、いろんな大学の選手を応援するようになっていた。

とっくに朝食は食べ終えていたが、花の2区でレースが動いたこともあり、その決着を見届けてから東京に帰ることにした。

帰ることを告げると母は驚いた様子をしていたが、昨日の晩に言ったでしょ、と自分が言うと、もの凄くガッカリし始めた。

なんだか親不孝なことをしているような気分にさせられるが、家にいたところで何もしないのだ。

父が駅まで車で送って行くと言うので、駅伝が観なくていいのかと訊くと、別に良いのだと言う。

昔であればブーブーと聴き取れない文句を言っていたところなのに、人は変わるものなのだなぁと少し不思議に思った。

駅まで送ってもらう車の中では、母が姪①の結婚に関する裏話と父の手術について、ものすごい勢いで話し始めた。

たぶん自分がすぐに帰らなければ、家でのんびりと話すつもりだったのだろう。

孫(姪①)に病院の手配をしてもらえるなんて幸せものね、とご近所の人に言われたのだと、うれしそうに話していた。

母が40歳のときに孫(姪①)が産まれたので、当時は困惑することもあっただろうが、姪①も真っ当な方に育ってくれたおかげもあって、昔の苦労も報われているように感じてくれていれば幸いである。

息子の結婚も待ち望んではいるようだけれども、あまり強要してくることはない。

これは推測ではあるのだが、昔の自分が故郷から強制的に働きに出されたことや、若くして結婚したことへの後悔が、影響しているのだと思う。

好き勝手にさせてもらえていることに、少しは報いたいとは思うけれど、一体どうすればいいのかはいい歳になった今でもよくわからない。

けれども、いまはこれが一番だろうと思って、母の報告事項が終わったタイミングを見計らって、今年の試験は受けずに姪の結婚式に出ることにしたよ、と改めて言った。

すると母は「えー!いいのかい?」と念を押して確認してくるが、その声はとても明るかった。

駅のロータリーで車から降りて、車で去って行く両親を見送る。

次は父が入院先に見舞いに行くよ、と言うと、両親からは、来なくていいよ、と返してきた。

遠くて大変だろう、と自分に気を使われることを気にしているようだった。

ここで本当に行かなかったら、姉たちに何を言われるかわからないという理由もあるが、今回は割りと素直な気持ちで見舞いに行くつもりでいたのだけれども。

言うなれば家族孝行というやつ。

でも親としては子どもには心配されたくはないらしい。

親の威厳というものだろうか。

しかし、両親もいつまで生きるかはわからないし、それは自分も同じで、いつ死ぬのかは誰もわからないのだ。

孝行はできるときにしておきたい。

最寄駅のホームで電車を待つこと20分。

一昨日とは打って変わり、温かい陽の光が駅ビルの向こうから差し込んでくる。

この時期に珍しく風も弱くて、本を読む手も悴むことはなかった。

ようやくやってきた電車に乗ると、初売りに出かける人や、挨拶回りの帰りか、逆に向かう人たちで、それなりに混み合っていた。

空いていた座席に座ると、車の中で母に言われたことを思い返された。

午前のうちに帰ると言った時の残念そうにしていたことが、やっぱり気になって仕方がなかったのだ。

本家から送られてきた牛肉を解凍したのに、とも言っていたし、帰省した自分にしてやろうと考えていたことが他にもあったのかもしれない。

事前に言っておいてくれればいいのに、と思ったが、考えてみれば自分も似たタイプの人間なのであった。

もう少し照れずに親孝行ができればいいのに、などと思いながら、車内の家族連れを眺めて電車に揺られて東京に戻る。

(母が種から育てたアボガドの苗、真冬で外に出されたままだが頑丈に育っている)

(オレンジ色の丸いやつは何かのキノコ)

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東京の部屋に到着する頃にはお昼をとうに過ぎていたので、荷物を置いたら食事がてら、初詣と初売りに行くことにした。

隣町には大師様とショッピングセンターがあるので、なかなかに都合がよく、去年からこのコースを辿ることを恒例にしようと考えていたのだ。

大師様では達磨市や屋台も多く出て賑わいがあり、東京らしい雰囲気があってとても感じがいい。

あと水泳教室が一緒のエリオが、今年も学生バイトとして働くのだと言っていたので、もし遭遇することができたら年始の挨拶をするつもりだった。

大師様の裏手にある山門に着くと、お守りや破魔弓などを売るお札所で、早速、エリオが法被を着て座っているのが見えた。

まさかこんなすぐに見つかるとは。

昨年はおみくじを引いた後に結びに行った所で偶然出くわして驚いたものだが、今年は探す余地などなく出くわすことになった。

すぐに声をかけようかと思ったがお客さんの相手をしていたので、働いている様子を隠し撮りだけして、先に参拝をすることにした。

(こちらには気づくことなく一人で番をするエリオ)

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表の山門には長蛇の列ができていたが、天気もよくよく暖かかったので苦に感じることはなかった。

周りにいる人たちはほぼ家族連れで、自分のように一人で来ている人はあまりいない。

話し相手もいないので、四方八方から聴こえてくる会話に耳を澄まして時間を潰した。

面白かったのは参拝の仕方である。

順番が間近になって迷う人の多さに驚いた。

大抵の人は周りの人のやり方に倣って済ませてしまうのだが、周りを見ていない人は結構いて、直前まで「え!どうする?え!いいのかな?」と喋っている。

そんな風に「二礼二拍手だよね!」と神社の方式を確認し合っていた親子は、直前になって他の誰もそれをしていないことに戸惑っていた。

大師様なので拍手は要らないのだが、神社と寺の区別がついていないようだ。

結局、その親子は周りに気づかれないように、小さくペコペコと二礼二拍手をしてお参りをしていた。

その様子を見ていたら、なんだか神様も仏様も気の毒なことをさせるよなぁ、と思えてくる。

参拝を済ますと、エリオの番をするお札所に戻って、改めて挨拶をしに向かう。

だいぶ眠そうにしていたが、自分に気づくとパァッと表情が明るくなって、もじもじとしながら新年の挨拶をしてくれた。

それを見ると大学生といえども、まだまだ子どもだなぁと思った。

せっかくなのでエリオが番をするお札所で、おみくじを引かせてもらうことにした。

大吉が出てほしいなぁ!と言いながら選んでいると、エリオが「いや、ここは凶ばかりですよ」と忠告してくる。

縁起でもねーな!と言いながら引かせてもらったおみくじは、やっぱり凶だった。

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「この人は常に心迷いやすく、何事も手につかぬたちなり、信心固くして心を一つにかため十分仕遂げるべし」とある。

まさに昨日のことだな!と驚いていたら、エリオにも思うところがあったようで、二人で「あ〜」という声を漏らした。

しかし凶ではあるのだが、よくよく読めばそんなに悪いことが書いてあるわけではなかった。

やはり、上機嫌で抜かりなくいることが、人生の肝なのだろうか。

大師様を後にして、駅の反対側にあるショッピングセンターの初売りに向かう。

生活用品の福袋があれば買いたいなぁと思って行ってはみたが、残念なことにめぼしいものは特になかった。

つまらんなぁ…と思いながら他の店舗を回っていると、ABCマートで防水機能を持った革靴がいろいろと並んでいるのが目に入る。

ずっと以前から雪の日や大雨の日に使える長靴を探してはいたのだが、普通の革靴でも防水機能を持った革靴が、結構な品数で販売されているとは知らなかった。

それなりの素材感もあって、形も品のある靴なのに重量感はなく、中敷にはクッション性が施されていて驚くほど履き心地もよい。

これは買いでしょ!と、熟考した後に二足買うことにした。

これで一年は持たせられるはず。

初売りで安くなっていた上に、二足目が半額になるシステムも使い、一年分の買い物をお得に済ませることができた。

(ホーキンスの防水ビジネスシューズ2足で1万2千円)

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靴の買い物で気を良くしてしまった自分は、荷物もあるのにもう一駅電車に乗って、よく行くデパ地下まで初売りの様子を見に行くことにした。

ちょうどたくさんケースに並んだ寿司に半額シールが貼られている頃で、お客さんがたくさん群がっているではないか。

ラッキー!と自分も混じってはみたものの、みんな荷物を抱えながら密集してくるので、変な体勢になりながら寿司を吟味する。

まだ夕飯には早かったがお昼も食べていなかったので、自分も中トロの入った寿司とネギトロ太巻きを勢いに任せて買うことに。

あと谷中珈琲で福袋が余っていたので買い、両手に袋を下げながら電車に乗って帰る。

部屋に戻って買ったものを仕舞い、寿司を食べ終えると一気に眠気に襲われてきてしまった。

(合わせて800円ぐらいで済んだ🍣)

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正月のテレビを観たいのになぁと思いつつ、半分気を失ったようになりながらシャワーを浴びて、布団に入るとすぐに眠りについた。

タイマーでラジオを流してはいたけれど、聴きとる気力など最早ない。

そういえば年末から年始にかけて、年賀状やら大掃除やら赤飯やら帰省やらで、ずっと忙しかったもんなぁ、と自分で自分を慰めた。

こんな年末年始をあと何回過ごすことになるのだろうか、と少し途方に暮れたが、すべては自分のもの好きに由来することである。

せめて、かの人と共有できればいいのだけれど、と微かに思わないでもなかったが、きっと興味はないだろうし。

これはこれで幸せなことだよなぁ、と思い直して、睡魔に意識を委ねることにした。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)③

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)②

昨晩に入った温泉のおかげか、久々にグッスリと眠れたので、起きる時間も遅くなってしまった。

普段であれば、5時ぐらいから動き出す両親の生活音で起きたりするのだが、この日は時計を見ると9時を少し過ぎてしまっていた。

階下の居間からは、テレビの中継音声が微かに聴こえてくる。

ニューイヤー駅伝だろうか。

うちの父親は走る趣味はないのに、駅伝の中継放送を見るのは好きで、元旦のニューイヤー駅伝と2日3日の箱根駅伝は毎年かかさずテレビで見ている。

過酷なレース展開や、後方のチームが繰り上げスタートになる場面がテレビで映ると、必ず盛り上がったりして結構下衆な見方をしている。

自分は走るのは好きだが、そういう下世話な話題は得意ではないので、例年は席を外すか、新聞を読むことに集中したりして両親の会話に混じることはない。

しかし、きょうは寝坊したこともあり、自分の分の朝食が父の見るテレビのある居間に用意されてしまっていて逃れることは難しく、仕方なしに同席することにした。

11時には姉①宅で新年会があるし、支度もしないといけないからそんなに時間もない。

朝食は、目玉焼きと昨晩の鍋の残りとご飯、というメニューでやっぱり正月らしさは皆無だったが、両親は自分が作ってきた赤飯を食べたらしく、美味しかったよと言ってくれた。

食べ終わってからは、姉①②家族へのお土産の用意をする。

姪①②と甥①はもう社会人なのでお年玉は用意しなくても良くなったのだが、父の治療についていろいろと手配をしてもらったので、御年賀と御礼の品で360mlサイズのTIGER製タンブラー型水筒を用意しておいた。

3人とも車通勤なので片手で開けられてロックもできるやつにした。

最近は少量型の水筒が流行ってるとラジオで聴いたので、もう持っているかもしれないが、毎日使うものであれば二個あった方が便利に違いない。

しかし最近の水筒の軽量化は想像以上で、人に贈るものではあるが、水筒を持った瞬間のあまりの軽さに、自分用にも欲しくなってしまった。

お年玉の方は、まだ大学生の甥②と中学生の甥③にあげるだけになった。

5人分から2人分だけとなると、だいぶ負担も軽くなって良いのだが、その分は寂しさも感じられたりもしてくる。

お年玉が減った分のついでと言ってはなんだが、甥③に読んでみてほしい本を何冊か見繕ってあげることにした。

姉①②と各義兄には、お菓子とお酒を御年賀として贈り、この間の別府旅行で買った入浴剤をお土産を用意してきた。

それと、昨日蒸した赤飯。

荷物をまとめると、サブバックがパンパンになって大荷物になった。

姉①宅に着くと、義兄と姉①が台所でおせちの盛りつけと仕上げをしていた。

義兄は結婚した当初、料理をする人ではなかったのだが、子どもが増えるにつれて料理をするようになった。

姪も甥も姉①がつくる料理より美味しいからと、義兄の料理を望んだことに気を良くして、いろいろと作るようになったらしい。

形式ばった年始の挨拶を済ませると、御年賀とお土産と赤飯を手渡す。

「なんで赤飯!?」と驚かれたのだが、事前にLINEで連絡していたのに驚かれる方が驚くはー、と少し不服に思うなどした。

後から思い返すに、「(赤飯は買ってくると思ってたのにまさかの自作だったとは!でも)『なんで赤飯(を作ることに)?』」という意味の発言だったようだ。

地元の方言とは言わないが、密度の粗い会話に癖があることを忘れていた。

階下での物音に気づいたのか、姪①が上の部屋から降りてきて挨拶をする。

甥①は昨晩から遊びに出かけていて、姪②は仕事でいないらしい。

なので、御年賀のハンカチと御礼の水筒をまとめて渡すと、意外と喜んでくれた。

ちょっと前までムスッとした顔で「ありがとう」と素っ気なく言うだけだったのに、大人になったもんだなぁと感心する。

周りから見たら、自分も同じ感じに見られているのかもしれない。

しばらくすると、姉②家族もやって来て、席に座る間もなく新年の挨拶とお年賀の交換、甥②③にお年玉を渡す。

甥②は大学生になっても少しアホで素直なので、「わ!ありがとう!卒論用に本を買うね!」と言ってくれたが、甥③は思春期真っ只中で目を合わせることさえも恥ずかしそうにして、小声で「ありがとう…」と言っていた。

一昨年までは必ず仮装をして流行りのネタをカバーして披露してくれたのだが、それはもう望めないのかもしれない。

中学校の文化祭では漫才を披露して大喝采を受けたと聞いていたので、今年は漫才ネタをひろうしてくれるのかなと期待してはいたのだが。

やはり学校のその他大勢に見せるのと、家族に見せるのとではだいぶ違うものなのだろう。

そういえば先日に、ストリッパーのダンサーは客の前では裸になって股を開きながら踊ることはできるが、家族の前では踊ることさえ恥ずかしく感じる、という話を本で読んだばかりだった。

一通りの挨拶を済ませると、姉①が両親にお年玉をあげているではないか。

俺は用意してないぞ!と出し抜かれたように思ったが、ここは気付かぬふりをしてやり過ごすのが得策、と存在感を消すことにした。

やいややいやと各々で喋っていると、義兄①が台所で作業をしながら「先に食べてくださーい」と言うので、締まりのないままに身内による身内のための新年会がスタートした。

(義兄①が作ったおせちと姉①が作った肉料理と俺が作った赤飯)

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テレビでは父が見ているニューイヤー駅伝の中継が流れ、甥②③はスマホゲームと名探偵コナンの漫画を読み始め、母と姉②は台所の仕事を手伝い始めた。

手持ち無沙汰になった自分は義兄②に酒を注いで、姪①に届いたジャニーズファンクラブの年賀状について、いろいろとオタク事情について話を聞いた。

驚いたのは、甥①が働いている小学校の生徒から年賀状が届いていたことである。

しかも去年まで臨時採用で働いていた学校の生徒からも届いているらしい。

ちゃんと子どもたちに慕われる先生をしているようだ。

あんなに勉強が嫌いだったのに。

知らないところで、みんな大人の振る舞いをするようになったらしい。

台所の仕事をひと段落させて、義兄①がテーブルにつくと、自分の前にビールと日本酒と焼酎の入ったグラスが並んだ。

(義兄①が用意してくれた刺身と持参した日本酒と肉しか食わない甥②とコナンを読み込む甥③)

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酒飲みな義兄①は、唯一身内で酒が飲める自分が来るのを楽しみにしていると姉①から聴いてはいたが、いきなりチャンポンをさせられるとはピッチが早過ぎる。

しかし、日本酒も焼酎も美味しくて、あっという間に義兄①と2人で一本空けてしまった。

しばらくすると、遊びに出かけていた甥①が帰ってきて、それを見計らうように姪①の婚約相手の子が来られた。

そういえば、きょうのメインイベントは姪の婚約相手に挨拶することだったのだが、酒の旨さにすっかり忘れてしまっていた。

簡単な自己紹介を終えると、酒が入って気を良くした義兄①と一緒に婚約相手いじりを始めて、いろいろ聞き出してみたが、姪①の機嫌を図りながらの応答はなかなかに骨が折れた。

少し気の触る質問をすると、仕返しのつもりなのか、姪が「◯◯(俺の名前)は結婚しないの?」と聞いてくるではないか。

その瞬間、家族の一部で空気が止まったように感じられたが、自分はそれを打ち破るべく「俺は結婚なんかしませーん」と声を張り上げて答えると、止まっていた空気が落胆の雰囲気を醸したようだった。

姪も暖簾に腕押しと見たのか、それ以上に追求してくることはなかった。

単に自分のいじりを止めるのが目的だったのかもしれない。

姉たちは台所仕事に戻り、甥たちはスマホとコナンに夢中だったし、父はテレビの駅伝ばかりを気にしていた。

肝心の婚約相手は、完全アウェイの場でも注目されることなく、思い出したように発せられる質問に誠実に答えていた。

聞けば、来月には隣町で一緒に住み始めるそうで、11月に結婚式の日取りも決めてあるのだという。

本当に結婚するんだ!って驚いていたのは自分だけで、他の家族はなんでお前は驚いているんだと呆れている様子だった。

教えてくれていないのにその反応は無いだろうと思うのだが、いつものことなので受け流す。

母が合いの手を加えるように、「そうよ!11月◯日は結婚式だから!予定を空けておきなさい!」と言う。

「あー、はいはい11月ね。土日なら休みだよー」と答えたものの、なんだか嫌な予感がしてスマホで検索してみるとその日は資格試験の受験日だった。

またもや落胆の雰囲気を醸す家族。

姪は「いいよいいよ来なくても、年に一回だけなんでしょ?」と、まるで俺には来て欲しくないかのような、フォローになってないフォローをしてくる。

自分はムキになって「結婚式は一生に一回だろうが!」と答えて、別の試験を受けることにする!と宣言したものの、心の底でまだ迷いは燻らせていた。

姪は気を使ってくれるが、母や姉①はあからさまに出席してほしそうにしていた。

夜の式だったら出られるのだが…。

公式の日程は出ていないから、とりあえず決めるのは先延ばしをすることにした。

正直、今年受けておきたい資格ではあったが、別に会社から求められている資格でもないのだ。

再来年受けるつもりだった資格を今年受けたって、誰も困らないし、不満に思うのは自分だけなのだ。

しかしそうは言っても心残りは消えない。

元旦からこんな岐路に立たされることになるとは…、と大袈裟に打ちひしがれていると、姉②がそろそろ帰るね、と言い出した。

どうやら婚約相手に気を使って帰ることにしたらしい。

そういえば、義兄と姉①とちゃんと話らしい話をしていないのだから、たしかにその他の親族は席を外した方が良さそうだった。

できれば自分は話を聞いてみたいけれど、と思ったのだけれど、母も同調して帰る!と言い出すではないか。

そうなると早いもので、テーブルの上はあっという間に片付けられ、バタバタバタと帰り支度をして車に乗り込む。

俺の結婚式と受験とどちらにするか問題は、もう誰も気にする様子はなかった。

ではではまたね、と挨拶をすると、姉①家族は近所に帰省していた甥の同級生の元に行って話し込み始めた。

婚約相手はまたしばらく放置されることが確定し、雑な扱いをして申し訳ないと同情するしかなかった。

まぁ、気を使われない方が楽なんだと、後でもいいから気づいてくれるといいんだけれども。

勝手な願いをしながら、姉①宅を後にして自宅に戻った。

しかしそういえば、父の治療の話が出てこなかったな、と思い出した。

姉たちの気遣いなのか、それとも単に忘れていただけなのか。

そんなに心配することではない証拠なのかもしれないが、うちの家族の雑さは折り紙付きだなと改めて思い直した。

型がないから良くも悪くも締まりがない。

帰宅するとチャンポンしたせいで身体が怠くて、横になっていたのだが、夕飯にうどんを食べるとすっかり酔いは冷めてしまった。

(義兄①が手打ちしたうどん)

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食べ終わると両親は早々に寝室に行ってしまったので、またもや手持ち無沙汰になった自分は、きょうも隣町の温泉に行くことにした。

晦日の昨日よりも、元旦となると流石に客は少なかったけれど、普段よりかは客の数が確実に多い。

露天風呂には、昨晩に吹き荒れていた風はすっかり落ち着いていたが、身体の芯まで冷えるような寒さと澄んだ色をした夜空が広がっている。

きょうも頭寒足熱で気持ちがいいな、と心地よさに酔いたくなったものの、「受験をするべきか、姪の結婚式に出るべきか」の問題が、ふと自分の脳裏に去来してくる。

先っき結婚式に出ることにしたはずなのに、何度も何度も迷いが蘇ってくるのだ。

なんとか自分を納得させる理屈を考えたかったのだろうか。

去年の昨日まではなかった問題を、元旦から悶々と考えることになるとは想像などしていなかった。

頭寒足熱の気持ちよさに、問題を溶かすことができたら助かるのに。

昨日は若い客の身体を眺める余裕があったが、きょうはため息まじりに夜空を眺めるしかなかった。

(風呂上りの牛乳でカルシウム補充)

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それは帰り道の車でも、家に着いて布団に入った後にも引きずって、どうしたもんだろうかーと悶々としたまま、2020年の1日目が終わってしまった。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)②

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)①

今回の年末年始は、例年になく慌ただしく過ぎて行った。

12月まで試験勉強があったせいで、年賀状の準備は遅々として進まず、大掃除も6割の完成度のままに迎えた。

いつもならまだまだ余裕があって、年末年始の休暇となれば、かの人と会えたりするだろうかと悶々と過ごしていたものなのだが。

今回は早々に「よいお年を」というメッセージをやり取りしてしまったこともあってか、久々に心を乱すことなく年越しの準備に集中することができた。

やることがいっぱいだと、悶々とする暇さえ無いし、寂しささえも感じられなかったのは不思議だと思った。

年越しの準備が終わらないがために、映画も観に行けないし、積読の本も読めないし、次の試験勉強もできないし、とやりたいことはたくさんあれども、それらがままならないことの方がストレスだった。

年賀状も大掃除も、別に人から求められていることではなく、自分で決めたことだから辞めたっていいのだけれど、自分が決めたことだからこそ辞められないのだ。

あと、今回は例年とは少し違う趣きの用事もあって、どう対処したらよいのかわからなくて少し気が立っていた気がする。

元旦には姉①宅に両親と姉②家族も集まって新年会をやるのだが、今年は姪①の婚約者を連れてくるというのだ。

また、父に前立腺癌が見つかってから、手術までの段取りがついたばかりということもあり、家族中がソワソワしている感じでいた。

早期の癌なので大事には至らず、心配もいらないようなのだが、両親が秘密裏に進めようとしていたがために、発覚したときには姉①が必要以上に騒ぎ立ててしまったのだ。

姪②が初ボーナスをもらったので両親(姪にとっては祖父母)にご馳走しようと連絡したら、両親が病院にいたタイミングだったらしく、話の流れで父に癌があることが発覚してしまった。

なんで内緒にしようとしていたのか、真意はわからないが、子どもに心配されたくないこともあるだろう。

しかし、病院嫌いで気の弱い父のことだから、自分で自身のことを心配したくなかったのではないかと思う。

案の定、病気が発覚してからは、少し弱気になりながらも気丈に振舞うことをアピールしてきたりする。

心配されることに少し悦に入ってきているのではないか、と諌めたくなる気持ちが湧いてくるが家族の手前もあるのでグッと抑える。

ここまで読んでお気づきの方もあろうが、自分と父とは昔から馬が合わない。

働き者ではあるが稼ぎは少なくお調子者でわがままで外面がいい父親を、自分はいつも反面教師として見てきた。

こうはなるまい、と思って過ごしていれば、ひとつ屋根の下に暮らしていたとしても仲良くなるはずがない。

父の方もやっと生まれてきた念願の男の子が、自分の好きな野球には興味を持たないし、ヤンチャをすることもない、むしろ勉強ばっかして進学校に行くような、そんな子どもになるとは期待していなかったようだ。

子どもの頃に「キャッチボールをしよう!」という父の誘いを、自分は「なんで?」と答えて暗に断ったときは、かなり残念そうにしていた。

その時の若い父の顔は、朧げながらもまだ憶えている。

しかし、趣味や性格に考え方は交わることなく乖離する一方で、話題さえも噛み合わないようになってからは数十年も経った。

それでも元来のお調子者の性格が幸いしたようで、悪態をつかれることもなく息子として扱ってくれるのは、ありがたいことなのだろうと、内心、思い直すようになった。

だから、もうすぐ再雇用で働いていた仕事も辞めるとも言うし、ならば、両親を旅行にでも連れて行ってあげようかと考えてもいたのだ。

自分と一緒に行って楽しいかどうかはわからないが、ご馳走や接待はお店の人に頼めばなんとかなるだろう、と心の奥底にある躊躇を納得させようとしていた。

しかしそんな矢先に、父に癌が見つかった連絡を受けて、妄想は儚くも崩れさった。

一昨年は母が肺炎で倒れ、昨年は姉①がクモ膜下で倒れ、今年は父が癌に見つかって大騒ぎ。

連絡をくれた姪①が「3年連続だね」と言うから、思わず「来年は誰だろうね」と縁起でもないことを言ってしまった。

人生をひとりで生きることなどできないが故に、自分の思った通りには進まない。

わかってはいるが、どうしたら正解なのかは一向にわかる気がしない。

ちょうど朝ドラの『スカーレット』では、荒くれ者な父親役の北村一輝が、家族に黙って残り少ない余命を終えようとする話が展開していた。

いつも父も朝ドラを母と見ているわけで、似通った境遇のこのドラマの展開も目にしているはずだ。

どんな風に見ているんだろうか。

とりあえず自分は、主人公の喜美子のように献身的な振る舞いはできないものの、同じように父を父として、その尊厳を保てられたら良いのかなと思った。

なにか特別なことはせず、ひとりの人間として立てることが、自分のしてあげたいことなのではないか、とそう思ったのである。

そもそも早期の癌なので、ドラマの喜美子の父とは違って余命が少ないわけではない。

とりあえず、癌のことは置いておいて、定年退職の御祝いをすることにした。

田舎から集団就職で埼玉に出てきて以来、仕事先は転々としがちだったようだが、ずっと働いてきたのは事実だ。

お調子者で外面はいいから、早朝から夜遅くまでサービス残業を進んでやっていた。

世間の景気が悪くなると、能力以上のことを頼まれるようになって、上手くいかなくなるとイジけて出社拒否をするようなこともあった。

母の心配や苦労も絶えず、お世辞にも"いい父親"では言い難いのだが、そんなシステムの社会を耐え抜いて生きてきたのだから見事だとは思う。

退職する間際も、ずっと仕事が辞めたいと思っていたらしく、直前には「心臓が痛くなった」と言って休むようになったらしい。

見かねた母が「会社を休むんだったら、せめて病院に行って来い」と行かせると、心臓はただのストレスだった。

しかし検査の中で癌が見つかったので、想定とはだいぶ異なる流れではあるけれど、念願叶って父は会社を退職することができた。

癌も早期で見つかったし、手術の段取りも社会福祉士をしている孫(姪①)が手配してくれた。

病気になったことは多少の躓きではあるが、その後の流れは人の人生としてはラッキーな展開ではある。

身内がいなければ、すべて自分でこなさないといけない。

病気になったことにショックを受けながら、あの煩雑な入院や保険や行政の手続きをするのは益々心が折れると思う。

自分は自分で覚悟はしておかないとな、と思いつつ、困ったときは助けてくれる家族をつくった父のことは、讃えた方が良いように思えたのだ。

だからひとまずは、手術もあるから旅行には行けないけれども、正月には父の好物の赤飯を蒸して持って帰ることにした。

新年会に持参する分と自分で食べるように、餅つき機で8合ずつ、晦日と大晦日で2回蒸した。

大掃除を進めつつの赤飯の準備は、時間配分で頭がフル回転で目が回るかと思ったが、大晦日の夜には実家に帰ることができた。

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最寄り駅まで迎えに来た父は、なにかを言いたげだったが「きょうは風が強いな」と言って、車を実家まで走らせた。

お土産の中から蒸した赤飯を出すと、「お!やったやった!」と喜んでいた。

「そこは『ありがとう』だろうよ?」と思いつつも、自分の息子だったらリアクションが雑でも仕方ないか、と思い直す。

ただ、母は年越し蕎麦を用意していたので、父が赤飯を食べると言うと、不服そうにはしていた。

けれども、俺が父のために赤飯を用意してきたことには、少し気を良くしている様子だった。

(今回の大晦日は鍋と蕎麦(卓上ガスは使わない))

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うちは昔から大晦日だからと言っても紅白を見る習慣はないので、両親が録画したテレビ番組(記憶がない)を見ながら、年越しの雰囲気は薄いままに蕎麦を食べた。

久々に帰ってきた息子の近況を聞かれることもなく、テレビの話でやんややんやと会話が交わされている。

父の病気のことも特に話に出ないので、そのままにしておいた。

20時を過ぎると、母も父も眠くなったと言って、寝室に行ってしまった。

いつものことだから驚きもしないのだが、実家に帰ってきたのにまた一人になってしまったな、と年の瀬の手持ち無沙汰をどうにかしようと、隣町の温泉に行くことにした。

晦日の温泉は、家族連れや帰省中の若者グループ、そして冬休み中の学生たちで混み合っていた。

その日は台風みたいに風が強い日で、露天風呂のエリアに出ると身体の表面は一瞬に冷えて、床面の冷たさに思わず爪先立ちになるほどだったが、お湯に浸かると頭寒足熱でとても心地よかった。

空を見上げると、湯気の切れ間から濃紺の夜空と強い光で瞬く星々が見える。

オリオン座がちょうど正面に浮かんでいた。

風が強いから空気が澄んで、昔よりも星が見えるような気がする。

町の明かりが減ったのだろうか。

たしかに、最近は空き家が増えたと母が話していた。

ふと歳をとった親の姿を思い出し、この町も過疎ってきているのかもしれないな、と若者で賑わう温泉を眺めながら逆のことを思った。

(風呂上りに飲んだ青汁)

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温泉からの帰り道は、ラジオを聴きながら車で遠回りをして帰った。

近所の不動尊に初詣に向かう家族や中学生たちが、暗い夜道を厚着をしてモコモコと歩いている。

うちの両親は初詣にも行かないので、昔は一般的な慣習をちゃんとこなす家のことをうらやましく思うこともあったなぁ、と思い出す。

自分は他の家庭と比べては親を責めることが多すぎる気がある。

育ちや経済的な理由、無知であることなど、いろいろ理由はあったのだろうが、自分の子どもからそれを責められるとは決していい気分ではなかっただろう。

喜美子は父親からブチ切れられていたけれど、自分は面と向かって怒られることはなく、父を萎縮させるばかりだったように思う(そうは言っても改める父ではないのだが)。

ラジオから年末の番組とあって、パーソナリティの気の抜けた会話が流れている。

リスナーの投稿ネタで一緒に笑いながら、いま自分が一人でいるのもワケがあるのだな、と実感した。

田んぼの向こうに見える家々は、窓を明るくしているところも少ない。

ライトに照らされたアスファルトの道路と、星々の輝く夜空で二分された視界を眺めながら、昔の記憶と行き来していたら、いつの間にか新年を迎えていた。

ラジオからは賑やかな声が聴こえてくるが、車の中はシンと冷え込んできて、温泉で温まった身体も足先が冷たくなってきた。

ひとりでいると妄想ばかり捗って仕方がない。

けれど、昨年はかの人のことばかりを考えていたものだが、今年は少しも考えなかった。

良いことなのか悪いことなのかはわからない。

ただ自分の人生は自分だけのものではないのだろう、ということは実感したように思う。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年秋(1日目午前)

大分空港には予定よりも5分遅れで到着した。

飛行機の窓から滑走路の向こうを見ると、青空には刷毛でサッとはいたような白い雲が広がっている。

雨で暗かった東京とは違って、とても暖かそうな空気が、辺りの景色を明るく包んでいるように見えた。

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よくある地方空港と同じように、大分空港も小規模な空港ではあるけれど、改装したばかりのようで小ざっぱりとしている。

白を基調にした内装のデザインが、絶好の天気の良さのおかげで、とても映えて眩しいぐらいだ。

どちらかというと、南国リゾート地をイメージさせるほどの明るさに少し驚いてしまった。

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到着ゲートを出ると、かぼすで作られたタワー?ピラミッドが飾ってあった。

ビターで爽やかな香りで出迎えてもらえるとは、粋な計らいだなぁと感心してしまう。

自分の地元では香りを用いて歓迎することは難しい。

予約していたレンタカーの受付窓口は、到着ロビーの中央に仮設のブースが設けられていた。

全国区の業者から地元のみの業者まで、各社のブースでは係の人が忙しそうに接客の対応をされている。

自分が頼んでいた業者は、ちょうど運良く一区切りついたところで、待つことなく受付を済ませてもらう。

借りる車は空港の敷地に隣接する店舗にあるそうなので、送迎車に乗せてもらって店舗に向かう。

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空港の外に出ると、ヤシの木が並木となって植えられていて、硬い葉っぱが明るい日光を照り返していた。

大分は九州の上半分に位置するので、南国のイメージはなかったのだが、緯度を考えれば宮崎の方に近いのだから、南国の雰囲気を漂わせるのも変なことではない。

レンタカーの事務所に着くと、手続きは早々に済ませて、係の女性と車のチェックに向かう。

大分に来るのは初めてなので、念のため係の人に、大分のドライバーの気質やローカルルールはあるのかどうかを尋ねてみた。

しかし、質問の主旨が上手く伝わらなかったようで、質問を変えて、北九州の運転はかなり雑に感じたんですが大分はどうでしょう? と聞いてみる。

すると係の方は「北九州ほどではないと思いますょ」と答えてくれた。

運転スキル的には、どうやら自分の経験値で足りそうな感じで少し安心する。

今回用意してもらったのも軽自動車クラスの車だ。

車種はダイハツのムーブで色は真っ白。

年式は少し古いが乗り慣れている大きさなので、これなら特段に運転で困ることはなさそうだった。

係の人から鍵を受け取って車に乗り込むと、エンジンをかけて最初の目的地をナビに設定する。

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早朝からアーモンドチョコとコーヒーしか飲んでいなかったので、とにかくおなかが空いていた。

とりあえずは、腹ごしらえに行くことにしようか。

事前に目星をつけておいた、別府市内にある中華料理屋に目的地をセットする。

1時間ほどで到着するようで、開店時間と同じ時刻でタイミングもいい。

道順を軽く頭に入れて、レンタカーの駐車場から空港前の大通りに出て車を走らせる。

なにせ初めて走る土地なもんで、市内までの道のりはどんな光景が広がっているのだろうかと心が逸ってくる。

湾岸沿いの道路に出ると、地図的には瀬戸内海と別府湾のどっちともつかない海が、白い水色でキラキラと輝いていた。

砂浜も白い色に近く、海と空の青と沿岸部の木々の緑とのコントラストが美しく見える。

途中、砂浜に降りていく若者のグループも見かけられたので、寄り道しようかと思うものの、それは駐車スペースを通り過ぎてしまった後だった。

帰りに時間があったら寄ってみることにして、そのまま先を急ぐことにした。

道なりに進んでいくと、昔は有料道路だったらしい「空港道路」に入っていく。

高速道路のような見た目をしているが、車線が2車線になったり1車線になったりして、あまり走ったことのない道路だった。

それに中央分離帯が頑丈な塀になっているゾーンもあれば、ポールだけのゾーンもあったり、また、緩やかなアップダウンもある変化の激しい道路で、なかなかに運転も慌ただしくなる。

先っきまでは湾岸沿いの道路だったけれど、空港道路に入ると山の中を走っていくので景色も一変した。

視界に移ろいで行く山の樹々の様子は、緑色が濃いのはもちろんなのだが、柔らかく厚い葉を茂らせており 、風に揺れる様子が実にしなやかで、独特な様子をしている。

やはり温暖な気候だからなのだろうか、関東で見る広葉樹とはだいぶ違うものに見えた。

時折、山と山の間からは、ミカン畑や田畑の広がる様子を眺められた 。

山鳥の声もよく響いてくる。

まだ大分に来たばかりだったが、少しの時間で大分の自然の豊かさを思い知ることができたように思う。

空港道路を降りて別府方面のバイパスに出ると、また湾岸沿いの道路に出た。

(友だちの母校、立命館アジア太平洋大学の入口。左側は海。)

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大きなトラックと仕事や買い物中の乗用車、または自分と同じように旅行中のレンタカーなどが途切れなく走っていく。

道路脇にはまた大きなヤシの木がそびえたって並んでいて、左側には海と右側には山という景色がずっと続いた。

陽も高くなって気温も上がってきて、なおさらに南国に来たような感覚になってきた。

車が市街地に入って行くと、全国チェーンの店舗に並んで、見慣れない名前のスーパーやレストラン、企業の看板が目に入ってくる。

どの建物もコンクリート造のものが多く、ゴツゴツとしている。

台風対策なのだろうか、それとも海沿いだからなのだろうか。

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しばらくすると、ガイドブックで見た海浜砂湯のある公園や別府タワーの前を、予期せず車が通過して行った。

あーガイドブックに載ってたやつだーと、場所を自分の目で確認すると、地元の人のように、もういつでも来られる気がしてくるから不思議だ。

しかし同じ日本ではあるのだけれど、見慣れない地名の看板や店舗を眺めていると、パラレルワールドに来てしまったかのようになって、頭がポーッとしてくる。

「これこそ文字通りのトリップじゃんね~」と、NHK大河ドラマ 『いだてん』のまーちゃんの風体で言ってみては、ひとり車の中で肩を震わせて笑った。

ひとり旅なのだから遠慮はいらない。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年秋(1日目午前)

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年秋(1日目朝)

羽田空港までの道中、バスは渋滞に止まることなく進んだようで、予定の到着時刻よりもだいぶ早く着いてしまった。

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雨粒でぼやける窓の外を眺めていたら、うつらうつらとちょうど眠くなっていたところだった。

毎日聴いている早朝のラジオをイヤホンで流していたのだけれど、聴いた内容が果たして事実なのか夢の中でのことなのか定かでなくなってくる。

まどろむ、という表現が合っているのかもしれないが、実際は全身の血液がよどんでくるような重さが感じられて、ふらつきながらバスを降りて空港の出入口に向かう。

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羽田空港の発着ロビーは、早朝にもかかわらず人でいっぱいだった。

外国人の家族連れや出張に向かうサラリーマン、修学旅行生の集団もいて、かなりにぎやかで早朝だというのにみな明るい顔をしている。

それにつられて、自分のテンションも自然と上がってくる。

しかし、到着後は車を運転することだし、少しでも寝ておこうと、搭乗手続きと荷物検査を済ませて、早々に大分行きの飛行機の搭乗ゲートに向かう。

搭乗ゲートは保安検査場から近いところにあって、一旦バスに乗ってから飛行機に向かう専用のゲートだった。

行先を見ると九州や四国の空港が並んでいるが、搭乗人数が少ないとこのゲートに回されたりするのだろうか。

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搭乗ゲート前のロビーは、出発ロビーの喧騒とは裏腹に人影は少なく、ガランとしていて少し寒気を感じるほどだ。

隣の便の出発時間が近づくと、ワッと人が集まったが、あっという間に静かになる。

やっぱり早く着き過ぎたなぁと後悔しつつ、搭乗時間まで眼を閉じて到着後の旅程を考える。

天気予報では大分は晴れているようだったが、具体的な予定は、到着してから考えることにしていた。

天気が良ければ露天風呂のある温泉に向かい、悪ければ食事をメインにしようかなぁなどと、あれやこれやとシュミレーションをしてみる。

道路が渋滞するのかどうかもわからないし、目的地に駐車場がなければ、うろうろと探すことになって時間をロスする羽目にもなる。

土地勘もない所に行けば当たり前のことなのだが 、できれば誰かに準備しておいてほしいなぁ、と考えれば考えるほど面倒くさくもなってくる。

愚痴を言う相手もいないからストレスはたまる一方だが、自分のせいなのだから仕方がない。

誰のせいでもなく、すべては自分で自分をそう仕向けたことなのだ。

いろんなことから逃避してばかりだが、旅に出ること自体がそういうことなのかもしれない。

(ゲートの番号は縁起が良かった)

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旅程を考えていたはずなのに、いつの間にか自分の振る舞いを反省していて、気づけば搭乗時刻になっていた。

ロビーの席も人でいっぱいになっている。

地上係員の女性が明るい声で、搭乗する順番の案内を始めた。
てっきりガラガラでのフライトになるかと思ったが、それなりに搭乗者の数はいたようだ。

搭乗の改札を通過してバスに乗り込み、空港のどこかに停まっている飛行機に向かう。

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滑走路を走って行く途中、バスの車窓からは、いろんな飛行機や車両、貨物や倉庫など、普段は見慣れない空港の様子が眺められた。

飛行機に直で乗り込むゲートより、バスに乗って行く方が楽しいなぁと改めて思う。

乗り込む飛行機は空港の端っこの方に停まっていた。

駐停車したバスから降りると、だだっ広い滑走路には強い風が吹きすさんでいて、寝癖のついた髪も吹き飛んで形がさらに崩れた。

(機体を間近に見られるのも良い)

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(滑走路を歩けるのも良い)
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(トンネル屋根の階段に近未来感があるんさ)

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(バスが去って行くところ)
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滑走路の向こうには東京の風景が白く靄っていて、夜が明けてようやく東京の空の様子を窺い知ることができた。

雨は弱い霧雨になっていたが、完璧な曇天の上に風が強く、あまり御機嫌は良くないようだった。

これは揺れるかもしれんぞ、と心配しつつ、タラップを上がって飛行機に乗り込む。

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機内に入って指定の席に座ると、後続のバスが到着する度に乗り込んでくる乗客の様子を眺めて時間を潰す。

服装から見て、半分が仕事で半分が旅行のお客さんたちのようだ。

出発時間が近づくと、離陸の時間が遅れるとアナウンスされた。

天候がよくないせいか、前の便がつかえて順番待ちをしているらしい。

スマホ機内モードに変更した後で、完全に手持無沙汰になったので買っておいた雑誌のるるぶを開く。

けれど、雑誌の紙質が膝の上でペタペタっと開くので、読みづらくてすぐに閉じた。

仕方なく窓の外を眺めるが、飛行機の窓にも大粒の水滴がついていて、外の様子がにじんで見える。

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ようやく離陸の順番が来ると、いつも聴いてはいるけれど何を意味するのかわからないサイン音と共に、飛行機が離陸に向けて速度を上げて走り出す。

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離陸した直後はさすがに揺れたが、あっという間に雲の上まで浮上すると、機体の揺れは一瞬で安定した。

水滴だらけだった機体の窓もクリアになって、午前の光に照らされて雲海が白く輝いていた。

景色のまぶしさで眠気も吹き飛んでいく。

ようやく旅が始まった感じがして、また改めてテンションが上がってくる。

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#ゲイと東京から遠く離れて 1日目早朝

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年秋(1日目早朝)

JALから指定された大分に向かう飛行機は、7:25発の羽田空港-大分空港の便だった。

自分が指定した時間帯に出発する便ではあるが、一体何時に起きて家を出ればよいのかと、考えるのも嫌になるほどの朝の早さだ。

空港での諸手続きのことを考えれば、できることなら30分前には着いておきたいところ。

ただ、その日はちょうど接近していた台風からの雨と、即位の礼の影響で東京のそこかしこで交通規制が敷かれる計画もあるらしい。

時間ギリギリで行動するのは避けた方が良さそうなのだが、電車とバスのどちらも遅延のリスクがあることは否めない。
よくよく交通規制の予定を調べてみれば、午前10時から始まる予定だった。

大雨の影響で電車が遅延する可能性に比べると、高速バスで羽田空港に向かうことの方が確実のように思えた。

そもそも、接近する台風のせいで飛行機が欠航になる可能性もなくはない。

前日のJALの運行情報では、予定通りの発着になりそうではあるが、早起きして空港に行ったところで欠航になったら、その努力が報われない気もしてくる。

などなど、頭の中で無駄にシミュレーションを繰り返し、出発前日まで、まだ起きてもいないことで溜め息ばかりをついていた。

レンタカーとホテルは予約済みだけど、航空券も含めて飛行機が欠航になれば、費用がかからずにキャンセルできる。

だから、そこまでストレスに感じる必要もないのだけど、前向きに考えようとしても、それは「何も準備しない」と同じことのように思えた。

直前まで旅程が定まらないのは、余計な心配をさせられるからやっぱり苦手だ。

出発の当日になると、スマホの目覚ましのアラーム音で起きたものの、脳みそが重たくて身体が起き上がらない。

タイマーでセットしていた部屋のライトもついて、最大限の明るさが眼に入ると鈍い痛みがしてくる。

しばらくぼんやりとしたいたけれど、前日にセットしていた最後通告のアラームが鳴ったので、覚悟を決めて起き上がる。

半分寝たような状態で軽くシャワーをして、中途半端に終わらせていた荷造りを済ませると、家を出るのにちょうど良い時間だった。

外に出るとまだ薄暗くて、街灯がまだ青白い光を放っていた。

暗いのは大雨のせいなのか、それとも季節が秋へと着実に進んでいる証なのか。

最近、香るようになってきていた金木犀の匂いも、雨粒の匂いで打ち消されてしまっていた。

見慣れない街の様子に違和感を抱きつつ、最寄りのコンビニでお茶を買って近くのバス停に向かう。

そのバス停には屋根があるものの、台風みたいな雨のせいで、屋根の下に立っていても雨が吹き込んでくるほどだった。

バス停にはサラリーマンの男性がキャリーバックと並んで立っていたが、屋根の下にいるのに傘をさしていた。

自分もそれに倣って横に並ぶが、やっぱり服は吹き込んでくる雨で、着ている服が濡れてくる。

数分後にバスが到着すると、蛍光イエローの雨具を着た車掌さんが 、チケットの確認と先客の男性の荷物をバスの荷台に収納する作業を始めた。

数分のことであったが、すでにびしょ濡れになってしまっている。

もしかしたら、前のバス停から濡れていたのかもしれないが、それはそれで気の毒にも思えてくる。

帽子でよく見えなかったが華奢な身体をした若い車掌さんで、帽子の下から覗く襟足は綺麗に刈り上げられていて、青白い頭皮が雨か汗で光って見えた。

聴こえてくる声は10代の響きを持っているが、高卒で入社したばかりなのだろうか。

ついつい、バス会社のキャリアプランがどんなものなのか想像してしまう。

潰しの効かない業種のように思えるが、実際のところはどうなのだろうか。

自分のチケットをチェックしてもらうと、自由席なので空いてる席に座るようにと、まだあどけなく聴こえる声で業務的な案内をされる。

一瞬だけ見えた顔は髭も薄く、やっぱり少年のような顔をしていた。

バスに乗り込むと半分くらいの席が先客で埋まっていた。

片側二席が空いてるところがあったので、荷物を降ろして自分は窓際の席に座る。

雨で濡れた窓の外を見ると、若い車掌の子が無線でどこかと連絡を取り合っているのが見えた。

彼のキャリアプランがどうとか、完全に余計なお世話なことだったなぁと反省しつつ、目線をバスの前方に直して出発を待つ。

眠り直したいところではあるが、バスの中がなかなかに明るくて眩しい。

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他に術なく目を瞑ると、かの人に以前「何様のつもりなのか」と言われたときの記憶が蘇ってきた。

言われたときは、何でそんなことを言われるのか理解ができなかった。

しかし、ひょんなことから距離ができて、そのまま会うこともなくなって、結構な時間が経ってしまった。
そんな風に言われたのか、いまではその理由が何となくわかる。

自分は他人の価値観に土足で入って踏み荒らすきらいがある。

 

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年秋(1日目早朝)