#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)①
今回の年末年始は、例年になく慌ただしく過ぎて行った。
12月まで試験勉強があったせいで、年賀状の準備は遅々として進まず、大掃除も6割の完成度のままに迎えた。
いつもならまだまだ余裕があって、年末年始の休暇となれば、かの人と会えたりするだろうかと悶々と過ごしていたものなのだが。
今回は早々に「よいお年を」というメッセージをやり取りしてしまったこともあってか、久々に心を乱すことなく年越しの準備に集中することができた。
やることがいっぱいだと、悶々とする暇さえ無いし、寂しささえも感じられなかったのは不思議だと思った。
年越しの準備が終わらないがために、映画も観に行けないし、積読の本も読めないし、次の試験勉強もできないし、とやりたいことはたくさんあれども、それらがままならないことの方がストレスだった。
年賀状も大掃除も、別に人から求められていることではなく、自分で決めたことだから辞めたっていいのだけれど、自分が決めたことだからこそ辞められないのだ。
あと、今回は例年とは少し違う趣きの用事もあって、どう対処したらよいのかわからなくて少し気が立っていた気がする。
元旦には姉①宅に両親と姉②家族も集まって新年会をやるのだが、今年は姪①の婚約者を連れてくるというのだ。
また、父に前立腺癌が見つかってから、手術までの段取りがついたばかりということもあり、家族中がソワソワしている感じでいた。
早期の癌なので大事には至らず、心配もいらないようなのだが、両親が秘密裏に進めようとしていたがために、発覚したときには姉①が必要以上に騒ぎ立ててしまったのだ。
姪②が初ボーナスをもらったので両親(姪にとっては祖父母)にご馳走しようと連絡したら、両親が病院にいたタイミングだったらしく、話の流れで父に癌があることが発覚してしまった。
なんで内緒にしようとしていたのか、真意はわからないが、子どもに心配されたくないこともあるだろう。
しかし、病院嫌いで気の弱い父のことだから、自分で自身のことを心配したくなかったのではないかと思う。
案の定、病気が発覚してからは、少し弱気になりながらも気丈に振舞うことをアピールしてきたりする。
心配されることに少し悦に入ってきているのではないか、と諌めたくなる気持ちが湧いてくるが家族の手前もあるのでグッと抑える。
ここまで読んでお気づきの方もあろうが、自分と父とは昔から馬が合わない。
働き者ではあるが稼ぎは少なくお調子者でわがままで外面がいい父親を、自分はいつも反面教師として見てきた。
こうはなるまい、と思って過ごしていれば、ひとつ屋根の下に暮らしていたとしても仲良くなるはずがない。
父の方もやっと生まれてきた念願の男の子が、自分の好きな野球には興味を持たないし、ヤンチャをすることもない、むしろ勉強ばっかして進学校に行くような、そんな子どもになるとは期待していなかったようだ。
子どもの頃に「キャッチボールをしよう!」という父の誘いを、自分は「なんで?」と答えて暗に断ったときは、かなり残念そうにしていた。
その時の若い父の顔は、朧げながらもまだ憶えている。
しかし、趣味や性格に考え方は交わることなく乖離する一方で、話題さえも噛み合わないようになってからは数十年も経った。
それでも元来のお調子者の性格が幸いしたようで、悪態をつかれることもなく息子として扱ってくれるのは、ありがたいことなのだろうと、内心、思い直すようになった。
だから、もうすぐ再雇用で働いていた仕事も辞めるとも言うし、ならば、両親を旅行にでも連れて行ってあげようかと考えてもいたのだ。
自分と一緒に行って楽しいかどうかはわからないが、ご馳走や接待はお店の人に頼めばなんとかなるだろう、と心の奥底にある躊躇を納得させようとしていた。
しかしそんな矢先に、父に癌が見つかった連絡を受けて、妄想は儚くも崩れさった。
一昨年は母が肺炎で倒れ、昨年は姉①がクモ膜下で倒れ、今年は父が癌に見つかって大騒ぎ。
連絡をくれた姪①が「3年連続だね」と言うから、思わず「来年は誰だろうね」と縁起でもないことを言ってしまった。
人生をひとりで生きることなどできないが故に、自分の思った通りには進まない。
わかってはいるが、どうしたら正解なのかは一向にわかる気がしない。
ちょうど朝ドラの『スカーレット』では、荒くれ者な父親役の北村一輝が、家族に黙って残り少ない余命を終えようとする話が展開していた。
いつも父も朝ドラを母と見ているわけで、似通った境遇のこのドラマの展開も目にしているはずだ。
どんな風に見ているんだろうか。
とりあえず自分は、主人公の喜美子のように献身的な振る舞いはできないものの、同じように父を父として、その尊厳を保てられたら良いのかなと思った。
なにか特別なことはせず、ひとりの人間として立てることが、自分のしてあげたいことなのではないか、とそう思ったのである。
そもそも早期の癌なので、ドラマの喜美子の父とは違って余命が少ないわけではない。
とりあえず、癌のことは置いておいて、定年退職の御祝いをすることにした。
田舎から集団就職で埼玉に出てきて以来、仕事先は転々としがちだったようだが、ずっと働いてきたのは事実だ。
お調子者で外面はいいから、早朝から夜遅くまでサービス残業を進んでやっていた。
世間の景気が悪くなると、能力以上のことを頼まれるようになって、上手くいかなくなるとイジけて出社拒否をするようなこともあった。
母の心配や苦労も絶えず、お世辞にも"いい父親"では言い難いのだが、そんなシステムの社会を耐え抜いて生きてきたのだから見事だとは思う。
退職する間際も、ずっと仕事が辞めたいと思っていたらしく、直前には「心臓が痛くなった」と言って休むようになったらしい。
見かねた母が「会社を休むんだったら、せめて病院に行って来い」と行かせると、心臓はただのストレスだった。
しかし検査の中で癌が見つかったので、想定とはだいぶ異なる流れではあるけれど、念願叶って父は会社を退職することができた。
癌も早期で見つかったし、手術の段取りも社会福祉士をしている孫(姪①)が手配してくれた。
病気になったことは多少の躓きではあるが、その後の流れは人の人生としてはラッキーな展開ではある。
身内がいなければ、すべて自分でこなさないといけない。
病気になったことにショックを受けながら、あの煩雑な入院や保険や行政の手続きをするのは益々心が折れると思う。
自分は自分で覚悟はしておかないとな、と思いつつ、困ったときは助けてくれる家族をつくった父のことは、讃えた方が良いように思えたのだ。
だからひとまずは、手術もあるから旅行には行けないけれども、正月には父の好物の赤飯を蒸して持って帰ることにした。
新年会に持参する分と自分で食べるように、餅つき機で8合ずつ、晦日と大晦日で2回蒸した。
大掃除を進めつつの赤飯の準備は、時間配分で頭がフル回転で目が回るかと思ったが、大晦日の夜には実家に帰ることができた。
最寄り駅まで迎えに来た父は、なにかを言いたげだったが「きょうは風が強いな」と言って、車を実家まで走らせた。
お土産の中から蒸した赤飯を出すと、「お!やったやった!」と喜んでいた。
「そこは『ありがとう』だろうよ?」と思いつつも、自分の息子だったらリアクションが雑でも仕方ないか、と思い直す。
ただ、母は年越し蕎麦を用意していたので、父が赤飯を食べると言うと、不服そうにはしていた。
けれども、俺が父のために赤飯を用意してきたことには、少し気を良くしている様子だった。
(今回の大晦日は鍋と蕎麦(卓上ガスは使わない))
うちは昔から大晦日だからと言っても紅白を見る習慣はないので、両親が録画したテレビ番組(記憶がない)を見ながら、年越しの雰囲気は薄いままに蕎麦を食べた。
久々に帰ってきた息子の近況を聞かれることもなく、テレビの話でやんややんやと会話が交わされている。
父の病気のことも特に話に出ないので、そのままにしておいた。
20時を過ぎると、母も父も眠くなったと言って、寝室に行ってしまった。
いつものことだから驚きもしないのだが、実家に帰ってきたのにまた一人になってしまったな、と年の瀬の手持ち無沙汰をどうにかしようと、隣町の温泉に行くことにした。
大晦日の温泉は、家族連れや帰省中の若者グループ、そして冬休み中の学生たちで混み合っていた。
その日は台風みたいに風が強い日で、露天風呂のエリアに出ると身体の表面は一瞬に冷えて、床面の冷たさに思わず爪先立ちになるほどだったが、お湯に浸かると頭寒足熱でとても心地よかった。
空を見上げると、湯気の切れ間から濃紺の夜空と強い光で瞬く星々が見える。
オリオン座がちょうど正面に浮かんでいた。
風が強いから空気が澄んで、昔よりも星が見えるような気がする。
町の明かりが減ったのだろうか。
たしかに、最近は空き家が増えたと母が話していた。
ふと歳をとった親の姿を思い出し、この町も過疎ってきているのかもしれないな、と若者で賑わう温泉を眺めながら逆のことを思った。
(風呂上りに飲んだ青汁)
温泉からの帰り道は、ラジオを聴きながら車で遠回りをして帰った。
近所の不動尊に初詣に向かう家族や中学生たちが、暗い夜道を厚着をしてモコモコと歩いている。
うちの両親は初詣にも行かないので、昔は一般的な慣習をちゃんとこなす家のことをうらやましく思うこともあったなぁ、と思い出す。
自分は他の家庭と比べては親を責めることが多すぎる気がある。
育ちや経済的な理由、無知であることなど、いろいろ理由はあったのだろうが、自分の子どもからそれを責められるとは決していい気分ではなかっただろう。
喜美子は父親からブチ切れられていたけれど、自分は面と向かって怒られることはなく、父を萎縮させるばかりだったように思う(そうは言っても改める父ではないのだが)。
ラジオから年末の番組とあって、パーソナリティの気の抜けた会話が流れている。
リスナーの投稿ネタで一緒に笑いながら、いま自分が一人でいるのもワケがあるのだな、と実感した。
田んぼの向こうに見える家々は、窓を明るくしているところも少ない。
ライトに照らされたアスファルトの道路と、星々の輝く夜空で二分された視界を眺めながら、昔の記憶と行き来していたら、いつの間にか新年を迎えていた。
ラジオからは賑やかな声が聴こえてくるが、車の中はシンと冷え込んできて、温泉で温まった身体も足先が冷たくなってきた。
ひとりでいると妄想ばかり捗って仕方がない。
けれど、昨年はかの人のことばかりを考えていたものだが、今年は少しも考えなかった。
良いことなのか悪いことなのかはわからない。
ただ自分の人生は自分だけのものではないのだろう、ということは実感したように思う。
#ゲイと東京から遠く離れて 年越し(2019-2020)