#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目午後)
今回の旅の目的は、民族学博物館で毎月やっている市民向けの講演を聴くことだった。
マイルの期限が近づいてきて、何処かに行こうかと検討している時に、民族学博物館の講演プログラムを調べて、その日程に旅程を合わせてみた。
きょうの講演のタイトルは、『文明の転換点におけるミュージアムーみんぱくのこれまでとこれから』。
民族学博物館の館長による講演で、期せずして500回記念の講演に当たるらしい。
学生の頃、学芸員資格を取るほど博物館や美術館が好きな自分には、聴かないという選択肢は無い講演だった。
特に民族学博物館については、自分は疎い分野であったので、これを機会に理解を深められたらと思っていた。
民族学博物館が特殊なのは、博物館や美術館では考古学や歴史学的に価値のある品が展示されているのだが、民族学博物館にはそれらの価値は無いものばかりが展示されている。
少し昔から現在まで、実際に使用されていたり生産されている生活用具や祭祀の道具が展示されている。
中にはもう生産されていない物もあって、それなりに貴重なものも含まれるだろうが、それは資料として貴重なのであって、希少で価値のある品かというと違う。
国や地域は異なれども、そこら辺にあるようなものを展示する意義とは何なのか、民族学に特化した博物館としての役割は何なのかを知ることができたら、と講演を聴くのがずっと楽しみにしていた。
開場時間になると早くも行列ができていた。
並んでいる人はみなスタンプカードを持っていて、受付の人に押してもらっている。
係の人も並んでいる人たちに「受講証を手に持ってお待ちください」と案内をしてくる。
事前受付は必要ないと案内にはあったのだが、受講証の有無で何か変わってくるのだろうか。
よくわからないまま並んで待ってはみるが、若干心配な気持ちがわいてくる。
自分の順番がきて受付の人に初めて来たと伝えると、係の人は「そうですかー」と言って、きょうの講演資料と「みんぱくゼミナール受講証」をくれた。
毎月の講演を聴きに来るごとにスタンプがひとつ押してもらえて、スタンプが10個たまると記念品がもらえるらしい。
なるほどみんなこれをモチベーションにして、セミナーを聴きに来ているのかと合点がいった。
しかしそんなに魅力的な記念品がもらえるのだろうか。
資料を持って講堂に入ると、思っていたよりも立派で大きく、中規模な学会やシンポジウムにも使えそうなホールだった。
人の少ない右脇の席に座って、公演の開始を待つ。
周りを見渡すとお年寄りが多いが、学生風の若者が2割くらい来ている。
一番少ないのが自分と同年代の客層という感じ。
ステージが明るくなったので、講演が始まるかと姿勢を正すと、みんぱくゼミナールの表彰式をやるとアナウンスされて、頭に?がたくさん浮かんだ。
聞けば毎月開催している講演の出席回数をカウントし、節目の回数を達成した人には表彰式を行なっているそうだ。
(表彰式の様子)
てっきり10回ごとに表彰してもらえるのかな、と式の様子を眺めていると、今回は80回受講した方と110回受講した方が表彰されている。
110回とか、毎月欠かさず出席したとしても、9年近くかかることではないか。
自分の予想を大きく超えてきた事実に、この博物館が生涯学習に力を入れていると実感させられたし、一気に好きになってしまった。
(館長から賞状を渡されているところを見て、自分も頂きたいと思うなどする)
表彰式が終わると、いよいよ館長の講演が始まった。
館長はアフリカの民族学を専門とされている方。
淡々とした口調ながら、内容がスッと理解できる語り口で1時間半の講演時間もあっという間に感じられた。
講演資料の余白にメモ書きをしていたのだけれど、書くスペースが無くなって困るほどに興味深い話を聴くことができたように思う。
覚書として箇条書きに記してみると、下記のような内容だった。
----------------------------
・みんぱくは人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関で、開館して43年たった
・みんぱくゼミナールは開館当初から開催している
・第一回目は加藤九祚先生による『明治初期の日本人が見た北アジアの民族』で、加藤先生のロシア抑留経験を活かして行っていた研究成果を発表された
・現在は52名の研究者が在籍し、世界各地へフィールドワークを行っている
・コレクションは同時代のもので歴史的美術的価値は薄い
・研究と共にコレクションは増えて、いまは34万5千点の世界最大規模の収蔵品があるが、展示されているのは全体の3%の約1万点に過ぎない
・常設展の展示ルートはほぼ開館当時と同じで、オセアニアからアメリカ大陸、アフリカ、欧州、アジア、日本の順にまわる
・世界各地の様子を把握して日本の民族文化の位置づけを考えてもらう仕組み
・だいぶ設備も古くなってきたので改装や、スマホアプリでの視聴覚メディアを開発している
・初代館長の梅棹忠夫は「博情館」を目指していた
・世界各地にある民族学博物館ではアフリカエリアの展示を見直しを進んできている
・植民地時代や奴隷貿易時代のままではいけない
・特にオリンピック開催地の博物館ではその展示内容が国際問題に発展しがち
・シドニーオリンピック開催時には、原住民アボリジニの文化運動が起こり、博物館では数々の文化的プログラムと共にアボリジニの権利主張が行われた
・東京五輪が開催される今年は、北海道でアイヌ民族に特化した国立博物館ウポポイが開館するのも同様の動きによるもの
・先住民の存在を知ってもらうのが博物館の意義
・民族の暮らしには変化が伴うものであり、保存を強いるものではない
・身体化された知識や経験は常に変化するもので、代表的な特徴を選定することは適さない
・文化と創造性を共に継承していくためには、有形文化財だけを保存するのではなく、人の営みである無形文化財と共に在る必要がある
・有形の文化財を奪われることもあるが、無形文化が継承されていれば、また作ることができる(カナダインディアンの文化財返還運動の例)
・物だけを大量に並べるだけでは実際のの生活は見えにくい
・その地域の日用品から実際の生活を実感するための展示方法を、現地の研究者と共に作り上げる取り組み
・一方向の権力を示すための博物館ではなく、双方向の協働作業をする場としての博物館を理想とする
・テンプル(神殿)としてのミュージアムではなく、フォーラム(議論の場)としてのミュージアム
・伝統/現代、以前/以降の二分方ではなく、歴史的展開の結果としての現代を示す展示
・いまを生きる人々の姿が浮かび上がり、同時代人としての共感を育む展示
・展示される側(地域の人々)との共同作業による展示
・アフリカや台湾、アイヌの博物館学の研修やワークショップを開催し、自民族による博物館を地域に根づかせる取り組みをしている
----------------------------
この民族学博物館が開館してから43年。
今回の講演では、その43年分の取り組みから得られた知見や、博物館学の今後の在り方や焦点を、たった90分で学ぶことができたように思う。
東京から大阪まで聴きに来て本当に良かった。
我ながらグッジョブ!と思えたし、改めて博物館は偉大だなぁと感動しながら講堂を後にする。
(公演後に表彰式の記念撮影をしている様子。来年にはこの講堂も円形ステージに改装される計画があるらしい。)
講演を聞いた後は、もちろん常設展示を観に向かう。
先っき勉強したばかりのことを、実際に見て確かめられるなんてラッキーなことだなぁ、と感動でクラクラしてくる。
しかし、この時点で閉館時間まで残すところ2時間ばかり。
またもや全ての展示を満足いくまで見るには難しくなってしまった。
朝の寝坊がなければ、多少はゆっくり見られたはずなのに。
悔やんで反省したところで過ぎてしまった時間は戻らない。
前回に見た展示は飛ばして見て歩こうか。
(ルーブル美術館の中庭を模したかのような広場には、巨大な備前焼の壺が置かれている)
しかし、その目論見は初っ端から失敗に終わる。
最初はオセアニア地域の展示エリアがあるのだが、やっぱり展示物のひとつひとつが魅力的でついつい足を止められてしまう。
去年も見たものばかりなのに、見るたびに面白いなぁと思っては魅入ってしまう。
それはモノの魅力だけではなく、展示の工夫が成す結果なのだろう。
案の定、東北アジアのエリアに差し掛かった頃には、閉館時間が迫っているという放送がされてしまった。
また明日来ることにして、足早に残りのエリアを見て回る。
明日の下見も兼ねて、備忘録として写真に撮ってメモをする。
その一部を記録として残しておく。
(昔の航海術を調査するためにミクロネシア諸島から沖縄まで実際に航海した船)
(まだGPSも無い頃の航海術を案内するビデオ、オセアニアの人たちは台湾から東南アジアを経て、船で移り渡って行った民族と考えられている)
(植民地時代に支配していたイギリスでつくられた民族学博物館)
(植民地時代に反抗的な原住民を捕らえるための道具)
(ペルーの焼き物とその作り方を案内するビデオ)
(フィンランドの移民たちにインタビューした動画)
(アフリカの奴隷貿易で使われていた拘束具)
(現代のアフリカに住む人たちの生活の様子やインタビューした動画と実際に使われている日用品)
(アフリカの各民族の祭祀で用いられる仮装道具)
(韓国の旅人をもてなす為の建物「酒幕」は修理中で中には入れなかった)
(中国圏の展示)
(アイヌ民族の展示エリア)
(窓の外には祭壇が設けられていたという様子)
(日本各地のしめ縄)
(日本各地の祭祀で用いられた仮面)
(鳥取の鷺祭りの仮面?仮装が面白かった)
(総じて愛媛の祭りの道具が異形で巨大だった)
博物館の外に出ると、上空の高いところにうろこ雲が広がって、沈む太陽の光をマダラ模様にして反射させていた。
予想外にもまだ明るかったので、帰り道にある梅園にも立ち寄ってみる。
梅園ではどの梅の木も満開の様子で、微かな香りを漂わせていた。
その香りに誘われたのか、街にいるスズメかと見紛うほどにたくさんのメジロが蜜を吸いに来ている。
園内には梅だけでなく、菜の花やチューリップも咲いていて、2月とは思えないほどに春の匂いがしている。
公園出口にはビレバンのアンテナシャップが設けられていて、岡本太郎グッズがたくさん並んでいた。
モノレールの駅に向かうスロープからは、遠くクリーム色と水色の二層になった空をバックに、太陽の塔がそびえ立っているのが見えた。
太陽の塔という割には、薄暗くなった辺りの空気に馴染むようにひっそりとした佇まいに見える。
しかし考えてみれば、本物の太陽も夜になれば地平線の向こうに隠れるのだった。
太陽の塔も暗くなる空に紛れるのが自然であろう。
粋なことを言おうとして、挙げ足を取るだけに終始するのは本当に悪い癖だと反省する。
塔の方を見ると、パラボラアンテナのように付けられた顔の目が、弱く白い光が灯っているのが見えた。
あの弱々しく光る目は何を照らして見ようとしているのか。
それとも、夜の街を歩く猫の目のように、ただ自分の存在を示す光なのか。
そんなことをスマホで写真に撮りながら考えてみたが、気づけば電池の残量が残り2%になってしまっていた。
スマホ無しでは旅もままならない。
仕方なく、千里中央駅のローソンでモバイルバッテリーのレンタルサービスを利用することにした。
都内でこのサービスを知った時には、利用するわけないと思っていたのだが、使ってみるととても便利であった。
年会費もいらないし、48時間以内に返却すれば300円で済む。
モバイルバッテリーを忘れてなかったら、この便利さに気づくことはできなかったんだな!と無理やりながらに感動してみる。
実際のところ、寝坊せずに忘れ物をしなかったら、博物館に早く来て展示を見る時間が長く取れたし、300円を使わずに済んだのだけれども。
こういう調子の良い性格は父親譲りなのだろうが、この独善的なところがきっと、彼の人を苛立たせるところであるのだろうと思うなどする。
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目午後)
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目昼)
なんば駅の駅ビルから外に出ると見覚えのある景色が広がっていた。
去年は伊丹空港からバスでなんば駅に来たのだが、その時と同じ街並みを目にして呆気に取られる。
なんば駅がどんなところか知らずに移動してきたことを自覚する。
土地勘の無い場所でも大した心配もせずに歩くことができるのは、スマホとインターネットの技術革新のおかげなのか、時代の移り変わりのせいなのか。
飛行機からは随分と厚そうに見えた雲は、空の高いところに薄く広がっているように見えた。
霧に隠れていたのかどうかはわからないが、空気は湿っている。
(大阪感のある街並み)
(↑まだ早い時間なのか人が疎らな道頓堀川↓)
なんば駅から心斎橋駅近くの銭湯まで、御堂筋通りを真っ直ぐに歩いて10分くらい。
直線の通りを行くのにやけに遠く感じるのは、歩き慣れていないせいだろうか。
古い建物は綺麗に保たれているし、新しいビルは曇り空だというのに辛さを感じさせない佇まいで建っている。
やはり市内のメイン通りに建ち並ぶだけあって綺麗なのだが、その一方で、電車の中で見た屋根にブルーシートを張ったままの古い住宅のことが頭に過ぎる。
目的地の銭湯は、御堂筋通りから裏路地に入ったところにあった。
ホームページを見る限りは昔ながらの銭湯で、寂れた建物を想像していたのだけれど、随分とお洒落なブランドショップが並ぶ街の中にあって驚いた。
一階がファミリーマートで、二階と三階が銭湯になっているらしい。
入口にはエスカレーターがある。
割りと新しいの銭湯なのかと思いきや、門構えは昭和平成の雰囲気を漂わせていた。
できればゆっくりしたいところだけれど、頭と身体を洗って、サッと湯に浸かったら上がることにした。
更衣室も明るく、浴室も外光がよく入って清潔感のある銭湯だった。
刺青の入った人も見かけたが、市街地の銭湯だけあるせいか、マナーの気になる客は目につかない。
風呂から上がると、更衣室にあるテレビでは、関西ローカルのワイドショーが流れていた。
先日逮捕された槇原敬之のニュースについて報じている。
いまでは東京の番組では見なくなったベテランの芸人さんや、まだよく知らない若手の芸人さんたちが、「ガッカリやわぁ」と似たようなコメントを口々に繰り返していた。
よく知る芸人さんでも、東京の番組では聴かないような語り口でコメントしているので、いつもとは違う土地にいるのだと実感する。
心斎橋駅に向かおうと御堂筋の交差点を渡ると、551の肉まんを頬張りながら歩く人を見かけた。
スマホで検索すると大丸の地下に店舗があるらしい。
昼も近くなってきたがちゃんとした朝飯を食べていないので、間食がてら寄って肉まんを食べることにした。
大丸の建物の内装は本店だけあって豪華だった。
東京でいえば日本橋の三越や高島屋のような、シックで豪華な内装で、その品の良さについつい見惚れてしまった。
地下の食品街はオープンしたてのせいか、客足は疎らで店員のおばさまたちの呼び込む声も控えめだった。
551の店舗は食品街の端奥にあって、イートインのスペースもあった。
ラーメンや焼きそばや点心が食べられるらしい。
イートインで食べようかと思ったけど、昼飯が食べられなくなるのも嫌なので、肉まんを2つだけ買って地下鉄の入口で食べる。
ひとりで食べていると目線に困るので、近くに立っていたナンキンハゼの幹を眺めながら肉まんを食べた。
名札を幹の中に取り込もうとしているかのような、不思議な形をしている。
地下鉄の入口を降りて行くと、大通りの下に地下街が広がっていた。
大阪の町は地上だけではないらしい。
千里中央駅にはホームの上に回廊のように地下街があって、ローカルなお店にお客さんがたくさん入っていた。
地下鉄の駅から、地上にあるモノレールの駅に向かう。
外に出ると青森の地域振興課が米の宣伝イベントを開いていた。
東北から全国の街を宣伝して回っているのだろうか。
新米の季節でもないし、天気も良くないので人は足早に過ぎて行くばかりで、なかなか苦戦している様子だった(がんばろう東北)。
モノレールで万博記念公園駅に向かう。
運転席が右側にあるのはワンマンだからだろうか。
万博記念公園駅に着くとたくさんの人が降りてきた。
どうやらガンバ大阪の試合があるらしい。
万博記念公園まで来ると、人並みは減ってしまうと寂しい感じに。
およそ一年ぶりに太陽の塔と対面する。
いまは塔の中の展示も見られるようで、興味の引かれるところではあるが、きょうの用事は別にあるので記念に写真を撮って目的地へと歩く。
天気はあまり良くないものの、暖かくはあるので散歩に来ている家族連れが多い。
そのほとんどが園内で開催している梅まつりの方へ歩いて行く。
ちょうど満開の時期のようで、梅の微かな香りが漂ってきた。
帰りに時間があったら寄ってみようか。
いや、帰る頃には暗くなってるかなぁ、と考えているうちに、きょうの目的地に着いた。
国立民族学博物館である。
去年に来た時は回りきれなかった展示を見るために来たのだが、もうひとつ市民向けの開かれる講演を聴きに来たのだった。
講演は13時半からなので、それまで館内にあるレストランで昼食を摂ることにした。
民族学博物館だけあって、ランチにエスニック料理を提供していると聴いてから、ずっと一度は食べてみたかったのだ。
レストランは昼時なのにお客さんは少なめ。
特別展が開催されていない時期だったら、もう少し混み合うのだろうか。
(隣の席では男子学生が2人で食事をしていた。一方の学生が大好きなのか友達の写真を撮りまくっていた。)
頼んだのはマッサマンカレーのセット。
あっさりとした仕上げで美味しかった。
食べ終わったら、講演の会場時間までミュージアムショップを見て時間を潰す。
北海道に新しくアイヌの展示を中心にした、国立の民族学博物館ができるというポスター。
ウポポイというインパクトのある名前。
オリンピックの開会式では、アイヌ民族の踊りが採用されないというニュースが思い出されたが、国立民族学博物館は作られるのと何か関係があるのだろうか。
ミュージアムショップは見応えがたっぷり。
とくに書籍コーナーは普段は目にしない分野の本がたくさん並んでいて、あっという間に時間が過ぎて行った。
犬ぞりの陣形図を柄にした水筒。
好んで買う人がいるのだろうか(きっといるのだろう)。
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目昼)
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目朝)
飛行機の搭乗時間までは1時間ほどあった。
暇をつぶそうと空港内をウロウロしようかと思ったが、寝癖頭のままでは少し気が引けた。
時間はあるので、ゲート近くのトイレでたっぷりと歯を磨いて顔を洗った。
自分の乗る飛行機はまだゲートに到着していない。
空港の向こうの空がだんだんと明るくなってきている。
待合い席に座ると同年代くらいの女性が、自分とは反対端に座ってきた。
そして、たくさんの飛行機が駐機するだだっ広い景色を、眺めるというよりは見つめながら鱒寿司を食べている。
とても美味しそうだ、と思いながら、自分は昨晩にスーパーで買ったコーヒーとハーベストをパリポリと食べる。
後ろの席では学生風の男子二人が、よくわからない話題で盛り上がっている。
そういえば、大学生は春休みの時期だった。
空港の職員さんたちはマスクをしている人は半々ぐらいだったが、航空会社の職員さんたちは全員マスクをされていた。
なぜ採用されたのか以前から不思議に思う、奄美大島のミント黒糖と飴をもらう。
搭乗員の方たちもマスク。手袋はされてなかった。
そういえば武漢から帰国したチャーター便の搭乗員の方たちも、到着したら2週間の隔離をされているらしい。
接客業は大変だと思う。
予定通りの出発。
窓の外には朝日が上ってきていた。
朝日を右に眺めながらの離陸。
横浜上空では、ダイヤモンドプリンセス号のらしき船影を見た。
雪が少ない富士山。
隣の席は女子学生たちの二人組だった。
時折、前後の席に座っている子たちと話しているので、卒業旅行で大阪に向かうところらしい。
自分はひとり、持ってきた小説を読み進める。
山田詠美の『トラッシュ』。
読むたびに自分を振り返っては辛い気持ちになるので、なかなか読み進められないでいる。
主人公のココが「寂しく思うのは愛されているからだよ」と友人から言われる場面では、主人公と一緒になって「えっ」とまた思考が止まってしまった。
まさかの言葉が連なるので、いちいち考え込んでしまうのだ。
隣の女子学生たちは、きっと中年男性が小説の若い女性と共感しているとは思ってもみないだろう。
小説の言葉に打ちひしがられているうちに、着陸体制に入ったというアナウンスがあった。
窓の外を眺めると雲が地面に張り付くかのように広がっている。
その雲の下から大阪市内の高層ビルが突き抜けている様子が眺められた。
地上にいる人たちは深い霧の中にあるのだろうか、それとも高いところにあるように見える雲を見上げているのだろうか。
高度が下がってくると関西国際空港が見えてきた。
上空から眺めていると、普段の自分がいかに狭いエリアで暮らしているのかを実感する。
自分の部屋なんて、まち針の先でも指し示すことさえできないのではないか。
視点を変えればちっぽけな存在でしかないことに、手を煩わされてばかりなのだと思うと少しため息が出てくる。
天にいる神の視点から、普段の我々など見えはしないのだと思う。
自分の周りに漂うウイルスや細菌が見えないように、自分自身のサイズとは小さすぎたり、逆に大きすぎたりするモノは、視界に入ったところで目に見ることは難しい。
関西国際空港に到着すると滑走路が雨に濡れていた。
本当は伊丹空港にしたかったけれど、ちょうど良い時間の便に空きがなかったので、関西国際空港を選んだのだった。
来たこともなかったので、これが関空かぁとキョロキョロしながら歩く。
もう少し大きい空間かと思っていたが、国際空港の割に狭いように感じられた。
動線が入り組んでいるからだろうか。
もしくは天井が低いのか。多少の圧迫感があった。
空港に向かう外国人の方々は、ほぼみんなマスクをしている。
駅のデザインは御時世に似合わずポップで明るい。
台風で通行できなくなっていた桟橋を渡る。
空港近くはRCの建物が立ち並んでいたが、その間にある岸和田辺りでは古い住宅が多く見えた。
台風の被害なのか、屋根にブルーシートを貼ったままの家もいくつかあった。
去年、大阪市内を歩いた時は新しいビルばかりが立ち並ぶ様子に驚いたものだけど、それに取り残されたままの大阪がどうやらあるらしい。
そのうち時間をとって歩いてみたいものだと思う。
なんばが近づくにつれて畑は見えなくなり、団地も真新しい塗装をされたものが見られるようになった。
地面はマンションや雑居ビルで埋めつくされていって、遠くにアベノハルカスが見えると、目的地のなんば駅に着いた。
空港ではマスクをしている人が多かったが、街の方に来たらマスクをしていない人の方が少なく見えた。
大阪ではあまり心配している人が少ないのだろうか。
エスカレーターで右側に並んで乗ると、ようやく関西に来たなと実感した。
これから、なんば駅から歩いて心斎橋にある銭湯に向かう。
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目朝)
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目早朝)
起きた時には羽田行きのバスの出発15分前だった。
昨晩の自分を憎らしく思いながら、半分だけ済ませていた荷造りを無心になって済ませる。
しかしシャワーも浴びる時間はないし、顔を洗う時間さえもない。
とにかくバスに乗り遅れてしまうと、すべてのことがパーになる。
最悪のパターンを想定したシミュレーションで動くものの、宇宙飛行士のように完璧な訓練などやっていないので、当然のことながら穴が出てくる。
家を出たところで、モバイルバッテリーと機内で読もうと思っていた雑誌と、マスクを持ってくるのを忘れたことに気づく。
しかし引き返す時間はない。
家のすぐ目の前にあるバス停には、車掌さんが点呼をとっていたし、少し先の交差点では羽田行きのバスが赤信号で停まっていた。
雑誌はいいとしても、旅先でモバイルバッテリーが無いのはかなり心許ない。
あとマスクである。
飛行機に乗るのにマスクを忘れるなんて、いまのこのご時世に致命傷ではないか。
感染予防に効果は薄いのだから、そこまで気にする必要はないのかもしれない。
けれど、寝坊の上に忘れ物をしたことの心理的ダメージのせいで、ちょっとしたことでも神経が逆撫られてしまう。
バスに乗り込むと、この路線には珍しく5割くらいの席が埋まっていた。
窓際の空いている席に座って窓の外を見ると、オレンジ色の外灯に照らされた商店街の様子が見える。
まだ日の出前の時間。
寝坊するほど寝てしまっていたし、急いで準備をしたせいで、すっかり目が覚めてしまった。
ただシャワーも浴びてないので、寝癖だらけの頭と洗ってない顔のベタつきが気になる。
空港にシャワーとかあったっけ、と検索すると、羽田空港では国際線ターミナルにはあるようだった。
行先の関西国際空港にはあるらしいが、いずれにしてもそこそこの値段が張る。
市内で朝からやっている銭湯があるかと検索すると、24時間営業のサウナと並んで、心斎橋にある銭湯がヒットした。
時間のロスにはなるが致し方ない。
スマホで移動経路と所要時間を計算して、当面の段取りをつける。
それに比例するかのように電池の残量が減っていく。
モバイルバッテリーの忘れ物はどうやってリカバーしようか。
1日は持つだろうと思ってはいたが、それは普段会社で充電しているからで、旅先とは条件が異なる。
家電量販店で買うか、携帯キャリアの店舗で充電してもらうか。
スマホに行動を制限されるなんて実に不愉快だな、と考えていたら、羽田空港に着いた。
(羽田空港第一ターミナル)
(予定よりもだいぶ早い到着)
(空港の中はマスクをした人たちでいっぱいだった)
(料亭屋さんの朝食を食べようかと思ったけど、値段がわからないのでやめた)
(飛行機も予定通りに離陸するらしい)
(保安検査がゴーンのせいなのか本当に厳しくなっていた)
#ゲイと東京から遠く離れて 2020冬(大阪1日目早朝)
#きょうの水泳教室
2020年1月2週目
水泳大会を終えて直後の水泳教室の時間。
珍しく遅刻せずに来たエリオは、コーチと大会の泳ぎを振り返るうちに、当日の興奮が思い出されてきたのか、だんだんと鼻息を荒くしてあれやこれやと話をしている。
もっとやれたはず!という思いが、エリオは日に日に強くしているようだった。
兄上が少し遅れて来ると、エリオも自分も競うように自分の大会の結果を報告した。
その勢いに気迫された兄上は、そうかそうか良かったなぁ、と子どもをあやすかのように労ってくれた。
エリオも自分も尻尾があったら、ブンブンと振って見えていたのではないかと思う。
まだ学生のエリオはまだしも、30代のおじさんの自分はいささかはしゃぎすぎであっただろうか。
この日の練習は、これまでずっとスピード練習をしていたので、スタミナアップ系の練習をすることになった。
25m→ 50m→100mを数本ずつ泳ぐ。
100mを泳ぐと途端に疲れてしまうのは、やはりスタミナが足りてないのだろう。
帰りにエリオといつもの中華屋に寄って、大会の泳ぎについて、またあれやこれやと話して帰る。
後悔があるうちは話が尽きることはないかのように思う。
(豚キムチラーメン)
2020年1月3週目
この日の水泳教室も3人集まった。
兄上の仕事は少しずつ落ち着いてきているらしいが、なかなかお疲れの様子である。
エリオはテストとレポートの提出が佳境にあるらしく、ここ2ヶ月くらいは、会えばいつも締め切りがあって寝不足なんだと話してくる。
寝不足はいつものことでしょうが、とケラケラと笑いながら返すと、エリオは子どもっぽく不貞腐れている。
きょうの練習もスタミナアップ系の練習をした。
25m→ 50m→100mのインターバル練習。
クロールと平泳ぎを織り交ぜながら1キロぐらいを泳ぐと、さすがにヘトヘトになった。
どうもプルをする腕力が足りないようで、身体の部位で真っ先に二の腕が疲れて力が入らなくなる。
水を後ろにかき出す動作ができなくなって、推進力もなくなるし、身体も沈んで苦しくなってくる。
腕立て伏せかウェイトトレーニングでもしようかどうか。
この日、エリオは「明日提出のレポートがあるので!」と言って先に帰ってしまったので、ひとりで松屋に行った。
久々にひとりできょうの練習の振り返りをするものの、ビビン丼の不思議な味わいに意識が飛んでしまって、あまり身が入らなかった。
(松屋のピビン丼は韓国の味がしない)
2020年1月4週目
この日の教室は、兄上が遅れてやって来た。
エリオはレポートが佳境のようでプールには来なかった。
自分は相変わらず皆勤賞で出席している。
コーチからは、小中学生向けの教室で表彰している、皆勤賞のリストに自分の名前も載ってましたよ、と教えてもらった。
大人のクラスでは、なんと自分だけらしい。
子どもにとっては誇らしく思えることなのだろうが、大人にとっては、まるで仕事が暇なのかと見られてしまいそうで少し体裁が悪い。
会社では総労働時間を削減する向きが本格化してきていて、時間外をしてまで仕事の質を上げることを控えるようにはなった。
おかげで仕事量は減ったのだが、呑気な仕事ができているわけではない。
実際、多くの同僚が仕事の質を抑え始めると、後から仕事の欠陥が明らかになっては、仕事の押し付け合いをしがちになっている。
なので、職場の空気はお世辞にも良いとは言えないし、ストレスはたまる一方だ。
毎週職場を逃げ出すようにプールに来ているのが実態で、この機会が無かったらと思うと少しゾッとしてくるほど。
めいいっぱいに泳いで疲れると、頭で余計なことは考えられなくなるのが、自分にとってはとてもプラスに働いている。
ヘトヘトになってから気にもならないことは、大した悩みではないのだと自然と割り切ることができるのだ。
自然と、と言っても、かなり無理矢理ではあるんだけれども。
要は身体の生理現象から、悩みごとの大小を仕分けているわけ。
だから水泳教室も仕事のうちなのだとも言える。
そんなふうに言い訳をしながら、暇なのは自分だけなのではないか、という不安を打ち消してみる。
この日の練習も、25m→ 50m→100mのインターバル練習になった。
クロールと平泳ぎを半分ずつ泳いで、最後の100mはメドレーを泳いだ。
教室の後半でバタフライを泳ぐと、必ず肩が水面から上がらなくなり、無様な泳ぎになってしまう。
やっぱり腕力が足りないし、肩甲骨周りの可動域が狭すぎる。
兄上にも指摘されてしまうと、つい言い訳を探してしまったのだが、息を切らしている中ではロクな言い訳も思いつきはしなかった。
毎日のストレッチや体操をサボってるのだから、当たり前の結果なのではあるが。
天性の身体能力があったらなぁ〜、とつい幼稚なことを想い嘆いては、帰りに松屋の新しくなったカレーを食べる。
高い価格に驚いたけれども、具がよく溶けるまで煮込まれたルーが美味しくて値段相応だと思った。
#きょうの水泳教室
#きょうの水泳教室 本番の日②
当日の泳ぎの様子はエリオがコーチに頼んで、スマホで動画を撮影してもらった。
音声は外したので臨場感には欠けるが、自分の泳ぎを見ていただけると幸い。
まずは 50m自由形から。画面一番右の8コースが自分。
結果は38秒83で7位。
飛び込みスタートは腹を打つこともなく、深く潜りすぎることもなく上手くいった。
ターンの時のタッチで手が滑ったので、少し手間取ったが泳ぎのフォームも大きく乱れることなく泳げたように思う。
リミッターは外せたかというと、落ち着くことに集中していたので少々疑問だったが、プールの水質に感動しながら泳いでいたような気がする(記憶が曖昧)。
水は軽くて透明で、天井からの照明のおかげで、水中で見える視界はとてもキラキラとしていた。
泳ぎ終えて掲示板の方を見ると、自分の名前と共にタイムと順位の記録が、電光掲示板にデカデカと表示されている。
エントリータイムは50秒だったし、普段のプールではどんなに頑張っても45秒はかかっていたのに、大幅に記録を更新することができた。
順位は自慢できるものではないが、タイムは自分で自分に自慢できる結果を残せたことに、我ながら驚いてしまった。
プールから上がるとエリオの組がスタンバイしているところだった。
次の平泳ぎの招集もされているので、待機所の近くでエリオの泳ぎを見る。
エリオはスタート台に着くと、初めてなのにクラウチングスタートの姿勢を取っていた。
緊張していた割に大胆なチャレンジをするものだと思う。
エリオは目標通りの結果を残して、35秒台で6位だった。
プールから上がってきたエリオの姿は、泳ぐ前よりひと回り細くなったようで、浮いてなかった腹筋の割れ目がくっきりと見える。
たった 50mでどれだけの体力を消耗したのだろうか。
もしや火事場の馬鹿力みたいなものが働いて、自分のリミッターを外した結果なのかもしれない。
ふと自分の方はどうだろう、と見直してみると、ゴーグルのゴムが緩くなっている。
50mを1回泳いだだけで、頭が小さくなったのだろうか。
緊張が解れたのか笑いが止まらないエリオと互いに労いながら、次の平泳ぎのレース前の待機所に向かう。
平泳ぎは同じ組で、エリオは1コース、自分は7コースで泳ぐことになっていた。
自分たちのエントリータイムは50秒だったが、他の5名はみな30秒〜35秒でエントリーしている。
差がつくのは明らかであることと、自由形を終えたばかりの高揚感もあって、待っている間もあまり緊張することはなかった。
自由形の時と同じように、自分の名前が会場にアナウンスされる。
コース前で待機して、逸る気持ちを落ち着かせる。
観客席からは、またコーチたちがエリオと自分の名前を呼んで応援してくれている。
腕を上げて声援に応え、スタート台に上がる。
先っきは不安に思えた景色も、もう見慣れたものに見える。
エリオは反対端の1コースなので姿を見ることはできないが、またクラウチングスタートに挑戦するのだろうか。
自分もやってみようかなぁ、と迷いが生まれたが、身体が固くて姿勢を取るのが難しく、スタート台から落ちかねないのでやめておいた。
スタート台は前傾姿勢を取りやすいように、傾斜が付いているので、気を抜くとバランスを崩して落ちてしまいそうになる。
次はクラウチングでスタートしたいなぁ!と思いつつ、スタートの合図に集中して待つ。
電子ピストルの音が聴こえると、空気を切る音と共に水の中に潜る音が聴こえた。
今回の飛び込みスタートも上手くいった。
潜水から顔を出して前方を見ると、中央のコースを泳ぐ人が随分前を泳いでいるが、隣のコースの人の姿が見えなかった。
意外と速く泳げているのかも!?と少し心が浮ついてしまう。
ターンした後は5コースの人に並ばれて、競りながら泳ぐ。
自然と勝ちたい!という欲が湧いたものの、リズム良く泳げていたフォームを変えてギアを上げるのは難しく感じられた。
経験の差が足りないのだろうか。
互いに力を振り絞って泳ぐものの、差は開くことなく、ほぼ同時にタッチしてゴールした。
50m平泳ぎの結果は、なんと43秒80で4位だった。
最後まで競り合った隣の5コースの人には、結局0.08秒差で負けてしまった。
たった0.08秒差だったのはかなり悔しいが、そもそも過去一度も50秒を切ったことがなかったのに、43秒台で泳げたことに驚いた。
まさかここまで自分が泳げるとは思ってもみなかった。
飛び込みスタートであることと、辰巳のプールの水質の良さのおかげもあろうが、予想以上の結果に感動してしばし放心状態になった。
プールから上がると、エリオと落ち合ってタイムはどうだったかと報告する。
エリオは51秒台で7位だった。
それはそれで良いタイムなのだが、自分のタイムを聞くと「やりましたね!」と祝ってくれはしたけれど、若干悔しそうな感情が顔に滲み出ていた。
自分はたぶん自慢げな顔をしていたように思う。
レース後、更衣室で着替えてから観客席に戻ると、コーチたちが労いの言葉をかけてくれた。
コーチたちも想定よりも速い記録に驚いていたようだ。
こんなに速く泳げるならもっと練習しましょうね!と早速発破をかけてくる。
これまでも結構苦しい練習だったのだが!と抵抗するも、機嫌がいいのでヘラヘラと返答してしまった。
エリオのスマホで撮ってもらった動画も受け取って、早速見せてもらう。
若いスタッフさんが撮っただけあって、慣れた感じでセンスのいい動画だった。
席に戻ってエリオと二人で3レース分を見返しながら、あーでもないこーでもないと反省会が始まった。
自分の気になった点は次の通り。
・スタートの反応が遅い(飛び込むのにビビっていた)
・タッチターンに時間がかかりすぎ(他の人のクイックターンは本当にクイックだった)
・自由形のキックで足が外に向きがち(縦に蹴れていないから水を真後ろに押せず推進力にならない)
・身体の軸は真っ直ぐ泳げていた
・平泳ぎはリズム良く泳げていた
・スタート後の蹴伸びでもっと進みたい
・キック後の伸びももっと伸ばしたい
・水中姿勢に課題があるのかも
自分の泳ぎを客観的に見られることはそうそう無いので、何度も繰り返して見てしまったいた。
気づけば大会も終盤のレースになっていて、階下のプールでは25×4自由形リレーが行われていた。
動画の自分の泳ぎと、猛者たちの上手くて速い泳ぎを交互に見て比べる。
まだまだ改善の余地はありそうだ。
終わりかけの頃、スタッフさんが記録証を持ってきてくれた。
なんと 50m平泳ぎは年代別の順位で3位だったようだ。
レースでは4位ではあったのだが、出場者が少なかったおかげだろうか。
いずれにしても嬉しいことだ。
プールからの帰り道もずっとレースの記録と泳ぎの課題について、ずっとエリオと話しながら歩いた。
2人ともちょっとしたハイになっていたのだと思う。
帰りに祝勝会で自分のよく行くカレー屋に寄ったのだけれど、そこでもずっと動画を見ながら反省会が続いた。
何度見てもまったく飽きないし、ずっと楽しかった。
(ハリームとマンディ)
(クルフィとバルフィ)
#きょうの水泳教室 本番の日②
#きょうの水泳教室 本番の日①
きょうはジム主催の水泳大会本番の日である。
水連公式の大会でもないし、大人向けの大会なので、開会式に出ないと行けないということもなく緩い感じ。
自分の出場するレースの前までに会場へ行って、泳ぎ終えたら帰ってもいい。
前回は初めてだったこともあり、最初から最後までいたのだが、ひとりで過ごすには長時間すぎて若干退屈さもあった。
なので、今回は前回の教訓を踏まえながらエリオと相談し、自分の出るレースの2時間前に辰巳の会場に行き、アップを済ませて本番に臨む段取りをしてみた。
辰巳駅でエリオと待合せた後、歩いて7-8分のところにある会場に向かう。
何人か、もう泳ぎ終えたらしい参加者らしき人たちとすれ違う。
これまではずっと勝気だったエリオは、受験の時よりも緊張するんですけど…、とか横で言っている。
初めてだからそりゃそうさ、と返答するも、自分も昨日は早く寝ようと布団に入ったのだが、なかなか寝付かなかった。
心配したところで泳ぐしかないのだが、練習しきれなかった飛び込みスタートで、失敗しないかどうかが不安で仕方がない。
本番のこの日、飛び込みスタートの練習は、開会式前に設けられた練習時間でやることはできる。
しかし、自分たちが出る種目は、午後のレースだったこともあり、直前にやったところで何も変わらないだろう、とぶっつけ本番に賭けることにしたのだった。
自分は前回の大会でも飛び込みスタートがあまり上手くできなかったので、どうせ今回も失敗するだろうと半ば諦めていた。
エリオは今まで本当に一回も飛び込みスタートをしたことが無いと言うのだが、YouTubeの水泳レッスン動画でイメージトレーニングをしてきたらしい。
(昨日はレポートもあって寝れなかったと、事前の言い訳に励むエリオ)
会場に着くと受付を済ませて、観覧席に設けられた自分の在籍するジムの待機スペースに向かう。
階下のプールではレースが行われていて、電子ピストル音と共に、出場者たちが上げる水しぶきの音と応援する声が会場の中に響き渡っていた。
待機スペースに着くと係のスタッフさんと、コーチがいて挨拶をした。
コーチは休みと言っていたのだが、わざわざ応援しにきてくれたそうだ。
ありがたいことだがプレッシャーでもある。
空いている席に着いて荷物を置き、もらったプログラムを確認する。
自分たちの出る種目は自由形 50mと平泳ぎ 50mの2種目。
年代別にレースが組まれていて、80代から10代まで申告したエントリータイム順にコースが振り分けられている。
一番早い人は4コースで、遅くなるにつれて端のコースを振り分けられる。
自由形はエリオと別の組になったが、平泳ぎは20代でエントリーする人が少なかったようで同じ組になった。
エントリータイムを見ると、やはり自分より遅いタイムで申告している人は少ない。
エリオもそれを見て、さらに緊張感を高めていた。
実際、階下のプールでは今回も水泳の猛者たちが、綺麗な泳ぎで熾烈なレースを繰り広げていて、年代別の大会記録も何度も更新されていく。
50代60代の方々よりも、自分たちのエントリータイムの方が確実に遅かったりもする。
自分はわかっていたことなので、やっぱりかーという感じだったが、エリオは泳ぐ前から打ちのめされているようだった。
みな身体がガッシリとしているし、なにより泳ぎが綺麗で、見ているだけでも飽きることはない。
上手い人の泳ぎを見ると、自分の泳ぎの課題点が尽きることなく見つけられたりもする。
きょうが本番だというのに、直前で課題点を次々と見せつけられていく。
これまでの練習を振り返っては、まだまだ出来たはずなのにと悔やまれることも多いが、一方でこれからの練習でやりたいことを考えると夢が広がった。
大げさな言い方ではあるが、事実、死ぬまでは時間はあるのだ。
自分たちが出場する最初の種目は、自由形50mで14:00に開始の予定で、次の平泳ぎ 50mは14:30に予定されていた。
一種目を泳いだ後は、あまり待つことなく次の種目に臨めそうだった。
プログラムを見ながら、エリオと相談して、1時間半前には更衣室で水着に着替え、サブプールに行ってアップをすることにした。
(奥がレース用のプールで、手前がアップ用のプール)
この大会では 50mプールを横に半分にして区切り、 レース用と練習用に 25mプールを設けている。
横幅が 25mになっているので、 50mプールを横切るようにコースを設置すると、25m短水路の大会も開けるように造られているらしい。
レース用エリアには公式大会で使われているSEIKOの黄色い計測板が設置され、飛び込み台も国際大会でも使われている本物が設置されている。
プールの深さは2m強でかなり深い。
練習用エリアの壁際の水中には、底上げをする様に踏み台が設けられていた。
できれば飛び込みスタートの練習をしたいところであるが、練習用エリアでは禁止されていたので、底上げの踏み台から軽く飛び込む形で練習してみる。
隣のエリアでは本番のレースが次々とスタートしている。
速い人たちの組では、 25mの種目だと15秒ほどで終わってしまう。
本当にあっという間。
だんだんと逸る気持ちを抑えて、軽くストレッチをした後、練習用のプールに入って軽く泳ぐ。
筋肉を引き締めるように低い水温で、透明度は高く、とても軽くてサラサラとした水。
普段のジムのプールとは大違いで、冷たくはあるがとても気持ちがいい。
隣のエリアから聴こえてくるスタートの合図に合わせて、練習用のプールに潜り込むと、水質の良さが更に実感できた。
プルでかく水はとても軽く感じられて、大して綺麗ではないストリームラインの自分でも、身体の脇をスーッと水が流れていく感覚がよくわかる。
水が身体にまとわりついて、重たく感じることが一切ない。
別人になったかのような錯覚にも陥る。
ジムのプールの水質も悪いことはなく、極々一般的なものだとは思うのだが何が違うのだろうか。
できれば毎度、このプールで泳ぎたいところではあるが、普段のジムのプールはプールで、負荷をかけた練習になるのかと思うと悪いものではないかとも思う。
緩急をつけて何本か50mを泳ぐと、エリオが早々にアップを終えて、プールサイドに上がっているのが見えた。
プールの水の冷たさに耐えかねて、ストレッチで体を温めることにしたらしい。
出場種目の招集がアナウンスされるまで、軽く泳いでアップを済ませ、身体を拭いて待機場所で待つ。
エリオの緊張感が段々と増している様子が目に見えてわかるので、なかなかに面白かった。
自分は2回目ということもあってか、またエリオが緊張しすぎていることもあり、そこまで緊張することはなかった。
これも年の功のうちなのかもしれない。
(メドレーリレーの様子)
とは言っても、さすがに自分の番が近づいてくると緊張感は増してくる。
コース前で待機してから名前をアナウンスされるまでは、何も考えられなくてずっと上の空だったように思う。
いざ踏み台の前に位置につくと、観客席からコーチたちが自分の名前を呼んでくれていたのだが、反応する余裕もなかった。
2年ぶり2度目の飛び込みスタートは、上手くできるのだろうか。
スタンバイのアナウンスがされて、飛び込み台に立つと水面がとても遠い。
水面から自分の目線までは3mぐらいはある。
久々なこともあって、やはり恐怖感がどうしても出てくる。
水の透明度も高く、プールの底のタイルの溝までくっきりと見えるほど。
つい吸い込まれて落ちてしまいそうな感覚にもなる。
恐怖感を消すには、もうどうなでもなってしまえ、と思うしかない。
脚の爪先の方に手の指先を向けて、スタート姿勢をつくり合図を待つ。
一瞬の静けさの後に鳴り響く電子ピストルの音を聴き、プールに飛び込んだ。
#きょうの水泳教室 本番の日①