(その後の)お母さんについて
先週末の土日、入院した母の見舞いに行ってきた。
父や姉に言うと車で迎えに行くとか言ってきそうだし、気を使われるのもアレだったので、特に誰にも何も告げることなく、電車とバスを乗り継いで病院に向かった。
前回の見舞いの時、母はHCRというERと一般病室の間の病室にいたのだが、容態も安定してきたので、2、3日前に一般病室に移ることができていた。
家族のLINEグループで病室の番号も父から連絡があったので、履歴の情報を頼りに病室に着くまではあっという間だった。
ただ、病室の前では少し緊張感が高まってしまい、病室に入るのには少しだけ時間を要した。
いやいや、実際は数秒だったのだとは思うが、気持ち的には数十秒くらいあったような気がするのだ。
前回に見舞った際、身体中が管だらけだった母の姿が思い起こされたのが、その理由。
一般病室に移ったのだから、きっと安定はしているのだろうが、いまはどういう処置を受けているのかは、誰からも聞いてはいなかった。
元気そうであればよいのだけれど、と病室に入る時の気持ちは、さながら神社でおみくじを引くときと同じような感じだった。
不謹慎なこと、というか、冷たい人だと思われるかもしれないが、今後の自分の生活がどうなるのかは、母の容態に影響されることは否めないと思ったのだ。
いざ病室に入ってみると、母がベッドの縁に座りながら、趣味の塗り絵をしていた。
入室した俺の姿を見て、「あれ!遠くからまた来たんか!」と、明るい声で出迎えてくれた。
母の身体中につながれていた管は、脈拍モニターを指先につけているだけで、所々に採血後の絆創膏が見受けられはしたが、元気なころの母と変わりない様子で、緊張感はほろっと解けた。
俺が病室に入るなり、母は「ちょうど酸素の管を外してもらったばっかりなのよ」と、嬉しそうに入院中の様子を嬉しそうに話しはじめた。
予期せず現れた息子に、タイミングよく自分が回復した姿を、見せられたのが嬉しかったようだった。
まだ若干咳き込んだりはするものの、その声は元気な頃の声と同じ調子で、俺も確信ではないけれども、もう大丈夫なのかもなぁと安心した。
母の話では、起きたら検温に採血があって、朝食の後には、リハビリで運動するし、結構、入院生活は寝ている暇も無いほどらしい。
実際、話している最中にも、血糖値を計りに看護師さんがやってきた。
前回に見舞ったときには、糖尿病の疑いが強まっていたのだが、経過を見ていくと、どうやら糖尿病ではなかったらしい。
救急車で搬送された後、応急処置として施されたステロイド剤の副作用で、血糖値が急上昇してしまっていたらしく、その薬を止めたら、数値も改善してるのだという。
結局は高血圧と風邪が悪さをしたせいで心不全になった、という結末らしい。
母のことだから、悪いことは知ってても言わないだろうのだけれど。
今回のお見舞いには、糖尿病用の料理レシピ集とためしてガッテンのMOOK本を渡した。
糖尿病の患者には何を見舞いの品として持っていくべきなのか、見当もつかなかったので、とりあえず勉強から必要だろうと買ったのだが、あまり役に立たない品物になってしまった。
しかし仕事を定年退職してからの母は、若干、太ってきてもいたので、レシピ本などはダイエットに活用できそうだ、と言ってくれた。
そもそも、これから糖尿病になるのかもしれないし、不要な買いものではなかったとも言える。
それと、前回に倒れたときに父に頼まれていたスマホを渡した。
以前は、使いこなせるかわからないし、変なサイトにアクセスしまくられるのも困るので、両親二人に1台を買って贈ったのだが、父が言うには、
「あのスマホは、お母さんがほぼ使っているし、友だちとやり取りもできないで困っているようだったから、もう一台ほしい」
とのことで、だいぶ使いこなせてきているようだし、入院中も暇だろうから、それも良かろうと思って、急いで買って用意してきたのだった。
しかし、母はスマホを見ると「そんな!もったいない!」と言う。
頼まれた経緯を母に話すと、「そんな!あたしは使ってないよ~」と言って笑い出した。
どうやら俺は父に騙されたようだった。
スマホを一人で使いたい父が、具合が悪くなった母をダシにして、俺にスマホを買わせたのが事の真相っぽい。
あの野郎、あの場で神妙な顔して嘘ついたんか、と、いつものように父へのイラつきが高まってきたが、母が申し訳なさそうに笑うので、俺はせめて顔には出さないように胸に押し込めた。(漏れ出ていたかもしれないが)
買ってしまったスマホは、解約するのも勿体無いので、そのまま二人でそれぞれに1台ずつ使ってもらうことにした。
それでも母は、要らないよ、と言うので、母が好んで使いそうなラジオアプリと、写真を水彩画風に加工するアプリをインストールして、使い方を教えてあげた。
すると、要らないと言っていた母が、思いのほか喜んでくれたので、父へのイライラはどこかへ吹っ飛んだ。
(しかし父専用のスマホを買い与えて悪用しないかどうかの心配は残るのだが、、)
子どもの頃から、母はこういう父をどうして擁護するのか、と不思議で仕方なかったが、それが結婚ということなのだろうか。わからない。
しかし、昔から母は父を擁護はするものの、信用はしてはいないのである。母が貯めこんだ財産の全容も、父は一部しか知らない。
入院時の費用について父と姉が話していても、おそらく母は姉たちにも言っていないのかもしれないので、母の全財産の存在を伝えるのはやめておいた。
案の定、スマホの使い方を一通り教えたあとに、母が俺に、「財産はお母さんの◎◎にあるから、何かあったらよろしくね」と言ってきた。
お父さんに言いなよ、と言うと、母は「お父さんはダメ」と言う。
貯蓄については、極々一部の存在しか、父には話してないと言うので、入院費用の騒ぎのときに何も言わなくて良かったな、とホッとした。
結婚当初の父は職も安定せず、余った金があるのを知ると、パチンコや麻雀に行ってしまう人だったようで、いまだ母の胸には根深いトラウマとなっているようだった。
(親戚にいただいた姉の成人祝いのお金を持ち出して、パチンコに行った後の喧嘩は、かなり壮絶だった記憶がある。)
「いまはそんなことないでしょ」と言いかけたが、父にスマホを買わされたばかりだったことを思い出し、わかりました、と断念した。
そんな話を母としていた頃、父は実家の部屋の模様替えに励んでいたと、後で聞いた。
両親は長らく別々の部屋に寝ていたのだが、母が倒れたので、父は一緒の部屋に寝ることにしたのだそうだ。
しかし、母は内心、あまり気乗りしていなかったりもするのだが、お調子者の父は母のためにと一生懸命になってるので、気づくことはなさそうだった。
その様子を思い浮かべると、若干、父のことが気の毒な感じもする。ほんの少しだけだけど。
しかし、そこまで信用していないのに、父と一緒にいる母の意図は、本当に謎である。
愛情?同情?腐れ縁?踏み台?利用している?どれもしっくりとは来ないが、ただの成り行きなのかもしれない。
一方の母は母で、今後の生活環境について、思い直しというか覚悟を決めたのか、いまと別のところに家を買いたい、と言い出した。
そして、例の家族には内緒の財産で、中古の家を買うから、俺に名義を貸してくれ、という話だった。
名義を貸すことは、前から冗談半分には言われていたことなのだが、今回は母も本気そうだった。
死の予感をリアルに感じると、冗談は言えないのかもしれない。
いまは実家の方も少子高齢化で、景気がよいわけでもないので、土地も空き家も多く出回っている。
空き物件が増えすぎて、治安の不安もあることから、市が行政サービスとして、賃貸業務を始めたぐらいだ。
大した物件を買うわけでもないし、とは思うものの、自分が家持ちになるのか、という事実に対し、なかなか実感が湧かず、ぽかーんとしてしまった。
とりあえず、よい物件があったら良いと思いますよ、と俺は母に言った。
自分も貯金はしているので、名義人になるには困りはしない。
ただ、フラフラと生きてきた人生の分岐点が目前に迫っている感じに、思考がはたらかなくなってしまったのだ。
とりあえず、近いうちに俺氏は家持ちになります。俺は住まない家の家主になります。
まだ気持ちがふわふわしていて、考えるたびにファァァアアアアア!って感じになります…。
でも、俺が母にできることって.これぐらいしかないようにも思えるのだ。
それなりの会社に勤め、それなりに貯金もあるし、独身だしローンも借金もないとか、家の名義人になるべくしてなった感じではある。
俺はお調子者の父が苦手で、話も合わないことから、昔から距離を置いてきた。
それは、ほぼ中年になった今でも変わらず、威圧感は強まっているようで、たまに姉から注意されたりする。
実際、注意されるのもイヤなのだが、父に優しくなるのもイヤなので、親孝行らしい親孝行はしたことがなかった。
それは少しというか、かなり後ろめたく感じてきたことで、ずっと気にはしていたことだった。
母が定年退職で、勤めていた老人ホームの清掃員を辞めたときも、15歳のときからずっと家族のために働いてきたのだし、残りの人生は自分のために過ごしてほしいなぁ、と心の底から願いもした。
でも、それは表向きなことで、実のところは母の自律を促すだけで、あまり自分は関与したくないということを、見て見ぬ振りをしてきたのだ。
定年の直前まで、母は「あたしは死ぬまで働くの!」ってよく息巻いていた。
けれど、60歳を過ぎたあたりで、仕事はいま辞めたほうが年金が多くもらえると知った途端に、あっさりと仕事を辞めてしまった。
自分のキャリアとか夢とかではなく、母は家族の生活のために働いてきてくれた。
俺がいま好き勝手させてもらっているのも、母のおかげだし、もしかしたら、母の意図するところだったのかもしれない。
俺の人に冷たい性格が災いして、母に恩返し的なことはしてこなかったのだけれど、俺は恩返し的なことがしたいのに違いはない。
新しい家の名義人になることは、ちょっとした良い機会ではある。
これを親孝行とするには、あまり人としての温もりみたいなものが感じられないだろうし、恩返し的なことに値するだろうかは自信がない。
できれば、一緒に旅行に行ってあげるとか、ほっこりするようなことをしてあげられればいいのだが、虫唾が走ってしまってどうにもダメなのだ。
父がいなければ、たぶん、いろいろとしてあげられる気もするけれど。
最近は何をするにしても、「家持ちになる」ということが脳裏に浮かんで、ソワソワしてばかりだ。
お金の心配はしていないものの、こうやって人生の道筋が固まっていくのか、と感心しては、感慨深いもんだな、と思ってボンヤリとしてしまうのだ。
けれど、いまはとりあえず、母の回復への見通しが立ったことに感謝したい。
見舞い中に母と話した時間は、実家にいた頃は、一日分にも満たないが、ここ数年で言えば、二年分ぐらいになったかもしれない。
量の問題では無いけれど、いままでサボってきた分を、これから積み上げていけたらと思う。
ちなみに、家持ちになることについては、Twitterで呟きたいな、と少しだけ思った。
約2週間ほど、つぶやきもせずに距離を置くようにしていたが、ちょっとした欲が湧いてしまった。
だから何なのか、という話で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、おちゃらけて冗談を言えるぐらいには、気持ちが軽くなったのかもしれない。
このまんまTwitterは辞めようかとも思ってたけれど、ちょっと無理そうではある。
一貫性など最初から無いのだから、成り行きに任せるべきなのだろうとも、いまは思えたりもする。
いずれまたそのうち。
@kesurahi