君さえ居れば何も要らない
友だちに嫌われたらしい。
今となっては、友だちだったのかもよくわからない感じはあるのだが、とにかく仲良くさせてもらってた友人に対して、俺が何かをしたんだか、言ったんだかで、相当に傷つけてしまったらしいのだ。
もうひと月以上は経ったと思う。
「らしい」というのは、共通の友人から聞いたことのためで、本人から特段の指摘は受けていない。
実際、Twitterのフォローもリムーブされ、LINEにメッセージを送っても、「既読」にすらならないので、どうやら俺の気配され受け付けられないようだ。
実は、数年に一度、似た境遇に遭ったりするので、またやってしまったのか、という感じで落ち込み方は小さい。
しかし、原因を本人から聞くことができない。
しかも、あれやこれやと自分の悪かったことを考えてみると、思い当たる節が無限に出てくるし。
なんか、自分に対して疑心暗鬼になるというか、人付き合いの才能の無さを痛感する日々である。
(この件に限らず、ではあるのだけども。)
自覚が無いことが、相手の神経を逆なですることは、百も承知である。
ただ、解釈の仕方は人の数だけ存在するなかで、推測だけで反省することなど不可能で、とにかくとても徒労感ばかりが募る。
こういう困惑することを俺に強いるために、本人に理由を話すことなく、関係を断つことにしたのだろうか。
それ以前に、俺が相手を傷つけたのだから、当然の仕打ちなのかもしれないが、
その「当然」というのは、相手の論理でしかないのではないか!?
などと、十数年前の俺だったら憤っていたところだが、いまは、「あの人に話をしても、聞く耳を持たないだろう」と、思われていたことが、甚だショックで仕方がない。
とにかく諸々において、自分の未熟さを反省するばかりだ。
でも、何をしようにもできないのが本当に歯がゆい。
接触を試みるタイミングには早すぎるのかもしれないし、もう遅すぎるのかもしれない。
相手が負った傷が癒えるのを待つしかないのであろうか。よくわからない。
母親が入院したタイミングで、Twitterも休止してたけれど、もしTwitterの内容が原因だとするならば、もう本当に辞めてしまった方がよいのかもしれない、と、いまだに思っている。
よくわからないまま言葉を放出するのも、倫理的に如何なものかとも思うし。
TLを眺めていても、みんなの呟きは計算高く発言しているのかも、とか思うと、正直、読むだけでも疲れてくるのだ。
そもそも、不特定多数からの好意なんて要らないと思ってたけど、これが嫌われる原因の根本にあるのかもしれない。
どんな病みツイートも、あざとい自撮りのツイートも、誰もが羨む旅先のツイートも、誰かの好意を欲してる。
わかってはいる。それが平和なやり方だってことは、頭では理解しているのだ。
上っ面のやり取りが出来れば十分だし、それ以上は求められてはいない。
でもその面白さとか、良さがまるでわからない。
いまは自分が心から大切に想う人たちのことばかり考えている。
交友関係など広げようとするからこんなことになるのだと、当てつけるかのように卑屈になっている。
自分が想う人から要らないと、言われないとも限らないのだけれど。
そう思わないとやってられない。