ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#アクティヴィストの足音 #クレームでもなく提言でもなく

杉田議員のLGBTに関する発言を機に、自分の生活とそれを守ったり向上させるための活動のあり方について考えてみた。

前から考えてなかったわけではないのだが、近ごろの急激な盛り上がり方を見るにつれ、この盛り上がりが終わる時、世間がどうなっているのか想像するに、少し不安を感じてしまったからだ。

個人的には急激な変化を求めてはいないというか、現実的ではないと考えている。

しかし、今回の盛り上がりで何かしらの爪痕なり実質的な成果が無ければ、これまでの活動家が積み上げてきたものが無に帰されるというか、今後の活動がしづらくなるような気がしてならない。

なので、社会に爪痕を残すという意味では、杉田議員が謝罪やら認識を改めるようなことがない限りは、辞職するぐらいが丁度いいのではないかと思う。

しかし自民党の考え方自体は変わらないので、LGBTの権利を訴える活動は続けていく必要がある。

では、どのように活動していくべきなのか。

「答え」はないので、それぞれが試行錯誤して、良かれと思うやり方で活動するしかない。

いまTLで槍玉に挙げられがちな下記のツイートも、彼が良かれと思うやり方の活動なのだと思う。

個人的には、頭がお花畑なのかな、と思った次第だが、どうして彼がこういうツイートをしたのかについて考えてみると、まあわからないでもないかな、と思ったりもする。

https://twitter.com/daigoalex/status/1022821494492094464?s=21

f:id:bat_warmer:20180730155701p:image

前後のツイートを含めて拝読するに、ネガティブなことではなく、ポジティブなことでツイッター上のTLを埋め尽くせば、世間の意識も変えられるだろうという狙いなのだろう。

そして、それを "スマートな"やり方なんだと思われているようにも見える。

ある意味、LGBTの活動家のやり方を"泥臭い"ものとして、アンチテーゼ的な立場を取ろうとしているのかもしれない。

体制派でもないのにスマートさを気取るのも変な感じもするが、泥臭いことを嫌う風潮にある一般世論では確かにウケが良さそうだった。

実際、彼の方針を擁護する声もすくなくない。

ただ、スマートさだけを気取っているだけなので、具体的に何かを変えるだとか、悩み苦しむ人に手を差し伸べているかというと違う。

また、ハッピーな同性愛のアイコンとして振る舞うのは勝手なのだが、今回は"泥臭い"活動への非難が含まれていたせいで、火に油を注ぐ結果となってしまったように見える。

泥臭く足を使って活動している人には、美味しいところだけを奪われたように思われても当然だと思う。

もっと良いやり方がある、ということを彼は訴えたかったのだろうが、そのやり方を間違ってしまったのかも。

実際、自分も嫌味な奴だなぁ、と反感を覚えた。

何故かを考えていたところ、TLに流れてきたツイートで、彼のことを「『名誉異性愛者』の同性愛者」と評しているのを見て合点がいった。

その昔の南アフリカでは、日本人は黄色人種で白人とは同じ属性ではないのだが、体制にとっては有益な属性なので「名誉白人」として扱われていた。

その言葉を上手にもじった言葉であるが、かなり的を得た言葉だと思う。

まるで「パンが無ければケーキでも食べればいいじゃない」と言うかのように、「もっと上手いやり方があるのに」と体制派に寄り添いつつ、反体制的運動を賤しめる物言いは安易すぎるだろうと思う。

自分の身だって保証されているわけでもないのに。

実は彼がレジスタンスで、体制派に入り込んで画策をしているところだからいまは大人しくしておけ!っていうのならばカッコいいのだが、そんな気配はない。

 

話がまとまらなくなってきた。

 

何が言いたかったかというと、スマートな活動などあり得ない、ということだ。

何故ならば、いまのこの国ではLGBTの生き方は異性愛者に比べて制限されているし、それが現状の体制側の考えに他ならないからだ。

これは個人的な見方なのだが、どんな体制でも社会制度上の穴があっても、何らかの対処がなされない内は問題など最初から無かったように振る舞うし、問題があるとすれば反乱分子のせいとする性格がある。

反体制派の訴える問題も、己が引き起こしたことだとしてしまえば、何か手を打つ必要もないし、責任を押し付けることができる。

責任を押し付けられた後の結果はいろいろと想像できるが、幸せな結末など無いだろう。

そういう劣勢をひっくり返すためには、泥臭いやり方だって生まれてきて当然だ。

人と人とが分かり合うには困難はつきものだし、ましてや体制の方針を変えるのだ。

急ごうとすれば多少の乱暴さが生じるのも否めない。

泥臭いやり方はたしかにカッコ悪いが、ただし、それを避けて己や親しい人の人権を奪われることがあってはならない。

例の彼は、彼なりに考えて活動をしているし、多くの賛同者も得ているのに、どうして既存の活動家を非難するようなことをしてしまったのか。

目的はほぼ一致しているのだから、そっちはそっちで頑張って!というスタンスが取れたら、こんな結果にはならなっかったんじゃないかと思えてならない。

影響力を持ちたい性格の悪い側面が出てしまったことが残念だ。

しかし起きてしまったことは仕方がない。

今回の反省を活かすべき先は何か、考える材料にできたらと思う。

 

ここまで誰に向けているのかわからないことを徒然と書いてはきたが、別に例の彼をバッシングしたいわけではない。

彼と同じ考えの人はたくさんいるだろうし、彼一人に言うのも何か違うだろうと思ったのだ。

なので今回、杉田議員の発言を受けての27日の国会前の活動や、彼のツイートを受けて自分の考えをまとめてみました、という体裁で書いてみた。

しかし、そこは元来の文才の無さが災いして、ほぼそうは読めない内容になってしまった。

たいして読まれることもないから、あまり心配はしていないのだけれども。

一番言い聞かせたいのは何より自分で、自分の問題の整理のためでもあるので、文章を書く上での身勝手さや不親切さは辱く、申し訳ないと思う。

 

とにかく、これから自分はどう"活動"するのか、考えを改めなければと思ったのだ。

冒頭にも書いたが、今回の盛り上がりの後がどうなっているのか、不安で仕方がない。

杉田議員が発言を撤回することもなく、認識を改めることもなく、議員辞職することもなく、いまは盛り上がっている抵抗運動が落ち着いてしまった時、LGBTを含めた人権はどのように捉えられるようになっているのだろうか。

この機運の盛り上がりが終わる時、それはLGBTという言葉が無かったことにされる時なのだと思う。

真に公正になって性的属性など意味もないものになるのか、それとも臭いものに蓋をされて無かったことにされるのか。

現与党の人権の考え方を見るに、かなりの瀬戸際に立たされているのだと思う。

なので、この機運は出来る限り継続させないといけないことなのではないか、と個人的には考えている。

 

それこそスマートなやり方ではないので、拒否反応を示される方もいるだろう。

自分だってできることならば、なにもしないままやり過ごしたい。

けれども、自分の幸せを掴むためには、カミングアウトするにしても、しないにしても、人より障壁がたくさんある事実に変わりはないのだ。

そして、劣勢なのは自分だけではない。

いまこの最中だって、公正な人権を保てられていない人など、そこら中にいるということは想像するに容易い。

それぞれの生きづらさの原因は何か、よく見極めつつ、体制に任せることなく、いま自分ができる得る限りのことをやりたいな、思った次第である。

 

そうは言いつつ、自分は今後も見えないところでコソコソと勝手に生きるつもりなんですけどね(弱腰)。

それでも表立って活動する面々の役に立てることはあるだろうと思うのです。

 

はー、せっかくの休みの日に長々と時間を使ってしまった。

とりあえず、今日はここまで。

 

#アクティヴィストの足音

#クレームでもなく提言でもなく