ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 2日目(午前)

宿の食堂にて朝食を食べながら、NHKのニュースを眺める。

東京から離れ、地方でテレビのニュースを見ると、全国放送向けのニュースが全国向けではなくて、東京向けなのだということがよくわかる。

見ていても、いつにも増して他人事に思える。

別に普段から熱心に、ニュースを追っているわけではないのだけれど、見ていても野次馬的好奇心が全く昂らないのだ。

これは都会から離れたせいなのだろうか。

そもそもニュースに関心を寄せたところで当事者にはなり得ないのに、割りと不粋なことをしていたもんだ、と反省などする。

けれど、手元のiPhoneSNSを見ると、都会の感覚に引き戻されるかのようで、この野次馬感情を錬成する仕組みは何ぞやと、ただただ不気味さを感じた。

 

テレビから天気予報が流れて来たので、島の天候を確認する。

午前中までは晴れて、午後からは曇りがちの天気になるとのこと。

ローカル向けの天気予報の時間なのにも関わらず、この島の天気予報は予報士からの読み上げられることはない。

だから、一瞬だけ映る地図上の表示を見逃さないように注意がいる。

警報などが出ない限りは、いつもこんな感じなのだろう。

せっかくなら晴れているうちに目的地に行ってしまおうと、食べ終えた朝食の食器を流し台に運び、共用のシャワーを浴びて出かける仕度を急ぐ。

午前中、行くことにしたビーチは崎原ビーチというところで、以前に同僚が島で一番きれいだと勧めてくれた場所で、タイミングさえ合えば行こうと思っていた場所だった。

 

午後からは、島の工芸技術である染物をしに行く予定になっているので、東京から持ってきた古着をスーパーの袋に詰めて車に運ぶ。

今回も10着ほど持ってきた。

大荷物だね、とご主人にからかわれながら、行ってきます、と玄関を出る。

玄関を出ると、朝よりも空の青さが濃くなっていた。

ビーチに着くまでに曇らないといいな、と思いつつ、車に乗り込んで出発する。

 

目的地のビーチは、島の北東部の岬のふもとに位置している。

宿のある浜辺のちょうど反対側にあり、そう距離は無い。

しかし、人里からは離れたところにあり、道路も舗装されていないと聞いていたので、時間はかかる気がした。

 

宿のある島の東側から西側の方へ向かい、太古の昔に隕石が落下してできた湾を眺めつつ、車を北西に走らせる。

小さな漁港やコンビナートと、平屋建ての住宅が連なる集落の間を進むと、岬を縁取るように山道が続いて行く。

小さな土砂崩れの様子を見て不安に思うなどするが、全開にした車の窓から、入り込んでくる風が本当に気持ちいい。

海風なのに潮のにおいが微かにしかしないのは、やはり水質が良いからなのだろうか。

まったく嫌な気分にならない。

 

途中、この道で合っているのか不安になるところはあったが、目的地には意外と早く着いた。

聞いていた話とは違って、ビーチまでの道路は舗装されていたので、難なく着くことができて良かった。

道路からはビーチの全貌を見渡すことができないが、車の外からは波の音がクリアに聴こえ、ビーチがすぐそこにあることを予感させる。

 

小さな公営の駐車場に車を停めると、隣の敷地に大きなガジュマルの樹があった。

人の気配の無いところで遭遇する巨木には、どうしても霊力的なものを感じ、畏怖の念を抱いてしまう。

何か声をかけるべきな気がして視線を止めたものの、なにも言葉が出て来なかった。

 

後ろめたさを感じつつもビーチに向かう。

防風か防砂のために植えられた木々の間に、人ひとりが通れるような道があり、
そこを下りていく。

歩を進めるにつれ、明るいベージュ色をした砂浜とマリンブルーの海と青空が、視界に開けてくる。

たしかに同僚が言うとおり、この島で一番のキレイさかもしれない。

視界に入ってくるもののすべてが、あまりに明るすぎて、次第に暗くみえてくるほどだった。

太陽を見つめていると、視野の中央が暗くなるのと同じ感じ。

とんでもないところに来てしまった。

 

iPhoneで写真を撮るのだけれど、実際に目にしている光景と、レンズで切り取られた画像のギャップが、どんなに撮っても埋まりそうにない。

写真が上手ければ、カメラがよければ、この美しい景色を写真に納めることができるのだろうか。

撮影の腕の問題というよりは、心を制御する術に問題なのだろう。

なんで一人で来てしまったのか、と興奮と戸惑いがわちゃわちゃと感情を掻き乱してくる。

この世のものとは思えないほどに美しい光景を前に、次第に自分の存在の醜さが際立たされるばかりだ。

 

自分が居ようが居なかろうが、この光景は美しく存在し得るし、そのすべてを自分は解釈することができない。

だから偉大に思えてしまうのだろうし、自然の向こう側にある力によって、自分のこの身が消し飛ばされるのなら本望に思えた。

圧倒的な美しさを前にして、自分から差し出せるものがマジで何もない。

できることは、その場を立ち去ることだけだった。

 

駐車場に隣接してある無料のシャワーで、砂だらけになった足を洗う。
観光案内を見ると、ガジュマルの並木道が近くにあると知る。
午後の予定の前に、昼食を取る時間がなくなりそうであったが、少し遠回りをするだけなので、行って見ることにした。

いま思うと、駐車場に立つガジュマルの樹の導きみたいなものだったのかもしれない。

 

ガジュマルの並木道は、浜辺から15分くらいのところにあった。

うっかり通り過ぎてしまうほどの脇道に入って行く。

サトウキビ畑の防風林として植えられたもので、鬱蒼とうねりながら聳え立つガジュマルの幹の隙間から、収穫を待つサトウキビ畑があるのが見えた。

木漏れ日が揺れるなかを散策するものの、この島の日陰はとても暗く、聞いたことのない鳥たちの鳴き声が心細さを募らせてくる。

引き戻そうか、と思いつつも、道を進んでいくと、農業を営む民家が突き当たりにあり、その門前には、樹齢400年とプレートを掲げたガジュマルが立っていた。

 

先っき浜辺の駐車場で見たガジュマルより、倍の大きさはあるだろうか。

その存在感の大きさに寛大さを感じつつも、この島で生きてきた長大な時間に、また畏怖の念によって心が揺さぶられる。

この木にも、自分の存在は必要とされていないし、必要とされたところで、自分にできることなどそんなにない。

海で感じたのと同じ敗北感を胸に抱きつつ、車に乗り込んで午後の目的地に向かうことにした。

 

目的地への道のりの途中には、美味しいジェラート屋さんがある。

自分へのなぐさめとして、寄って行くことにした。

お昼はコンビニで何か買って行くしかなさそうだ。

 

【2日目(午前)の記録画像】

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宿の朝食(無料サービス)

 

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毎食後にはコーヒーを淹れてもらえる。

 

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海岸沿いに車を走らせるが、数台の対向車としかすれ違わなかった。

 

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駐車場脇のガジュマルの樹。

 

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崎原ビーチの入り口。

 

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ビーチの様子。

ビーチに面するように民宿があるのだが、営業をやめてしまったらしくて残念。

 

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誰もいないので心細くなってしまったのかもしれない。

 

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膣。

 

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ガジュマル並木の向こうにはサトウキビ畑がある。

 

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樹齢400年のガジュマルの樹。

 

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たんかんと島ザラメのキャラメルと黒糖焼酎レーズンのジェラート

落とした100円玉が、ウッドデッキの隙間に入って取れなくなった後の写真。

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2日目(午前)