ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ボタニカルホモ日誌 20180623

雨の日が続いている。

しかし、毎日が同じような雨の日かというと違う気がする。

今朝は冷えることは無いし、暑くもない。

ただただ、湿気でジメジメとしていて、身体をじっと動かさないようにしていないと、汗がとめどなく顔面を流れていく。

予報では午前のうちから雨が降りはじめるということで、最近は雨を理由にサボっていた鉢植えの世話をしたいところだが、湿気に嫌気がさして重い腰が上がらない。

しかし洗濯やら炊事やらと、他にもやらなくてはならないことは多い。

先日、駅ビルのスーパーで買った台湾産のライチを朝飯にして、ベランダを眺めながら何から手をつけようかと考える。

冷凍でない生のライチは、見た目も食感もプリッとしていて、とても美味しかった。

このプリッとした果肉のプリッとしてる感じは、他の果物には無いもので、よくよく考えると何を買っているのか謎すぎて不安になってくる。

茘枝(レイシ)という名前で、国内でも昔から作られているは地域があるらしい。

ふるさと納税でも申し込みできるようなので、国産のライチも食べてみたさが募る。

食べながらベランダの鉢植えの様子を眺めてはいたら、ジャボチカバに花がついていることに気づいた。

この冬にコガネムシの幼虫に根を食い荒らされて、心配していたジャボチカバに花が咲いた。

去年はもっと早くに花を咲かせて、今ごろには実をつけていたのだが、やはり根を張る間はじっと我慢していたのだろうか。

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よく見ると枝先には新芽が膨らんで来ている。

このまま復活してもらうには、実をつけさせない方がよいのだろうか。

でも実をつけたいから花を咲かせているわけだし、その望みを無下にするのもどうかと思ったりもする。

そんなふうにジャボチカバ氏の観察をしていたら、背後にベランダに鳥ちゃんたちがやって来ていた。

普段は留守にしているはずの家主が、いないと思っているのか、次々とやって来る。

俺の存在に驚いて飛び去っていく鳥ちゃんもいれば、意に介さずベランダの植物を物色し続ける鳥ちゃんもいる。

逃げない鳥ちゃんは、大体はこの春に生まれたばかりの鳥のようで、一緒に来る親らしき鳥ちゃんと比べるとひと回り小さく、羽も成長途中のようで不揃いだった。

どの生態でも若い奴は怖いもの知らずなのだろうか。

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鳥ちゃんたちのいま目標物は、ブラックベリーである。

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鳥ちゃんに食われる前に、黒く熟した実を収穫して食べたが、かなり酸っぱかった。

ラズベリーの方が甘かったかもしれない。

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こう見えて熟してなかったりするのかもしれないが、自分は大して甘くなくても鳥ちゃんに譲る気は一切ない。

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ブルーベリーは熟す前に、大半の実が鳥ちゃんに食われてしまってので、ブラックベリーは是が非でも自分が食べたいのだ。

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ホップ氏の方は、成長のスピードが落ち着いてきた。

もしかしたら気温上昇が関係しているのかもしれない。

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バラも枝がいくつにも分かれて、大いに成長中。

いくつか蕾もあるが、花つきが小さいのは、もう時期が終わりかけなのだと思う。

もう6月だしね。当たり前だった。

一重のバラの方は四季咲きなので、秋にまた咲いてくれるとうれしいのだが。

そして、6月と言えば、もう種を蒔くには遅い時期なのだが、ずっと放置していた唐辛子の種を蒔いた。

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イタリアン唐辛子と、
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韓国唐辛子の二種類。

両方とも去年に採った種を蒔いた。

ここ数年は、なんだかんだ10月くらいまで暑さが続くので、発芽さえしてもらえれば、問題なく実ってくれるはずだ。

種を撒きながら、秋の収穫と冬越しの準備まで考えている自分が、少し奇妙に感じた。

今を見ているようで、過去と照らし合わせつつ、幾通りもの未来しか見ていない感じ。

しかし、植物のことであれば容易に想像がつくのだけれど、自分がどんな風になっているのかは想像がつかないのだ。

たった数ヶ月先のことなのに。

自分としては柔軟性を持たせているつもりなのだが、側から見れば優柔不断なだけに見えるんだろう、などと思う。

じゃあ、どうすりゃ良いのさ、と自分に問いかけてみるけれど、ベランダの植物の世話に意識を反らして、きょうもまた一日やり過ごす。

 

#ボタニカルホモ日誌 20180623