#ボタニカルホモ日誌 20181201
12月になった。今年も残すところ1カ月。
あっという間だった、という感じはしない。
ただこれが人生で何回めの12月で、いまと同じような年の瀬を、今後、あと何回繰り返すのだろうかとぼんやりと考える。
考えたところで意味はないのに。
意味のないことを考えるのには理由があって、大概はやらねばならないことからの逃避である。
部屋の掃除もしたいし、模様替えもしたい。
押入れに入れたままの冬物を洗濯しないとあとあと困りそうだし、年賀状の準備もしないと今年も徹夜になりそうだ。
クリスマスのプレゼントも考えたいし。
あと部屋の更新もある。
週末はほぼ姉の見舞いのために実家に戻っていたら、自分の家事炊事をやる時間が取れないことが最近の悩みだ。
しかし、もし姉が倒れて入院してなくとも、同じような事態には陥っていた気がする。
困ったことに「できない理由」というものは、考えれば考えるだけ出てくるもので、ついつい自分を甘やかしてしまう。
それだけ疲れてるのかなぁ、とは思うものの、あまり幸せな気分にもならないのがイマイチなことだと思う。
姉も一般病棟に移ったので面会時間も伸びたおかげで、最近は以前よりも時間に余裕ができたし、気持ちもゆとりがもてるようになった。
まだ視力は戻っていないものの、また眼科の手術をすれば治るという診察を、担当医師からもらえたようなのだ。
そろそろ重い腰を上げてやらないと。
なんとなく最近思うのは、自分のことだけ甘やかすことよりかは、周りの誰かを含めて甘やかすことを考えた方が有意義なのではないか、ということだ。
真偽の程はわからない。
けれど試してみても良いのでないかとも思う。
少なからず現状のままでいて、良い状況に変化することなど期待はできない。
ということで、ようやくベランダの鉢植えの冬支度をやり始めた。
ただ数時間でやり切れる量ではなかったようで、きょうは枯れ草の処理と、だいぶ前に買った球根とニンニクの植え付けでタイムリミットがきた。
午後には2年ぶり2回目の大事なイベントがあった。
最悪の場合は行けないかもなぁ、と思っていたところなので、そのイベントに行ける状況は幸運なことだと思うし、呼んでいただけたことには感謝の気持ちしかない。
明日は明日で姉の見舞いもあるし、急いでやらないととは思ったものの、段取りが決まってないせいかいろいろと手こずってしまった。
まずは球根の植え付け。
ヒヤシンスとクロッカスの球根を、オザパで買ってきていたのをそのままにしていたのだ。
いくつかは会社で水耕栽培にして、うちは鉢植えに植えたいと考えていたのだが、すっかり時間が経ってクロッカスの球根から白い肉太な芽が出てしまっていた。
クロッカスもヒヤシンスも鉢植えにすれば、毎年花を咲かすので定植できるよう、深めの鉢に植えることにした。
深さに差をつければ、同時に咲くかどうかはわからないが、少なくとも根張りや芽出しに邪魔をしあうことなく共生してくれるはずだ。
けれども厄介なのは植え付けのレイアウトだ。
土の上で球根を並べつつ、いろんなパターンを試す。
上の3パターンで悩んだが、結局三枚目の画像の配置にした。
成功か否かは咲くまでわからないのでドキドキである。
ヒヤシンスを下に、クロッカスをその上に埋めて土をかぶせる。
1月後半には咲かせてくれるだろうか。
楽しみだ。
ニンニクの球根は今年できた種(一番上の小さいの)と今年できた2年目のニンニク片(真ん中)、お世話になっているニンニク畑からいただいた3年目のニンニク片をプランターに植える。
本来は遅くとも11月の頭に入っては植えたかったのだが、だいぶ遅くなってしまった。
こういう球根の類は、薄皮を剥くことなく植えるのが常識。
球根は薄皮の抗酸化作用成分と撥水作用に守られるおかげで、芽を出すまで腐らずに済むからだ。
けれども、ネットで調べると薄皮を全部剥いた方が芽出しが早いという情報もあったりする。
薄皮の撥水作用で吸水が進まないので、むしろ薄皮を剥いた方が生育がよくなるらしい。
なので物は試しだと、いくつかは全部の薄皮を剥いて植えてみることにした。
プランターなので窮屈そうな植え付け間隔になってしまったが、収穫を目指すというよりは育てるのが主眼なので、偲びないと思いつつも目を瞑ることにした。
球根類の植え付けが終わると、すっかり朝晩の寒さで枯れてしまった草を取る。
しゃがんで作業を進めていると、苺がなっていることに気づいた。
四季なりの品種なので、実のところ夏の間もなってはいたのだが、十分赤くなる前に鳥ちゃんたちに食われていたのだ。
いまはそこら中の柿や柑橘の木で実がなっているから、うちのベランダを当てにすることがなくなったのかもしれない。
韓国唐辛子も立枯れしてきた。
不透明な赤色が鮮やかだ。
イタリア唐辛子も赤色と緑色のグラデーションをさせていて、まるで🇮🇹国旗のようだ。
しかし実の先端からではなく萼の方から赤くなるとは。
ちょっと意外だった。
寒さで茶色くなったミントの茎をハサミで刈り取ると、スーッとしたミントの香りが辺りに充満した。
その見た目に青々とした面影を見ることは難しいけれど、漂う匂いは夏の頃と同じだった。
来年もまた植えようか。
雑に刈り取った後の鉢植えを眺めつつ、ちゃんと世話をすることができなくて申し訳なかった、と心の中で謝った。
世話に気持ちを込める必要はなくて、手間暇をかけるだけのことなのに。
いろんな理由を探しては気持ちの問題として片付ける癖は、本当にどうにかしたいところだ。
そんなことを考えていたら、出かける時間が近づいていた。
慌てて手を洗って家を出る。
電車の中でスマホをいじる自分の指先からは、洗いきれていなかったボカシ肥料の匂いがした。
#ボタニカルホモ日誌 20181201