#ゲイと東京から遠く離れて 2019年2日目
昨晩はよい初夢が見られるように、期待が膨らむようなことばかり考えてみようとしたが、考えがまとまる前に眠ってしまったようだ。
翌朝に起きても、まったく夢の記憶は残っていなかった。
シャワーを浴びて身支度を整えると、母が朝食を用意してくれていた。
両親は自分が起きる前に済ませてしまったらしい。
朝食は昨晩と同じく雑煮だったが、好物なのでまったく苦には思わなかった。
父は箱根駅伝を観るために、別の部屋で横になってスタンバッている。
朝のうちに帰ろうかと思ったが、雰囲気的に箱根駅伝が終わってからにしろ、という感じだった。
13時過ぎまで何をしようか途方にくれる。
居間にてブラタモリを眺め見つつ、新聞と本を読んだり、残りの休みの過ごし方をぼんやりと考えては怠惰な時間を過ごした。
もっとチヤホヤしがいのある息子でいられたら良かったのだが、そういう気質ではないことを逆に申し訳なく感じ始めてきた。
話しかけられても返事は素っ気ないし、冗談を言っても愛想笑いもしない、少し常識に外れた物言いをすれば叱責する、そんな息子でも母は諦めずに構おうとしてくる。
そんな母の姿勢は、かの人に対する自分の姿勢と似ているし、自分の母への態度はかの人の自分に対するそれと近似している。
なんとなく良くないものが巡り回ってしまっているのかもしれない、と少しスピリチュアルなことを想像しては正月早々に反省をするなどした。
表面的なことから理解できることなど、その人の一面的な理解でしかない。
箱根駅伝が終わると父が別の部屋から出てきて、駅まで送るぞ!と言う。
こちらはまだ荷造りをしていないのだが御構いなしに玄関を出ていく。
慌てて荷物をまとめ家を出る。
隣町にある駅まで送ってもらう間、両親と何を話したんだろうか。
いまは窓の外に広がる枯れた田んぼの景色しか思い出せない。
このことをいつかは後悔することがあるのだろうか。
そう考えると少しだけ怖くなってくる。
駅に着いて車から降りると母が、またおいで!と手を振ってきた。
来月は母の誕生日があるし、姉の見舞いもあるから、そのうち連絡しますよと告げて見送る。
改札に入ってホームに入ると、家族連れや友達同士、または仕事で移動途中の人が電車を待っていた。
東京に帰ったところでひとりなのだけれど、どうして帰ろうとしているのか。
自分でもよくわからなくなってきた。
これが自立とは思えない。
帰りの電車では本を読み進め、途中の乗換駅の駅ビルに寄って初売りの雰囲気をしばし楽しんでみた。
(いつものデパ地下の八百屋の福袋があった。これはトマトの福袋で2019円。少し買いたくなった。)
(これは干し柿の福袋で1万円。買う人がいるんだろうか。)
実家から東京の部屋に帰ってくると、大掃除直後で整理整頓されているせいか、どことなく違う人の部屋の雰囲気に感じられた。
#ゲイと東京から遠く離れて 2019年2日目