ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年3日目

またアラームの設定を変え忘れたので、仕事のある日と同じ時間に起きた。

コーヒーを淹れて、姉からもらった御年賀のお菓子を朝食の代わりにつまむ。

元旦に届いていた年賀状を眺めつつ、旧友や恩師の近況を読んではいつ以来会っていないだろうかと、己の記憶を遡ってみる。

これが結構楽しい。

自分の周りの友人知人はSNSをやらない人が多いこともあり、近況を知るには年賀状だけが頼りだったりする。

最近どうなの?なんて不躾に尋ねられるのは、直接会った時か、年賀状だけでないと相当に無垢な方でないとできないことではないかと思うし、なかなか貴重な機会だと思う。

中にはかれこれ20年近く会っていない人もいるけれど、年賀状での年一回の交流しかなくとも、昔のように話すことができるような自信もある。

たぶん、このぐらいの距離感が適度なのだと思う。

大体の年賀状には、子どもの写真を印刷されていることが多い。

それはそれで楽しみなんだけれど、その端に手書きで書かれたコメントを読むと、最近は、身体を壊したとかお互いに歳をとっただの、あまり夢のないことばかりが書かれるようになってきている。

体裁を整えた賀状の上に、日頃の苦労が追加される様を見るのはなかなか面白い。

その短い一文だけであっても、旧友の変わったところと変わっていないところを、想像させるには十分なメッセージだったりもするのだ。

届いた賀状に目を通し終えると、自分の書いた住所が誤っていたがために返送された賀状を書き直し、近所のポストに投函しに部屋を出る。

そのついでに、隣町まで初詣に出かけることにした。

実家の仏壇には新年の挨拶を済ませているので、十分だったりするのだろうが、せっかく地元ではない街に住んでいるので、できれば近辺の正月の雰囲気を知っておきたい。

この街に来てからずっと、初詣にはどこに行ったらいいのかを決めかねていたのだが、去年から隣町の大きな大師様のところに詣でるようにしている。

カイロプラクティックの先生が近所に住まわれていて、結構な賑わいだからと勧められたのがきっかけだ。

そして今年は、偶然にも同じ水泳教室に通う大学生(和製エリオ)が御奉仕(=バイト)をしているらしい。

聴けばサークルのOBが住職をしているそうで、毎年現役生が集められて手伝っているのだという。

去年参拝した時に、お手伝いをしている子たちが眼鏡男子ばかりだ、と少し違和感を感じていたのが、その理由が明らかになってとてもスッキリとした。

ただ境内も広いので会えるとも限らないし、と期待半分で伺ったのだが、参道を歩いていると鐘撞堂のところに和製エリオがいるのが見えた。

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(相変わらずの小顔ちゃん。考えてみれば服を着ている姿を見るのは初めてな気がする。)

どうやら鐘撞の見張り係りをしているらしい。

参拝をした後、自分も鐘を突かせてもらおうかと見ていたら、和製エリオは他の子と交代してどこかへ行ってしまった。

これは直接会っての挨拶はできないかもなぁ、と少し残念に思いつつ参拝を済ませ、おみくじを引くと案の定(?)小吉だった。

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(急ぐことなく時節をまて、という内容。)

しかし、おみくじを結びに境内の端に行くと、そこに和製エリオが立って見張りをしていたので、偶然さにおかしさが込み上げてくる。

新年の挨拶を済ませるとエリオも、◯◯(俺)さんが来るかなぁ、でもこの人混みでは会えないよなぁと思ってたんで嬉しいです!、などと可愛らしいことを言ってくれる。

自分も、おみくじは小吉だったが会えてよかったよ、などと精一杯に大人っぽさを醸してみたが、鼻の下は伸びに伸びていたのではないかと思う。

おみくじの話をすると、ここは良いおみくじはそうそう無いのだと教えてくれた。

境内に結ばれたおみくじを定期的に片付ける際に目を通していたらしいのだが、ほぼほぼ末吉〜大凶で小吉は良い方なのだという。

確かに寺社のおみくじは、神社のそれより内容が厳し目だと聞いたことがある。

どういう理由からそんな違いがあるのかはわからないが、とにかくプール外でエリオと会って話していることが嬉しくって堪らなかった。

気分が一気に良くなったので、仕事に戻るエリオと別れると、鐘を突かせてもらうことにした。

人生で初めてのことなので結構ドキドキしたが、優しく突きながらも大きく長く響く音を鳴らすことができた。

この鐘の音のように、自分も世の中に何かしら波動(できればよい波動)を響かせてみたい、そんな思いでいっぱいだった。

そうすればかの人も少しは認めてくれるのでは、そんな甘い期待を抱きつつ境内を後にした。

 

帰り道、どこかに寄り道をしようかと思ったけれど、部屋に戻って読んでいた本の続きを読むことにした。

比較的最近の知り合いに、電車で移動しているうちにLINEで新年の挨拶を交わす。

LINEみくじのUIに辟易しつつも、定型通りのメッセージを送る。

本当は直接会って話したいんだけれども、という、そんな思いは文面に載せないままに送信する。

自分は甘える歳ではない、そんな強がりはいつになったら平気になるのか。

「◯◯(俺)さんには頼れる人がいないんですね」

昨年、こっそりと通っていた心理カウセリングで言われた言葉が脳裏に去来する。

言われるまでは認識さえもしていなかったことだが、第三者からそう言われると思い当たることばかり。

自分には甘えられる人がいない、そう気づいた時には多少は落ち込んだものの、以前とは違う自分にもなっていた。

東京にいようが実家にいようが、感じる孤立感は自分で自分をそういう環境に置いているせいなのだ。

今年はそんなつまらない癖から脱却したい。

そのためには、いろんな考えや意見に自分を晒しては「自分」を変容させていかなければ。

やらなきゃならないことはたくさんあるが、楽しみで仕方がない。

そんな年末年始の四日間だった。

 

#ゲイと東京から遠く離れて 2019年3日目