ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#女王蜂 #qbhorrorshow #リアルな平和と倫理

女王蜂のライブ、キュービーホラーショーを観てきた。

女王蜂が大好きな友人の都合が悪くなったので、代理で行くことに。

 

実のところ、このライブが告知されたときには、その話題で友人と盛り上がって、行きたいねぇ、という話をしていたのだ。

だから、てっきりチケットを取ってもらえるのかな、なんて淡い期待をしていたたらば、うっかり自分のチケットを取り逃がしていたのだった。

その友人には申し訳ないが、棚ぼた的に代理で行けることになり、マジで嬉しかった。

 

場所は、昔はシネマライズだったところにあるライブハウス。

前回のライブは、Zepp Tokyoだったから、今回の会場は半分以下のサイズの箱で、最後列に位置しても、ステージがとても近くに感じられたのではないかと思う。

 

ちなみに今日のライブは、女王蜂がミュージカル舞台「ロッキーホラーショー」に参加したことを契機に企画されたもの。

ボーカルのアヴちゃんは、ヤク中の恋愛依存症の女の子であるコロンビア役で、他のバンドメンバーも演奏者として、ミュージカルに出演し、演劇界でのデビューを飾った。

このことは、ファンの間では喜ばしいこととして受け止められていたようで、来場者の7割方がミュージカルを観に行っていたようだった。(アヴちゃんが挙手でアンケートを取っていた)

 

だから、ライブのタイトルから考えても、ロッキーホラーショーの曲を演るんだと思っていたのだが、それは冒頭の曲だけで、セットリストはこれまでの女王蜂のライブでスタンダードな曲を並べる構成だった。

春からツアーも始まるし、この企画の位置づけがどういうものなのか、少しわかりにくく感じなくもなかったが、女王蜂のライブにはあまりコンセプトなどは必要がないか、とも思う。

 

ステージが始まると、バンドメンバーの演奏する音の迫力が、以前とは比べものにならないほど増していて、とにかく興奮した。

まぁ自分には、演奏技術の良し悪しなどはわからないけれども、音楽の圧の強さや勢いぐらいは感覚的にわかる。

言うなれば、素人の自分にもわかるほどの差だったとも言える(というか、そう言いたいわけ!伝われ!)。

 

それは箱が小さかったせいなのかもしれないが、ルリちゃんの叩くドラムの音は、ひとつひとつが弾力がありながらも固く重いものになっていたし、その飛んでくる音のスピードが上がっているように感じた。

音楽の拍ではなく、音が飛んでくるスピード。

まるでいろいろな大きさの弾丸に、撃たれまくったかのような感覚だった。

 

やしちゃんのベースもひばりくんのギターも、音が太くなり、粗さが消えて、気品が高まっていた。

時に、アヴちゃんのボーカルを打ち消すほどに音を鳴らしまくるから、バンドメンバーにアヴちゃんが喰われてるのでは、などと思ったぐらいだ。

 

しかし序盤の演奏が終わって、なんとなく思ったのは、アヴちゃんがメンバーに押されてるのではなく、これはアヴちゃんが他のメンバーの力を解き放った結果ではないか、ということだった。

これが今回のライブの企画の狙いなのかもしれないが、こういう憶測ってホントに意味がないから、言うのもやめたい。

けれども、わかってくれる人もいてほしいので、一応、書き留めておく。

とにかく、そのオーラみたいなものは、バンドの顔であるアヴちゃんがいなくても、女王蜂が成立するのではないか、と思うほどだったのだ。

実際、アヴちゃんの表情もいつになく活き活きとしていた。

 

アヴちゃんの解き放ったバンドは、それぞれが音を鳴らしまくり、ときにメロディーさえも聴き分けられないほどに盛り上がりを見せた。

途中、三半規管が狂って倒れそうになったほどで、例えではなく、これは本当の話。

実際、ライブTシャツにジュリ扇を持った熱狂的なファンでも、途中で退出した人も何人かいた。

でも不快に感じたわけではなくて、何かに没入していくときの気持ち良さがあった。

身体感覚ではボッコボコにされているのに、とても癒される感じで、美しい音色が身体を透過していく感じにも近い。

まるで音波が光となって、一斉に押し寄せて、身体のあらゆる感覚が飲み込まれて行くような感じ。

本当のことを言うと、その時の自分は勃起していたし、近くに好きな人がいたら抱きしめてキスしていたかったし、自慰で抜きたい衝動に駆られていた。

女王蜂の演奏で自分の殻が破られて、解放されていく時間だったのかもしれない。

 

しかし以前から不思議だったのだが、女王蜂の歌って、あまり一般的に美しい話とされないことを歌っているのにも関わらず、なぜ美しく尊いものに聴こえるのだろうか。

普段の友だちの会話に持ち出したら、空気を凍らせるような、重たくて笑えないエピソードばかりなのに謎である。

退廃的な美しさとも違うし、汚いものに目を背けたくなるようなこととも違うし、どこか倫理的でもあるのだ。

 

特に今日の演奏なんて、指先や内臓にビリビリと痺れが残るまでに、大音量で演奏される音楽に、優しさは感じられない。

むしろ意識が朦朧とするほど、圧倒されるばかりだった。

けれどもそれは、暴力的でも威圧的にも感じられることはなく、観客をまとめ上げるリーダーシップの力だったのかもしれない。もしくはカリスマ性か。

中途半端なことで許してもらおうなんて思っちゃいなさそうな、その態度はとても大きな自信に満ちているかのようで、その力強さに意識がグイグイと惹きつけられた。

 

MCの時間にアヴちゃんが、バンドは終わりのない戦いだから、ということを語っていた。

前にも何度かライブのMC中に、一緒に闘おう、とアヴちゃんが言うのを耳にしたことがある。

その時は、世の中のしょうもない「倫理」と闘う、と言っていたのだけど、アヴちゃんの言う「倫理」は、俺が知る「倫理」とは違う気がしていたのだが、きょうのライブを観て、なんとなく腑に落ちたような気がする。

 

闘うといえども、暴力を使わずに闘おうと言っていて、そうして闘うことが即ち平和だ、と、アヴちゃんは言っているのかもしれない。

いくら優しい言葉を並べようが、都合の悪いことには見て見ぬ振りをしようが、汚いものに蓋をしていることに変わりはない。

そして蓋をされる側にしてみれば、一方的に負けを強いられたようなもんで、争いごとは目に見えてはないけれど、まったく平和とは思えないもんだ。

アヴちゃんは、その蓋をする者/習慣/ことを、「倫理」と言っていたのだろう。

 

アヴちゃんはMCのときに、こうも言っていた。

「女王蜂のライブはよく演劇を観ているようだと言われる。けれど、わたしは演じてなんかいないから。リアルだから。」

アヴちゃんのプライベートなど知ってなどいないから、ステージでのキャラクターがリアルかどうかの真偽はわからない。

ただ、己の平和のためには、リアルな自分をさらけ出す必要があるし、それを皆ができるように闘う必要がある、と思っているのかもしれない。

だから、アヴちゃんはステージの上で率先して、リアルな自分を解放して魅せまくるのか。

 

ま、アヴちゃんに直接聞いてみないと、一切のことは推測で、わからないのだけれども。

 

リアルな自分をさらけ出すことを、誰かの許可を得たり、キャラ設定や場の空気を気にする必要もなく、表に出せるようになれたら、きっと哀しい思いなんてしなくなるんだと思う、なんてことを女王蜂のライブを見て思ったわけです。

アヴちゃんも賛同してくれたりしたら嬉しいんだが…。

 

また時が経てば、いまある解釈も変化するのかもしれない。

けれど、とりあえずは今後も、女王蜂が歌って聴かせるもの、そして見せるものを、偏屈な捉え方をするようにはなりたくないな、と今は思う。

いつまでも体裁を気にせず心から人を愛せばいいし、いつまでも思うように勝手に生きればいい、ってそう思えるような、素敵なライブだった。

 

ライブが終わって会場を出るとき、チケットを譲ってくれた友人にそっくりな人に遭遇して、生霊かな?なんて思った。

似ているだけのDKだったのだが、かなりソックリだったので、馬鹿にウケてしまった。

学校帰りにひとりで来ていたようだったが、学ランにニューバランスのスニーカーという服装で、かなり個人的にツボで眼福な子だった。

女王蜂のライブ会場でまた会えると面白いのだが…。(早く学校を卒業してほしい)

 

#女王蜂

#qbhorrorshow

#リアルな平和と倫理