ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ポニヨ、会社辞めるってよ #クレームでも提言でもなく

今日、3月いっぱいで退職することになった後輩(通称ポニヨ)が、会社に荷物の片付けに来た。

 

ポニヨが辞めることになったという話は、課長から今月のはじめ頃には聞いていたのだが、それからずっと気持ちの整理ができていない。

今年の3月末で、ちょうど彼女が入社して丸4年、休職するようになってからは1年8ヶ月が経ったタイミングでの退職。

入社後1ヶ月間の新人研修を経て、うちの担当へ配属になってから、自分が教育係も兼ねて同じチームで働いてきた分、簡単には受け流すことができないでいる。

この期間は、とても長い時間だったように思えるし、時間が止まっていたかのようにも思えるしで、なんだかまとまりがつかない。

とにかく、いまだに正しい対応がなんだったのかもわかってないしで、後悔の念ばかりが湧いてきてしょうがない。

 

そもそも、ポニヨは計画的に年休を取ることができず、有給休暇の補充期限まで2ヶ月もあるのに残数が1になっていたので、休職するのも時間の問題だと思ってはいた。

欠勤扱いになると本人の査定に響くし、保護措置として病休を取れるように診断書を出すのは、病院からすればよくあることと、以前、自分の主治医に聞いたことがある。

(実は昔、自分もパワハラによるPTSDで通院歴があるのだが、ここでは詳しく触れないでおく。)

会社の上司としても、社員の欠勤数は管理者の責任も問われるし、なにより管理者側の査定にも響くらしい。

なので、彼女の年休の残数が減って行くたびに、急に休まれることは覚悟しておかねばと思うようになっていたし、上司たちとも同じ話をしていた。

なので、ポニヨに対する何かしらのハラスメントについて、会社から注意されたことはないし、気にする必要はないと上司たちには言われている。

なんなら、よくやってくれていたという評価までもらってしまった。

なぜならば、彼女に発達障害の傾向がありそうだぞ、と会社に報告したのは自分だったからだ。

コミュニケーションが苦手な子だということは、会社も把握していたのだが、業務に支障が出るほどまでとは考えていなかったらしい。

自分の報告がなければ、いまごろどんな状況になっていただろうか。

考えても他に方法が思いつかないものの、どうしてか考えてしまう。

 

ポニヨが弊社での日常業務に支障があるように思い始めたのは、配属されて半年したぐらいの頃だった。

長年勤めていてもミスは付き物だし、ましてや新人だから間違いがあって当然と思っていたので、これまでの新人と同じように彼女とも接してきた。

たとえば、どの新人とも週次の業務報告資料をつくる際、仕事上の反省について振り返りの時間を設け、その原因と対策について話し合う時などのこと。

大方の新人と同様に、彼女の仕事の愚痴を聞きつつ、資料の体裁を整えながら、新人が抱きがちな希望と現実との折り合いをフォローすれば、時期に仕事の要領を憶えて独り立ちしてくれると呑気に構えていた。

しかし、ポニヨとの業務報告書のレビュー時間は、まず話し合うこと自体から手こずってしまった。

人見知りっぽくもあるし、緊張してるのかな、と思っていたのだが、さっぱり意見という意見がまったく出てこないのだ。

おかげで、なかなか資料を作成するにも内容が定まらないしで、これまで以上に時間がかかってしまい、締切の間際になると、文面は自分が作って書いてもらっていた。

最初はお手本にもなるだろうと考えて、代わりに考えていたが、翌々月のレビューで何も書いてこなかったタイミングで、何かを勘違いされたように感じた。

まさか俺が文面を考えてくれると思っているのかな、という疑念が湧いた。

その日のレビュー以降、そんな受身では困ると代弁することはやめ、ポニヨに意見を求めるようにした。

しかし、ポニヨには何を聞いても「はい」と答える癖みたいなものがあり、それが話を進める上で更なるややこしさを生む原因となった。

「なんでこの業務目標の進捗が遅いんだろうね」「はい」「なんか理由はあるの?」「はい」「え、あるなら言いなよ」「え?あ、無いの意味です」「どういうこと?」「いえ、うっかり言ってしまいました」「適当に答えたってこと?ただの相づちってこと?」「はい」「その『はい』はYESの方?相づちの方?」、、などという会話をほぼ毎度やっていた。

他の同僚との会話でも「はい」だけで受け流すことが多く、業務上でわからないことはそのままになるし、納得していないことについては、無かったことにされたりした。

たぶん、その場だけを受け流すための返事が常套句化してしまったのだろう。

だから、同じような間違いを繰り返すし、業務上のルールを何度も破られては嘘をつかれた。

これをそのまんま資料に落とし込むのも会社員として不味いので、反省だけではなく努力の姿勢を盛り込まねばと、毎度頭を悩まされた。

実際、時間の経過と共に、彼女の実態が周囲に認知されるようになり、彼女に対する同僚からのクレームを代わりに受けることも増え、資料の内だけ体裁を整えるには無理が出てきていた。

どうしたらよいものかと、自分の機転の効かなさを憂うばかりで、具体的な対応と言えば、見捨てずに付き合うことしかなかった。

しかしこのままのやり方では続かない、何とかせねばと、ポニヨとのコミュニケーションに試行錯誤する日々が始まった。

これまで読んだコミュニケーション関連の本や受けた研修のテキストを読み直したり、時間さえあれば、新たな情報を本屋やネットの情報を探ったりした。

そうして、発達障害に関する記事に行きついた。

模索を始めてから更に半年ほど経った頃だっただろうか。

早速、本を数冊買って読んでみたが、ポニヨの行動の傾向や特徴に合致する点が多い。

それらの大概の本には、発達障害の対応と改善にはその道の専門家でないと対処が難しい、と書いてあった。

自分の苦労が不自然なことではないことを知ることができて、心の底からホッとしたものだが、具体的にどうしたらよいものか、自分だけではまだ無理があるという状況に変わりはなかった。

詳しくは本を読んでほしいが、発達障害の相手には「常識」を期待せずにひとつひとつ解釈の共有をすること、そしてそれを周りの同僚にも理解を促すことなどが求められるのだが、自分の業務と並行してやるには荷が重いように感じられた。

何より本人がその傾向があるという認識がない。

すぐさま、関連する情報と共に、ポニヨへの対応には特別なフォローが必要なのではないかと、上司と人事担当に相談してみた。

すると、会社はすぐに産業医と連携しながら、彼女のフォローをする体制を敷いてくれた。

こういう会社の対応の迅速さには、毎度感心してしまうのだが、社員への手厚い支援とも見えるし、会社都合のリスクヘッジでもあったりするので、つくづく"良い"会社ってのは敵に回してはならないと思う。

ポニヨの年休が残り少なくなってきた段階では、産業医から発達障害を専門に診るクリニックも案内されていたようだった。

その後、すぐに診断書が書かれて休むことになったことを見るに、そういうリスクを良しとしたんだろうな、といまは思う。

 

ちなみに、診断書には特に病名の記載があったわけではなく、疲れているようだから休ませてください、という旨が書かれていたと聞く。

当時のポニヨの勤怠状況は、半年ほど定時退社が続いていたし、年休も生理休暇も駆使して、休む前の1年間は実働日数が毎月15日程度だった。

多少の寝坊をしただけでも、半休を取ればいいのに1日休んでしまうので、どんどん年休の残数は減った。

それじゃあ寝坊をしないようにと、日常業務の負荷を軽くしていった。

課長を含めて話し合い、彼女が難しいと言う業務や、締切に間に合わなかった作業などは外し、ポニヨ自身ができることは何かを探していった。

それを数ヶ月繰り返すうちに、最後には、郵便物の配布や打ち合わせ卓の整理整頓などの業務だけになった。

閑職の業務すぎて酷なように見えるだろうが、これは部署の同僚と最低限のコミュケーション(報連相)をできるようにすることが目的でのことだった。

別に友だちみたいなコミュニケーションは求めてはおらず、毎日の業務を実施したら報告すること、そしてわからないことや困ったことがあれば相談する、ということを目標に設定した。

しかし、すぐに「相談」が難しいということになり、"報連"をできるようにしよう、という目標になり、相談の不要な業務が最後に残ったのだった。

しかし、一人きりで仕事がしたいと希望する彼女にとっては、それでもストレスになったようだ。

 

当時は、こんな状態で過労と言われてもなぁ、などと憤りを超えて、ただただ呆れてしまったものだ。

しかし、感じ方は人それぞれ。

彼女と似たような傾向を持つ人も、働いていれば周囲と折り合いをつけて働いているのだ。

そして専門の先生が、一旦は現場から離れてトレーニングをし直すべき、と判断したということで、素人がとやかく言う必要はない。

たしかに、いまのままでは彼女が業務が続けられる状態ではなかったのは事実だし、周囲でサポートするのもかなりの稼働を取られていたので、助けられたのは我々の方でもある。

だから、真相はわからないけれど、当然の流れだと言われると、頷かざるを得ないことなのだった。

実際、ポニヨが休んでから自分の残業時間は半分程度になったし、担当内がギスギスする頻度も減ったと思う。

けれど、医者から発達障害であると言われたとき、彼女はどんな気分だっただろうか、いまだに気になってはいる。

自分は○○な人間、と思い込む節のある子ではあったが、他人から想定外のレッテルを貼られることは、拒絶感を示す子でもあったので、なかなか受け入れられることでもなかっただろうに、と今更ながら同情してしまう。

我々が取り戻した平穏の代償は、彼女が引き受けたことになったのかと思うと、少しばかし罪悪感を感じざるを得ない。

もしも、最初から彼女に自覚があれば、またそれを会社も知っていれば、お互いに過剰な期待をすることなく、有意義な時間が過ごせたようにも思える。

しかしながら、世の中はそんなに都合のいいようにはできていないのだった。

 

そんなこんなで、発達障害ってのは休んだら治るようなものでもないのだけれど、最初の3ヶ月の休職期間があっという間に終わった。

復帰してくるのかなと思ってたら、休職期間は延長されて、しかもそれは何度も繰り返されて、結果的に1年8ヶ月も休むことにとになった。

ポニヨは休んでいる間も、専門のクリニックで復職に向けたトレーニングやカウンセリングを受けていたようだった。

しかし、生活が不規則になって起きることができなかったりで、診察に行かない時もあるようだと、課長から内々に聞いては時間はかかりそうだな、と思った。

通院に前向きさが見られないと、なかなか会社側も職場復帰にゴーサインを出し難い。

社内でポニヨを知る人の間では、期間の延長が決まる度に、まだ辞めないのか、いやいやまだ辞めないだろう、という話が悲哀と冷笑の混じった声で交わされた。

しかし個人的には、ずっと彼女は休んではいるけれども、いつかは会社に戻るのだろうと思っていた。

だから今回、会社を辞めることになったのは、正直なところ意外な展開だったりもする。

 

うちの会社は給料が高いわけではないが、世間では待遇的には恵まれている方らしい。

ポニヨに関して言えば、休職していても3年間は給料が支払われることなっており、余程の借金返済などの理由がない限りは、生活に困ることはない。

実際、この制度を利用しながら、休職しては復帰してまたすぐ休職する、というサイクルを繰り返す社員も、弊社には何人かいる。

後輩のポニヨには、このサイクルに乗ってほしくないな、とずっと思ってはいたのだけれど、こんなオイシイ制度を知ったら乗らないわけないよな、とも若干思っていたのだ。

 

しかし、最終的にその先にある選択肢は辞めるか、劇的に業務がこなせるようになるかしか無く、結局は退職するのが最も妥当な線であることは、自分でもよく理解していた。

彼女が劇的に業務がこなせるようにはならないであろうことは、休むまでの約2年間を傍らで見てきて痛感してきたことだからだ。

それなのに期待をしてしまっていた自分は、偽善者なのか。もしくは脳天気なだけなのか。

なんでここまで意固地になってしまったのだろうか。

 

教育係になるのは4回目だったし、試行錯誤の繰り返しであることは、過去の経験からも見知ったこととして取り組んできた。

だから時間さえかければ、他の後輩と同じように、いつかは分かり合える時も来るだろうと思っていた。

ポニヨの場合は、他の子より時間をかける必要があるだけと、本気でそう思っていたのだ。

それは信念みたいなもので、曲げたくないことでもあったし、そう思わないとやってられない感じもあった。

 

ポニヨと話をしているときに、まったく受け入れられなかったのが、自分自身を一切の評価に値しない人間だと思い込むところだった。

どんな受け応えにも「はい」ばかり言うのも、最初から放棄した態度の表れだったのかもしれない。

まさに成されるがまま。

一度、業務上のミスがあれば、そのミスを認めはしつつも、自分のダメさを免罪符のように掲げて、何を言っても暖簾に腕押しの状態になりがちだった。

しかし、自分をダメ人間と言う割に、悪かった部分を直そうとはしないので、いつまでも同じ失敗を繰り返した。

要はポニヨからしてみれば、ダメ人間だから仕事ができません、という主旨のことを言いたいようなのだが、そう言われても同僚としては働けるようになってもらわないと困る。

こういう反省と自虐の違いを理解できていない点について、一番どうにかしたいと自分は思っていた。

人と関わるの苦手だからと言って、周りとの同調を無視して行動する傾向も問題になった。

ちょっとした業務の手伝いを頼んでも、報連相をしなかったり、ひとりの判断で業務のオペレーションを進めたりして、よく自分の指導不足だと同僚からクレームをもらったものだ。

その度に、また怒られちゃったねと反省会をし、この会社にいる限り、報連相をしないことは許容されないことなんだと理解を促したりもした。

しかし話せば話すほど、彼女自身で無能な人間なのだ、と思い込もうとするし、その度に自分は「そんなことはないはず」と、できていることを例に挙げながら話し合ってきた(傍から見れば、一方的に話していたように見えただろうけど)。

そして、どんな些細なことでも、褒めるように心がけたりもした。

一方で、そうまでしてポニヨに付き合う自分を褒めてくれる人は少なく、事実、徒労感ばかりが募っていたように思う。

 

自分としては、人間嫌いといえども、嫌われる立場のツラさも知ってほしかったのだが、ポニヨ的にはツラいなら辞めれば?という話でしかないらしく、必ず話し合いの時間は我慢比べの時間となった。

しかし、自分の話を受け入れてもらえないのは、信頼感が足りないせいでもあるし、欠点は自分にもあると感じていたので、途中で投げ出す気もなかった。

自分のコミュニケーションスキルなどに自信などないし、だからと言って指導役を辞めるわけにはいかないし、一緒に切磋琢磨しなきゃならんのよ、という話もした。

ここで諦めてしまったら、何より自分がポニヨに言ってきたことを否定することにもなり、まさに後に引けなくなっていたようにも思う。

 

いやいや、

いま自分は都合のいい嘘をついている。

 

発達障害への配慮が必要なのは百も承知だったが、配慮される側のポニヨが、フォローする自分に対して慮ることはあまり無い。

それも彼女の特徴のうちで、単に態度に示してないだけかもしれないのだが、自分の存在が無用なものとして扱われていると感じる瞬間は度々あり、怒りの感情をコントロールすればするほど、日々のストレスは溜まっていった。

それでも諦めずに係わりを断たずにいたのは何故か。

彼女の対応には専門家のフォローが必要で、素人ができることではないとわかっていたのに、自ら積極的に関わろうとした理由とは。

それはコミュニケーションや特別な配慮を望んでいないポニヨに対する、嫌がらせみたいなものだったのではないか。

いやいや、疑いの余地もなく嫌がらせそのものだ。

「優しさ」や「配慮」を押し付けることで、彼女の選択肢や逃げ場を無いものにしていたのは、他でもなく自分だ。

世間的には善行と見られることを良いことに、彼女に嫌な思いをさせ続けたわけだ。

ダメになりたかったら、彼女の思うようにダメになってもらっても良かったのだ。

そして、誰も助けてくれない、と嘆いてもらっても良かったのだ。

そこから何かしらの気づきを得られることもあっただろうし、自分に不利益が被らない程度ならば放っておいても良かったのだ。

けれども、自分はとにかく彼女の世界像をぶち壊すのに必死だったし、彼女の嫌がる現実で思考を囲うことで、逆に了見を狭くさせていた。

 

要は自分も異常なのだった。

発達障害だからとか、仕事にやる気がないとか、別に問題でもなくて、個人対個人の関係として、自分のしたことは適切でなかったと思う。

他人の異常さを指摘や批難をすることができるのは、その異常さを理解して自分の内にも内在させているからだと、昔、お世話になった人に言われたことがある。

理解の及ばないものは認知さえできないってのも、何となくわかる。

奇妙さや異常だと思うことは、自分だってやり得ることで、だからこそ注意や自律というものが求められるのだろうか。

 

たしかに、異常さや奇妙さを笑って蔑めば、心理的に距離を取ることはできる。

しかし自分の中の問題は、潜在化するばかりで無くなりはしない。

 

いま打ちひしがれた気分なのも、何かしらの報いみたいなものなのかもしれない。

自分がポニヨは復帰するのだと信じていたのも、実は人を育てることに不適格である、という烙印を押されたくなかっただけで。

自分の見たくない現実を面前にして、ポニヨと同じように、見て見ぬ振りをして無いものにしていたのだ。

随分と体裁ばかりを気にした身勝手な信念だと、我ながらドン引きである。

 

退職すると聞いてから、ずっと続いていたモヤモヤは、結局は保身のために言い訳を考えていたせいなのか。

だから、ポニヨが最終日に会社に来ると聞いて、会わせる顔が無いように思えて、来ないでほしいなぁとも思ったのだろうか。

 

そんなことをボンヤリと考えつつ、気持ちの整理をしようとしていたら、ポニヨが会社にやって来た。

10時半ごろに来ると課長に連絡してきたようだが、まだ1時間も早い9時半である。

課長は約束の時間に会議を入れないようにしていたのだが、予定よりポニヨが早く来たために不在にしていた。

相変わらずの身勝手さだなぁ、と思ったが、久しぶりに見たポニヨの顔は、それなりに緊張しているようだった。

それが本心のものからなのか、表面的な振りなのかはわからないけれど。

 

「ご無沙汰しています。ご迷惑をおかけしました。」

とポニヨが挨拶をしてきたので、

「いえいえ、ご苦労様でした」

と返した。

アニメ声でたどたどしく話す口調は、以前と変わりはなかったが、身体は休む前よりもかなり大きくなっていた。

その容姿をマジマジと見てしまったこともあって、続く言葉が出てこないでいると、ポニヨが「あの、これ…」と言ってクッキーの菓子折り2つを差し出してきた。

どうやら退職の挨拶の品のようだが、自分だけがもらうには量が多いので、これはみんなに配ればいいの?と聞くと、「いえ…!1個はこちらに…」と言って俺を見る。

(こちらに、っておかしくね?)と思いはしたが、ポニヨの言いたいことは、2つ差し出したうちの1つは自分に用意したものだ、ということだったらしい。

ひとつひとつ事実を確認しながら進める会話は、長い空白期間を経ても相変わらずのものだった。

しかし、送別の品を用意してくるなんて、期待などしていなかったので驚いた。

 

自分は、花見でもしながら飲みなよ、と退職祝いとして買っておいたワインを差し出した。

ポニヨは酒を飲むのが好きだったから、用意しておいたのだ。

以前、どれだけ飲むのか聞いたときには、一升瓶の日本酒を風呂に運び込んで長湯をしながら飲んでいる、と言うほどの飲兵衛であった。

学校を卒業したばかりの女子のエピソードとは思えないが、よく会社で酒臭いことはあったので、たぶん飲兵衛なのは本当なのだと思う。

我ながらナイスなプレゼントを選べたな、と思っていたのだが、ポニヨからは「薬のせいで禁酒してるんですけど、ありがとうございます」と言われてしまったので大失敗に終わった。

配慮に欠けたことをして申し訳ない、と詫び、実家に帰ったら家族に飲んでもらってよ、とその場を取り繕ってはみたものの、上手いこと誤魔化せていただろうか。

 

課長が会議から戻って来るまではまだ時間があるので、挨拶回りでもする?とポニヨに聞くと、「え…、あんまり憶えてないので…」と言って断られた。

憶えてないわけなかろうが、と思ったものの、そのあと同期の一人が噂を聞きつけて、ポニヨの元に挨拶をしに来た時、ポニヨは本当に同期のことを憶えていないみたいで、「申し訳ないのですが…💦どなたかわからないのですが、お世話になりました…💦」と言ったのだった。

2年近くも同じ担当で毎日のように会っていた同期でさえも、忘れてしまうものなのか。

それはまるで記憶喪失者の再現ドラマを見ているかのようで、不思議な気持ちになりつつも、(たぶん)忘れられた同期の子が気の毒でならなかった。

こういう時こそ、嘘をついて体裁を保てばいいのに、と思うのだが、これも教えてあげないと彼女にはわからないことなのだろう。

また、他の同僚には「元気そうだね」と声をかけられ、「はい、人間的な生活を送れるようになったので」と会社員に喧嘩を売るかのような返答をしたりして、少し笑ってしまった。

語弊を生むような言葉のチョイスは昔と変わらず、以前は耳に障って仕方がなかったが、いまは面白く思えた。

もう注意する必要もないのかと思うと、変に安心感が生まれた。

もう自分が引き止めたところで、彼女には何のダメージも負わせることはない。

 

課長がデスクに戻ってくると、ポニヨから会社の入室証や備品を預かった後、近況について話をしていた。

終わったらすぐに帰るのかと思いきや、労働組合での手続きがあるので昼休みまでは帰れない都合があるらしい。

ポニヨは仕事の邪魔になるとでも思ったのかどうかはわからないが、社内のラウンジで時間をつぶすことにしたらしく、課長に付き添われながらフロアから出て行った。

「お先に失礼します」と、か細い声で言って、誰と顔を合わせることもなくフロアを出て行く様子は、また明日も会社に来るような気がするほど重みのない挨拶だった。

デスクに戻ってきた課長に聞いたところでは、エレベーターホールで別にフロアにいておしゃべりしてても良かったのに、とポニヨに話を振ると、一刻も早く家に帰りたい、とポニヨは答えたそうだ。

昼休みに組合の用事を終え、課長が会社の玄関ホールまで見送った際にも、一切振り返ることなく去って行ったのだとか。

それは、会社に居た堪れない感情からのことだったのか、それとも大人数の人に囲まれたことがストレスだったのか。

他の何かにせよ、ポニヨにとってはこの会社にいたことが良いことと思われていたかどうかについて、疑問を挟む余地はまったくなさそうだった。

 

ずっと気構えていたものの、ポニヨとの別れは随分とあっさりとしたものだった。

もう会社に来ることはないということが、ちょっと信じ難いほどに劇的なものが一切無かった。

何かしら自分の負の面が炙り出されるのではないかと不安に思ったが、何も罰されることもなく、それは自分の中で消化不良を起こし続けることになった。

 

これからは違う環境で生きていく。

元々、ポニヨに自分が必要とされて一緒に働いていたわけではないけれど、なんとも不思議な感覚だ。

ある意味でタフなメンタルを強みに、ポニヨは今後もしぶとく生きていくのだろうと思う。

生き方は人それぞれにあって、正解はあるようでないし、解釈次第で如何ともなる。

 

いや、そもそも一緒に仕事をしていたときも、同じ環境に居るからわからなかったが、別の人生を歩んできたと見た方が良いのかもしれない。

長年に渡って親しくしていたり、よく知っていると思っている人でも、自分以外は別々の人生を送っている。

その行きつく先を自分でコントロールすることはできず、人それぞれの生き様がぶつかり合った要所要所で、人それぞれの人生の結末があるだけ。

頭ではわかっていたことだが、ようやく腑に落ちたような気がする。

それに気付くことができていれば、一向に深まることのなかったポニヨとの関係も、負担に思うこともなく済んだのかもしれないと思う。

ましてや必要以上に苦しめようとしなくて済んだはずだ。

しかし、反省したところで時間を取り返すことはできない。

なのに、これまであったことや話したことが次々と思い出されてくる。

 

久しぶりにポニヨと会ったとき、はたして自分の顔はどんな風だっただろうか。

こんな事態に至ったのは自分の力不足のせいもあると、ギリギリまで謝りたい気持ちでいたけれど、結局、自分は逃げてしまった。

ポニヨには、欺瞞に満ちた顔に見えたかもしれない。

 

それがいまの自分のすべてであることに変わりはなく、これからどうするかが問題なのだが、果たしてどうすればいいものかはわからない。

見当もつかないまま、時間ばかりが過ぎて行く。

このままでは良くないとわかっているのに、ありのままを許してほしいと望む自分が汚らわしく思えて仕方がない。

でも前を向かねば。

 

ポニヨはこの春から実家に帰って仕事を探すそうだ。

自分はこれまでと同じ環境でも、違う生き方を探らないといけない。

35歳も過ぎてこの体たらくぶりとは、正直予想外のことである。

他のみんなはどんなもんなのだろうか。

同じ尺度で測ることはできないと身をもって知ったばかりなのに、気になってしまうとは学びがない。

 

ちょっとこのままでは、自爆して挫けてしまいそうな気がする。

昔のように同じ失敗だけは繰り返さないようにしたい。

 

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(ポニヨにあげたワイン。好きな緑色のラベルの白ワインにした。バランスという名前もメッセージ的で良い。)

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(ワインを買って会社に行ったらモノ好きだねぇ、と言われた。)

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(ポニヨにもらった餞別の品。自分みたいにメッセージが込められているのかも、と思ったけどわからなかった。)

 

 

#ポニヨ、会社辞めるってよ

#クレームでも提言でもなく