ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ボタニカルホモ日誌 20180708

七夕の夜、思いもよらずに彼の人から飲みに行こうと誘われた。

蒸し暑い夜にキリッと冷えたハイボールは、ブラックニッカだけれどとても美味しく感じられた。

あと一杯で帰ろう、もう一杯だけにしよう、と言いながら気分良く飲んでいたら、閉店時間の3時になってしまっていた。

二人とも酔っ払いながら、トボトボと帰っていたら朝焼けの空が広がっていた。

明日の昼は水泳教室に行くのだがこんな酔ってて泳げるだろうか、と思いつつ寝るも、気持ちが悪くなって起きた。

久々の嘔吐。

日が昇るにつれて高まる気温と蒸し暑さから汗が止まらないが、胃が何も受けつけない。

予備で買っていた経口補水液を飲む度に吐いてを繰り返し、こんなんで泳ぎに行っても断られると思って、キャンセルの連絡をする。

吐ききった後にシャワーを浴びて、ふたたび横になって寝る。

暑い。

ベランダの鉢植えに水をやらないとマズいと思うのだが、しかし起き上がる気力もない。

他人の命を預かる身分として情けない、と思いつつ、気づいたら寝てしまっていた。

目を覚ましたのは夕方に差し掛かった頃で、部屋に入り込む日差しで起きた。

寝汗で首元がぐっしょりだが、だいぶ気持ち悪さも抜けた。

起きてベランダの様子を見ると、案の定、葉をカラッカラに萎れている方々が多数いた。

慌てて水遣りに励む。

水をやると植物から葉の匂いがパァーっと立ち上がってくる。

いい匂いなのだが、この匂いをかぐととても申し訳ない気持ちになる。

生命の危機を感じた時に、葉から匂い成分を発する習性があるらしいのだ。

虫に喰われた時、伐採された時、天敵が嫌う匂いや液を自ら出すことで身を守っているらしい。

(って、前も書いたかもしれない)

水遣りをすませて、二日酔いの疲れからぐったりしつつ、ベランダの縁に座って鉢植えの様子を眺める。

だんだんと萎れて丸めていた葉がシャキッとしてくる。

復活するのにも体力が必要だろうに、無駄な力を使わせて申し訳ないな、と思う。

ぼんやりの眺めていたら、ジャボチカバ氏にひとつ実がついていた。

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茶色い若葉もすっかり緑色になって、だいぶ元気が良さそうだ。

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よく見たらアセロラちゃんも実をつけていた。

緑色をしているから気づかなかったが、熟す前に採られないようにするためだったりするのだろうか。

この一週間は雨もあったし気温も落ち着いていたからか、一時期の高温で成長を止めていた植物たちが復活していたようだ。

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ポップ氏も花芽をもった蔓を新たに伸ばし始めていた。

まだ花芽をつける秋には早いのだが、夏が早く来てしまった分、仕度を早々に始めてしまったようだ。

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これ↑はイタリアン唐辛子さん。
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これ↑は韓国唐辛子さん。

芽が出揃って本葉も出てきた。

もう少し大きくなったら間引かないといけない。

正直、間引きすることはあまり好きではない。

唐辛子の場合、放っておいても弱いものから萎れていって全滅することはなく、間引かなくても強いものだけが残ってくれる。

けれど、その競争を彼らにやらせることこそが酷なことに感じられて、なんだか気が引けたりもするのだ。

手元で育てるからこそ、始末は自らの手でつけたいと思う。

そう思ったときにふと、いま西日本で被害を大きくしている豪雨の様子を思い出した。

自然の脅威、と言ってしまえば簡単なのだが、自分で始末のつけられることなんてほんの少しのことだけなのだ、ということをぼんやりと思った。

崩れた山の環境や、土砂に流された田畑が復旧されるには、それなりの時間と人手を要する。

急場しのぎで復旧させても、土壌づくりは一からやり直しになるのだろう。

しかも台風の季節はこれからなのだ。

そもそも被害の復旧自体が、被害が確定してからでないと施すことができないのが何ともツラい。

これ以上、被害が大きくならないようにするためにできることがあれば良いのだが。

昨晩は七夕の夜に浮かれてしまっていたけれど、語り合うべきことは他にあったのではないかと後悔してしまった。

西の空を見れば、夕陽に陰る富士山の形が見える。

富士の向こう側の様子は明るいように見えるが、実態はそうではない。

せめて助けを必要とされたときに、それを自分が施すことができるよう、準備しておきたい、そう思った。

自分への慰めにしかならないのだけれど。

 

#ボタニカルホモ日誌 20180708