ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#清々しいまでの性生活 #クレームでもなく提言でもなく #記憶の中の『伯林漂流』

随分と間を空けてしまったが、8月に観た映画の感想の続きです。

その映画にタイプの子が出演している、という下心満載の理由で、お盆直前の暑い夏の日に早起きをしてまで観に行った、かの同性愛ピンク映画の件であります。

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(上映会場にあったフライヤー。背景の緑が真夏。)

感想の前半については、下記リンクをご参照くださいませ。

別に読まなくても大丈夫だけど、読みたい方は読んでいただけると幸いです。

http://bat-warmer.hatenablog.com/entry/2018/08/11/183333

 

以前は、映画に描かれる物語についてはネタバレを気にして書くことができなかったのですが、今回、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思います。

ソフト化も再上映されることも、今後あまり無さそうな内容なので、本当は夏の上映企画が終わったら書き上げようと考えていたのですが、グダグタと書き連ねていたら年末の頃になってしまいました。

しかものんびりしているうちに、この年末に再上映の企画が決まったようです(めでたい🎉)。

詳しいスケジュールは下記URLをご参照ください。

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http://www.shiroari.com/habakari/Tokyo_BerlinDrifters201812.html

 

ということで、特に年末の上映企画に行かれる方は、この後の文章はネタバレを大いに含んでいるので、読み進める前によくよく御検討ください。

正直、この記録をいま公開することに躊躇いはあるのですが、個人的に年内のうちに整理しておきたい事案でもあるので、勝手ではありますがブログに上げておきたいと思います。

※然るべき所から「それは書くな!」という指摘があれば訂正しますので、なんなりとお申し付けください。

ま、そうは言っても貧弱な文才と鑑賞力の自分が記すことですので、かなり見落としはあるはずです。

そして、後に書き連ねていることは映画の批評云々ではなく、あくまでも映画を見て把握したことの記録であり、また感想文よりかは観察記録に近い書きっぷりです。

なので、理解づらい部分は多々あると思われることをあらかじめお断りすると共に、ご容赦いただきたい次第です。

そもそも読んでる人なんて少数なので、心配するだけ笑われそうな予感もします。

あくまでも、そう言う建前で書きました、という意図を汲み取っていただけると嬉しいです。

(気になるようであれば直接質問してくださいね。)

 

それと、ここからはほぼ言い訳なのですが、すでに映画を観てから3か月ほど経っているので、内容のディテールまでは正確に記すことは諦めています。

絶対的自信のある記憶にも誤りが含まれるだろうとは思うので、是非ともご自分の目で確かめていただけると幸いです。

先ほども書きましたが、この年末に再度上映される機会がありますので。せっかくですので。

自分も改めて鑑賞させていただく所存です。

しかしあまりにも時間を置きすぎたと反省はしています。

自分はそんなに頭の良い人間ではないので、元々内容を咀嚼するのに時間をかけたい方なのですが、この映画を観た後は、しばらく興奮状態が続いていたので、クールダウンの時間を要したようです。

感想の続きを書こうにも、いろんな言葉が自分の過去の記憶と入り混じっては、脈絡もなく書いてしまいそうな勢いだったので。

物語のディテールを書き表すにも、自らの視点から切り出すわけだし、そもそも個人的な見方をしているわけで気にする必要はないんですけどね。

ただこの場は面白おかしく書くブログにしたくないこともあり、自分のことを出来る限り偽りなく書き記したいと考えていたら、こんだけの時間がかかってしまいました。

けれど、ちょっと間を置いたおかげで、あの鑑賞直後に気道を圧迫されたかのような、胸をパンパンにしてきた気持ちや言葉や記憶は、自然とふるいにかけられたような気もします。

おかげで自分の中で一番琴線に触れた部分というか、自分がこの映画から何を得られたのか、掬い上げることができたのかもしれません

いやいや、「掬い上げる」と言っても、その中は如実混在をしていて、決して明確な「何か」が残ったわけではないのですが。

それは、今でもいろんなものが絡み合ったものでもあるし、その時々によって違った形を見せるもので、明日になればまた少し形を変えるもので。

例えていうならば、浴室の排水溝の網目に引っかかって残る頭髪や体毛みたいなもので 、小まめな清掃を怠っているうちに、石鹸垢やカビと絡まっては見る度に形を変えるような、そんなイメージに近いです。

これが絶対的な原因!です!と決めつければ決めつけるほど、うさん臭さが漂うし 、意気った感じが見苦しく見えてきて嫌なんですよね。

安易な感じがして。

なので、自分のことを疑いながら書き記した次第です。

まだまだ腑に落ちていないところもあったりするのですが、しかし自分の最大公約数的なところまではまとめられたとは思います。

(もうかなりヘトヘトなので、後は年末に観て修正します)

 

※ご注意※

以下よりネタバレを含む内容になっています。

デスマス調も終わりです。

配給元HPでは公式のあらすじが読めます。

http://www.shiroari.com/habakari/bd/BerlinDriftersJ.html

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記憶の中の『伯林漂流』

 

この映画に出てくる人物たちは、外国からベルリンに来た人物ばかりだ。

みなそれぞれ理由は違えども、何かしら自分の人生を考えてベルリンまでやって来たようだった。

主人公のコーイチは、ベルリンで遊学をしている様子の40代後半から50代前半の男性。

特に毎日のように仕事をしている感じでもなく、現地のバーで知り合った友人などと、外国の地でもそれなりのコミュニティーを築いているようだ。

随分と気ままな暮らしをしているように見えるけれど、表情はどちらかというと鬱々としていて決して明るくはない。

時折、彼のスマホにしきりに鳴る着信には一切出ようとしないところを見るに、発信元の誰かから距離を置くべく、訳ありでベルリンに来ていることが伺えた。

その主人公の元に居候するリョータは、アプリで知り合った恋人を追って、東京からベルリンまでやってきた二十代後半から三十代前半の若者。

わざわざベルリンまで会いに来たのに、一晩寝ると相手の部屋を追い出されて途方に暮れていたところだった。

振られて追い出された後、リョータはヤケを起こしたかのように現地のバーの地下にある”暗闇”で、複数の白人に掘られまくる。

外国の地で頼りにしていた"恋人"に捨てられた上に、外国で泊まる場所さえなくなるという結構なピンチな状況にも関わらず、セックスができればそれだけで幸せなの!とでも言いたげなほど、リョータは思い切りのいいセックスをしていた。

偶然、同じバーに遊びに来ていたコーイチは、白人に掘られながら恍惚な表情を浮かべるリョータを、野次馬の一人として目撃する。

コーイチが事後のリョータに声をかけたのは、単なる日本人のよしみからだったのかどうか。

とりあえず、リョータの魅力に惹かれた部分があったのだろう。

リョータが恋人に振られてバーに流れ着くまでの顛末を明るく語ったのち、行くところが無いのだと打ち明けると、少なからず下心のあるコーイチは、断り切れるわけもなく、自分の部屋に迎え入れることになった。

"何か"から逃避するためにベルリンに来ているらしいコーイチと、ベルリンに到着した早々に夢の破れたリョータは、こうして同居することになる。

同居といっても、二人は部屋に到着すると早々に、さも約束していたかのようにセックスをし始める。

コーイチは当然の流れであるかのように、リョータの唇を吸い寄せ、二人は互いの身体を重ね合わせては全身への愛撫を繰り返す。

その様子はまるで、長年会っていなかった恋人同士がやっと再会できたかのような激しい熱情を伴ったセックスで、深い吐息と互いの身体にまとわりつく体液が発する光と音が、二人の淫乱さを観ている側にも伝わってくるかのようだった。

けれども、二人は先っき知り合ったばかりで、互いのことなどよくは知らないのを忘れてはならない。

おそらくは、特に好き合ってもいないはずだ。

リョータにとっては宿賃の代わりに身体を差し出しただけだし、コーイチも若者を弄ぶことに何の執着もない様子だった。

それなのに、かくも濃厚なセックスができるのはどうしてなのか。

有無を言わさずリョータの身体を貪るコーイチと、それをリョータは表情を火照らせながら受け入れる。

単に暇を持て余したからであって、体裁を整えるためだけのセックスは、ヤってもヤらなくてもよいセックスでもあるように見えた。

それは、自然の流れでのことではあれども全く必然性のないセックスとも言える。

こうして会ったばかりの中年男性と若者の性交は、仲睦まじくも互いに深入りすることなく平和的に催された。

見ている自分は、てっきりこのまま「同居」から「同棲」に昇格するのかと思わされたが、二人の生活は、そんなつまらない自分の予想に反して展開されていくことになる。

まず、同居を始めた翌日から、リョータは早速アプリで新しい恋人を探すようになった。

連日のようにリアルをしてセックスを繰り返しては、コーイチの部屋に帰ってくる。

この間 振られたばかりだというのに、どうやら本気で新たな"恋人"を探しているようだった。

コーイチはそんなリョータの外での様子を知りつつも、毎晩リョータが部屋に帰ってくると、宿賃代わりと冗談半分に断ってはセックスを求める。

初めのうちはコーイチも、そんなリョータの行動を半ばどうかしていると思いながらも、最初は大人の素振りで理解を示していたようだった。

家主と居候の経済的な上下関係が、そのままセックスのポジションと同じだったのは、心情ではなく関係性にこだわっていた現れなのかもしれない。

そんな二人のセックスは、リョータがその日にリアル相手と致してきたセックスを、コーイチがヒアリングしながら再現プレイする、というものだった。

それはコーイチにとって、リョータを理解するためのことでもあったし、リョータに理解があることをアピールするためのことでもあったのだろう。

しかし、リョータの気持ちを引き寄せるほどの魅力が自分には無いということに、セックスを繰り返す中で感じてもいたようだった。

リョータが外で致してきたセックスの記憶を、せっかく自分の存在で上書きしたところで、次の日には別の男によってまた上書きされてくる。

そのうち、コーイチは自己嫌悪のような嫉妬のような行き場のない不満を、次第に抱くようになっていく。

身体は交わっているのにも関わらず、想いは常に一方通行であるようで、リョータの若さに中てられたコーイチの悲哀に、見ている方も心がヒリヒリとさせられる。

あくまでも身体だけの関係であることを前提に、大人の遊びのつもりのセックスも、傍から見る限りは大人げなさで満点。

若いリョータを弄ぼうとどんなセックスをしようが、リョータの気持ちはコーイチに向くことはなく、外の新たなリアル相手に向いたままだ。

割り切った気持ちから始まった関係なのだから、それは無理もないことだし、コーイチも心の底からリョータのことが好きなのかというとそうでもない。

だから、執着する必要もないのだけれど、嫉妬やプライドが邪魔をするのだろうか。

コーイチの大人げなさは助長されるばかりで、いつしかリョータの奔放な振る舞いに耐え切れなさを示すようになる。

しかし一方のリョータは、コーイチの自分に対する感情を全く意に介する様子を見せない。

その振る舞いが若さゆえの意気がった志向によるものなのか、元来の性格による奔放さなのかはわからない。

リョータにとって、コーイチとのセックスは居候の御礼でしかないし、外でセックスをしてくるのは「運命の人」を見つけるための不可欠な手段だと割り切っているようだった。

倫理的かどうかというのは問題ではなく、自分の満足のいく生活のためには、セックスの相性は一番の重大事項だと思っているかのように、男を取っ替え引っ替えしてヤリまくるリョータ

そんな一見 破天荒なポリシーも、スクリーン越しに繰り返し見ていると、次第と合理的な考え方にも思えてくるほどだった。

 

こうしてコーイチとリョータの間では、利害は一致しつつも何かが噛み合わないまま、文字通りの「身体だけ」の関係を続いていく。

なにも約束が無いからこそ、表面的な諍いも何もなかった。

しかし、リョータはついに新たな"恋人"のオランダ人の男性と出会うと、少しずつコーイチとの関係が変化していく。

リョータはオランダ人男性とリアルする頻度は増え、デートからコーイチの部屋に帰ると、リョータは嬉々とした表情で"運命の人"への想いを語る 。

コーイチも初めのうちは、この間振られたばかりだというのに何が"運命の恋人"だと、無邪気に話すリョータを嘲笑いながらも大人の振る舞いで聴いていた。

しかし、コーイチに一切の気を遣うことのないリョータの様子は、コーイチを邪険にしているようにも見えた。

コーイチにとっては、自身がリョータの運命の人になり得ないことを宣言されているのも同然のこと。

我慢ならなくなったコーイチは、リョータを「いい加減だよ」と説き伏せる。

しかし、"建前"の関係を徹底するリョータには、急に叱責してくるコーイチの真意は理解できない。

むしろ、理解に値しないものとして笑って流し、コーイチの感情をフォローすることなく、また「運命の恋人」の元へデートに出かけて行く。

無邪気におしゃべりをしていたリョータが出て行くと、同じ部屋とは思えないほどに静かになった。

そのシーンとした部屋でひとり、コーイチはついぞ表に出してしまった己の感情に後悔と羞恥の気持ちで苛まれる。

若者を弄ぶつもりが、逆に利用されていたと気づいたかのような敗北感。

リョータにはコーイチが完全に取り付く島もない様子は、ただただ哀れな姿だった。

しかしそれでも、コーイチはその晩もリョータが帰ってくるのを待ち、互いに吸い寄せられるかのように二人はセックスをはじめる。

けれど、その日のセックスはいつもと少し異なるもので、いつもはタチ役のコーイチがウケ役に回った。

リョータが”新しい運命の人”とヤってきたセックスを再現することに違いはないのだが、これまで関係性にこだわっていたコーイチの理性を、感情に任せて解放した瞬間のように見えた。

いまでも自分は、その晩のサックスの終わりにリョータがコーイチにかけた言葉と表情が忘れられないでいる。

「コーイチさんってウケもできるんだねぇ。もっと早くしてあげればよかったねぇ。」

そう声をかけるリョータの声は社交辞令的な響きを持って、薄ら恐ろしく感じられるものだった。

そしてその表情もまた、人の弱みを握ったかのような薄ら笑いが浮かんでいるように見えた。

セックス中の高揚感からそういう表情になっていたのかもしれない。

しかしそれは、リョータの心の機微には一切触れることができないことを、予感させるのには十分な言葉だった。


そう言われたコーイチも色が急に冷めたのか、「もういい」と言って、逃れるようにリョータの身体を引きはがす。

己の感情を解放したところでリョータへの気持ちが届かないのだと、諦めた瞬間のように見えた。

そんなセックスの後、リョータにかまうことをやめたコーイチの気持ちは、リョータに会う前のように、またベクトルが定まらなくなってしまったようだった。

朝になると、リョータは昨夜のセックスのことなど全く気にする様子もなく、にこやかに「運命の人」の元へ出かけていく。

それを眺めるコーイチの目は、何も見えてないかのように虚そのものだった。

空っぽになった心を持て余すかのように、また静かになった部屋で一服しながらぼんやりと過ごす。

するとスマホの着信音が、また部屋に鳴り響く。

これまでは頑なに出ることはなかった着信に、コーイチはすべてを観念したかのように電話に出て応える。

相手はベルリンに来る前に、日本で別れた元彼だった。

ベルリンの空港に着いたところなのだという。

急な展開に戸惑いつつも、空港へ迎えに行くコーイチ。

話を聞くと、元彼がベルリンまでやって来たのは、コーイチの父親が倒れたことを知らせに来たのだという。

何度も鳴らした携帯の着信も、それを知らせるためだった。

年老いたコーイチの両親には、海外にいる息子へ連絡を取るのが難しかったのか、他に為す術もなく元彼のことを頼ったようだ。

早く着信に出ていれば。元彼のことを許すことができていれば。過去のことから逃げなければ。両親への気遣いを怠っていなければ。

いろんな"たられば"の感情が湧いてきては、コーイチは、自分がベルリンに来た理由を空虚なものに感じはじめたようだった。

この間のリョータとのことを忘れるためにも、その感情を加速度的に大きくさせたのかもしれない。

どうしてベルリンまで来たんだっけ?とコーイチが理由を振り返ろうとすると、回想シーンが一挙に展開し、過去の出来事の大体が説明される。

コーイチにとっては思い出したくもなかった記憶であろうことは、簡単に見て理解することができたし、スマホの着信にも出なかったのも十分に納得がいった。

 

※ご注意※

ここから更にネタバレになります。

 

仲睦まじい関係だった二人が別れたのは、元彼の度重なる浮気とセックスによって、HIVに感染したことがきっかけだったようだ。

いろんな見た目やステイタスの男を相手に、元彼がセックスしていく様子が、ポジションやプレイも代わる代わるにスクリーンに映し出されていく。

こんだけヤッていれば何かしらの性病に感染するのも無理もない、と思わせるほどに、十分な回数と相手の数だった。

むしろコーイチと付き合っていながら、よくぞこれだけセックスする時間を作れたもんだと感心してしまうレベル。

コーイチもHIVに感染しているのかどうか、明確には描かれていなかったが、感染に至るまでの経緯を元彼には聞いていたのだろう。

それらはコーイチが日本から遠くのベルリンまで漂流するのに十分な理由のように感じられたし、リョータのことを凌辱するようにアナルを掘り上げていた理由にも、通じているように感じられた。

元彼のことなど忘れることもできず、そして許すこともできないまま、残ったわだかまりに悶々としていたコーイチ。

ハッテン場で白人に回されているリョータを見たときには、きっと元彼とダブって見えたのだろう。

コーイチの言動や振る舞いが、過去の出来事と距離を置くためのことでもあるのに、ひとつひとつ紐付いているのが気の毒に感じられてくる。

ベルリンでの遊学も、コーイチが過去に執着している限りは、狭い世界に閉じられているばかりだった。

 

元彼が手配していたベルリンのホテルについて、両親の病状と様子を聞き終えると、コーイチはベルリンに居る間の時間を取り戻すかのように元彼とのセックスに興じる。

そのセックスはリョータとのそれとは異なり、荒々しさの一切ないセックスだった。

元彼を再び受け入れることで、ベルリンにたどり着くまでの過去の出来事をすべて許したのかもしれない。

もしくは受け入れないといけない頃合いだと思ったのだろう。

 

もはやコーイチにベルリンにいる理由はない。

借りていた部屋に戻ると急いで荷造りをし、部屋を明け渡す支度をつける。

借りていた部屋も家具や家電は備え付けだったようで、最低限の私物を処分をすれば良かった。

後の処理をベルリンの友だちに頼んでしまうと、あっという間に帰国の準備が済んでしまう。

翌朝の便で帰国するチケットも、元彼が手配して取ってくれた。

リョータは昨晩も”運命の人”の所に泊まったらしく、部屋に戻ってきた気配がない。

物がなくなって生活感の消えた部屋で、コーイチが元彼と過ごしていることに、よそよそしさと不自然さが画面いっぱいに伝わってくる。

こうして二人の同居生活はリョータ不在のままに終了する。

あんだけセックスをしていたのにも関わらず、何の契りも交わしていないおかげで、その関係の終わり方は呆気ないものだった。

最初からこういうことになるとわかっていたようでもあり、いつでもそうなるように仕組んでもいた結果でもあった。

不完全でいることの期待は裏切られても浅い傷で済む分、何度切りつけられようが我慢してしまうことはありがちだ。

試行錯誤と言えば聞こえはいいが、ねらいや目標が定まっていない限りは、ただ現実に埋もれないように悶絶しているだけで変化も見込めなかったりもする。

映画の二人と同じように、目的や理想は定まらないままに、いろんな人の思惑に影響されては、自分の意思とは異なる方向に状況が移り変わっていくのだろう。

なにかしらの理想を得ようと別の環境に踏み出したとしても、当初の覚悟は状況次第で簡単に揺らいでしまう。

そんな二人の人間劇は、見ている自分にも十分に通じるもので、自分の過去を振り返ってはため息が出てくるばかりだった。

成り行きに身を任せるのも、それ自体が成り行きなのだ。

なにかを悟ったような態度や度量の深さなども、何かの出来事で変化してしまうほどに脆いものであるらしい。

そんな風に考えては、ついつい自分以外の何かに動かされているように錯覚してしまう。

しかし大体のことは、自分と誰かとの間の出来事のせいなのだ。

普段、見聞きする世の成功譚も、まるで最初からわかっていましたと言わんばかりの語り口だったりするけれど、よくよく読み直してみると後から正解にしようと努力した結果だったりする。

鬱々と上の空で過ごすのも、刹那的に欲望のままに過ごすのも、自然と仕組まれたことなどなく、自分や誰かしらの思惑が働いた結果なのだと思う。

「伯林漂流」というタイトルにあるように、この映画の物語は、自分の身を置く場所だけでなく、夢や理想、プライド、黒歴史、恋人、セックス、いろんな要素がどっちつかずで定まることなく漂流していく。

面倒なことは有耶無耶にすることで気楽に生きているようだったが、実のところは、見たくないことに蓋をするのに躍起になる様子が描かれていたように思う。

それは、わかりやすいドラマチックな展開が仕組まれてはいないし、ただ時間だけを消化していくための出来事のようにも見えるけれど、そこに描かれる人間劇は普段の自分の暮らしと重なる部分が大きい。

こうして物語に引き込まれてしまったのは、自分が同族の人間として、登場人物たちの境遇がどうなるのか、好奇心と興味が刺激されただけではないと思う。

 

映画の最後、日本に帰国したコーイチは父が入院する病院へ見舞いに行く。

そこには穏やかな表情で息子の帰りを待つ両親の姿があった。

とある言葉をかけられて、コーイチの漂流は終わることになって映画の物語も終わる。

この終わりが一時的なものかどうかはわからない。

けれど、関係性にこだわっていたコーイチが、素の自分を見せて終わる様子は、とても素敵なエンディングであった。

自分の思い通りのセクシャリティで生きていたとしても、"ある個人"として地に足をつけて生きなければ、生来の自由は得られないように思えた。

それはたぶん、自分の置かれた状況をあまり良くは思っていないせいかもしれない。

もしもまたこの映画を観る機会があれば、できることならば NOT FOR MEの映画として、動じずに観ることができたらとは思う。

けれど、そういう人間に魅力を感じるかというと、感じられないのだから話は厄介だ。

もしやすると、自分は選り好みしすぎなのだろうか。

関係性に閉じることなく、足枷になることをも人間としての重しにしなければ。

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推敲をしても長くなるばかりなので、ここら辺で終わりにします。

この映画を観た人と、いつか感想を交わせる機会が持てたらと切に願います。

 

#清々しいまでの性生活

#クレームでもなく提言でもなく

#記憶の中の『伯林漂流』