#ゲイと東京から遠く離れて 3日目(午後)
約束の時間の10分前には着いてしまいそうだったが、どこかで時間調整をしようにも目的地はもう目前だった。
そのまま目的地のユタ神様の家へ向かうことにする。
なんだか島時間には一向に慣れそうにはないなぁと思いつつ、細い道幅の門口を曲がると、ちょうどユタ神様が家から出て来られていて、もう準備しているから入りなさいと呼ばれてしまった。
御宅の前にある駐車スペースに車を停めて、意外な展開に慌てて身支度をする。
ただの偶然かもしれないが、前回も同じように絶妙のタイミングで出て来られたことを思い出して、ゾクゾクっとしてしまう。
お話しした内容は詳しくここには書かないが、たいがいは1時間ほどの予定なのに、毎度、気づくと3時間ほど話をしている。
そうは言っても8割方は互いの近況の話をしており、霊的体験ができたかどうかというと、頭に疑問符が浮かぶことの方が多い。
同僚曰く、常に”降りている”状態にあるわけではなく、素の時が混じるのが普通らしいので、降りている状態が無い方がそこまでの心配がないことなのだろう、 と軽く受け止めるようにしている。
個人的には霊的体験云々のことよりかは、島の暮らしの実情を文化的背景からも伺うことに重きを置いている。
先方には、島の外の人間が島の文化に興味を持つことを面白がってもいただいているのか、毎度、いろんな話を聞かせていただけるので、この縁は出来る限り大事にしたいと考えている。
この島のユタ神様らは、宗教団体のような組織があるわけではないようなので、その分付き合いやすさがあるように思う。
この例えが適切かどうかに自信はないが、民間で自営の神職、という感じと言えば伝わるだろうか(無理か)。
サービス業ではなく修行者に近いので、会えないときは会えないらしいし、言われたことを信じれば救われる、ということでもないようなので、なかなか言い表すのに難しい。
教祖と信者という関係でもないし、一対一の対等な付き合いに近いと思うのだが、実際は人にもよるのかもしれない(鵜呑みにされるべからず)。
ちなみに、この方には自分が同性愛者であることはまだ伝えていない。
自ら話すべきことなのかどうか、わからなかったことも大きな理由のひとつだが、そもそも相談すべきことだと思ってもいなかったのだ。
ユタ神様との会話から推測するに、今のところはそう"見られている"様子もない。
結婚はどうするのか、とか、子どもを産んでもらうにはのんびりはしていられない年齢よ、とかそういう方面の話題が出てくるから、まだ気づかれてはいないようである。
まぁ、気づかれているからこそ、そういう話が出てくるのかもしれないのだけれど。
ただ、自分が想いを寄せている人がいるのは"見えている"ようで、以前お会いした時にはいろいろ言い当てられてしまっているから、半分は開き直ってお話をしている。
正直、すべて見破られた末に罰当たり者と罵られることも覚悟していたのだが、その相手が同性であることまでは見えないようでちょっとだけ安心している。
自分の暮らしの様子は「神様」が教えてくれるそうなのだが、その「神様」は性別までは事細かに伝えていないようなのだ。
性別の解釈は俗っぽいレベルのことで、重要視されないのであったら、神様ってのも粋なお考えをされているな、とは思う。
いまのところは、ね。
だから、今後、お会いして話を交わしていくうちに、どういうことになるのか心配にならないわけではない。
自分の想いを寄せる人が同性だと判明した場合、果たしてどういう展開になるのだろうか。
毎度、結婚や子育ての重要性を説かれたりして、割りと保守的な考え方をされているようなので、面倒なことにならなければ良いのだが、と若干ながら不安には思う。
ただ、島出身の同僚によれば、それらの話は別に保守的な家族制度を良しとしているからではないのだという。
家族をつくり、子育てをすることを通じて、人間は人間として成長することができる、と考えられているがために、なるべく諸々の経験をすることを良しとしているからなのだそうだ。
それを聞いてからは、あまり不安を抱く必要は無いのかもしれない、と思えるようになった。
そうすると、これまで毛嫌いしてきた神道のあれこれも、意外と悪いことばかりではないのかも、などと思えてくる。
古くからの慣習や考え方も、本来は人間的な成長のための方策のひとつと考えれば、そこまで無碍にもできない。
いま流行りの行動対処療法みたいなものに近いのだろう。
いずれにせよ大切なのは、解釈の工夫であることには違いない。
その一方で問題になるのは、人間としてどう在るべきか、ということだ。
模範となる答えなどなく、自分の思う限りの在り方が問われている。
おそらくは心理カウンセラーとの面談でも同じようなことになると思うのだが、自分の深層心理を炙り出そうとする度に、人間的な核の無さが露呈するようで、自分で自分にドギマギとさせられてしまう。
直接的な回答を求められることでもないのだけれど、人間としての有り様をどう見られるのか、逆に自分はどう見られようとしているのかを問われても、いまの自分には如何ともしがたい。
多くのことは有耶無耶にしている自覚もあるから、余計に気まずい思いをするだろう。
むしろ、自分の負の部分を指摘された方が楽なのに!と思うほどである。
けれども、指摘されたところで問題が自然と解消されるわけではない。
今回もその曖昧な覚悟みたいなものを内々に突きつけられたような 、そんな時間になった。
ただ、それも成長のためには必要なことなのだという。
悩みや苦労を自分自身で知らなければ、他人のそれを知ることもできない、という理屈らしい。
おそらくは「救い」というのは、困難を解消して"もらう"というものではなく、困難を解消”する”術を得ることなのかもしれない。
救いの手を差し伸べるかどうかは自分次第、ということか。
そういう意味では、そういうことを有耶無耶にしてこられた自分は、随分と甘やかされた環境で育ってきたのかもしれない。
一連の拝礼を済ませて、お宅を出ると雨は止んで、夕日に照らされて空気が黄色っぽく紗がかかっていた。
お宅は高台にあって、市街地に近い港の様子が一望できる。
海の色はグレーがかった紺色に靄っていた。
足元に目を移せば、お宅の庭で育てられている南国の植物が、雨露に濡れて葉が重たそうにうなだれている。
まだ3月だというのに鬱蒼と生い茂る緑は、黄色に照らされる空気をまとって濃い緑色の塊のように見えた。
雨雲の隙から差し込む日差しを貪欲に吸収しようとしているのか、鈍色がかった緑は明度を落とした色を放っている。
(ドラゴンフルーツの樹)
(コーヒー豆が立派に熟していた)
車に乗り込んで、見送りに出ていただいたユタ神様に「お元気で」とご挨拶すると、夕飯はどうするのかと尋ねられて、一人でも入れる美味しいお店を教えてもらった。
そこは観光情報誌にも載っている有名店で、有名すぎるのを嫌厭して行ったことはなかった店だった。
観光客も地元の人も区別なく同じお店に行くのは、やはり面白い島だなぁと思った。
ただ、開店時間までは少し余裕があったので、来た道を戻ってタラソテラピーのプールでひとっ風呂浴びてから行くことにした。
今度はいつユタ神様と会うことになるのだろうか。
決められていることは何ひとつない。
自分がこの島に求められることもないだろうし、その時ってのはまた自分がこの島を求めるときなのだろう。
それは東京に居づらくなった時なのだろうか。
できれば逆のことを報告しに訪れたいものだけれども。
#ゲイと東京から遠く離れて 3日目(午後)