ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ラジオを聴いてメモに残して #「盛り」の科学と歴史

ラジオ(主にTBSラジオ)を聴いていて印象的だった話をメモっていきます。

文字起こしより緩い感じ。備忘のためです。

聴くより読んだ方が早いしね。

でも聴きながらスマホのメモにメモしたヤツを、ほぼそのまま載せます (読みづらい)。

 

今日のメモは、

アフター6ジャンクション 特集:「ニッポン発のビジュアル文化『盛り』とは何か」特集

 

「盛り」を科学する研究者 久保友香さんがゲスト。

本屋で平積みされていて目次に目を通しただけだけど、とても面白そうな話だったからラジオで聴けるのは有り難い話だった。

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(ラジオはラジオクラウドから聴いてみてください。)


そもそもは日本人の美意識を数値化しようと、浮世絵作品のデフォルメ具合をプログミングして分析研究していたらしい。

しかし盛りに盛られた女子高生の自撮り画像を見て、これもデフォルメだし、当人たちにヒアリングもできるしと「盛り」の研究をはじめた。

 

「盛り」とは何かと端的に言うならば、
デジタルツールを用いて、実際とは大きく違うビジュアルをつくること。
美人になることやモテることよりも、そもそもはコミュケーションを円滑にするためにやっていたことで、世界で日本の女の子たちだけが「盛り」をやっていた。
シーンが広がったのはここ5年ほどで、日本では女の子たちが20年以上前から。
同じ型やフォーマットの中で個性や差異を見せ合うことで、コミュケーションを円滑にしてきた。
西洋ではInstagramが出てくるまでは、コミュケーションを図るには、コミュニティを重んじる感覚が盛り上がらなかった。


インターネット上に流れている「盛り顔」を数値化してみると、ほとんど同じになった。
見た目も同じなのだから、当たり前の結果。
だけど女の子たちの当人に聴いてみると、「個性」のためにやっている、と答えられた。
数値化したら同じになるけれど、数値化できていない差異がある、ということに気づいた。


「盛り」という言葉は2002年ぐらいに使われ始めた。
雑誌メディア発信ではない。
女の子たちが使っているのを取り上げられた。
渋谷の女子高生サークルの間で発行されていた、同人雑誌が最初のようだ。
当時、ポケベルが広まり始めたころで、インカレの高校生コミュニティが都内ででき始めていた。
コミュニティはそれぞれのサークルごとに、見た目がイケてることの基準が異なり、その基準や価値観が同じ子たち同士が集まっていた。
しかし校則があれば、髪の色や化粧が難しい場合が多かった。
なので、プリクラで見た目を変えられるのは画期的だった。
しかもプリクラはシールになっていて、「プリ帳」と呼ばれるアルバムを各自が持ち、友だち同士でプリクラを交換したり見せ合う習慣が生まれた。
そうすると、プリ帳を介して自分の姿を映した画像が拡散して広がっていくことになる。
それに気づいた女の子たちは、プリクラへの映り方にこだわりを持つようになった。
この伝播されていく自分の姿へのこだわりが、「盛り」に通じていくことになる。。


でか目の技術は2006年ごろに始まるが、最初は控えめだった。
テクノロジーが進化すると、どんどん目が大きくなった。
アイメイクのみのテクニックが注目されたりした。
つけまつげとカラコンは雑貨だから、ネット通販で取り扱いやすかった。
見た目も整いやすくキット化していた。
つけまつげとカラコンの商品はたくさんあり、個人によって使う商品が異なる。
つけまつげとカラコンは「型」で、その型を用いた上で「個性」をつけ加えるのだが、その差異は見分けがつきにくい。
しかし、見分けがつかないのは同じ基準のコミュニティに属してないから。
「似ているけど同じではない」に良さがある。


「美」は普遍的、「イケてる」は瞬間的で変動する。


「盛り」はモテるためではない。
誰よりも楽しんでいる雰囲気を残したい!という想いが強かった。


プリ帳は、ガラ携が普及すると持ち歩かなくなった。


携帯の画像の解像度が上がると、プリ帳でのやり取りは一気にデジタルネットワーク上に移行した。
スマホの登場から、プリクラでは顔だけだったが、アイテムを含めて写して加工する対象が増えた。
そもそも、顔を見せたくなかった層にまで広がった。
古来より素顔を見せたくない心理がある。


個人のすべてを曝け出して共有しようというSNSのねらいは、日本の女の子は「盛って」スルーしている。

海外の人たちは、自撮りで姿を盛ることは少ない。

しかし、海外の人も私生活での料理やアイテムを「映え=盛り」で撮りはじめた。
日本の女の子たちは、「盛り」の価値がわかる人だけに共有していて、コミュニティを制限している。
Twitterは開かれすぎていてウケなかった。
文字だけでは価値基準の異なる人たちを入り込んできてしまうのが良くなかったようだ。
Instagramはビジュアルありきだったから、ビジュアルの良さを共有できる人だけで、閉じたコミュニティを作り上げることができた。
言葉を介さないので世界に閉じたコミュニティが広げられたのも良かったらしい。


いまは自撮りはダサいと言われている。
自撮りで撮れる構図は、ガラ携の時代の名残りに見えるようだ。
自然体を映すことを良しとされていて、他撮りが
だから撮影してくれる友だちが重宝される(シャッターくん)。
友だちとの写真では自分だけ盛れているのは御法度。
互いに盛れてる顔の角度が合うという理由で友だちになってたりする(映えトモ)。
オルチャンメイクは韓国では主流ではない。

韓国ではスノウ顔が良しとされて、整形するのが普通。

あくまでも日本の女の子が考える韓国っぽいメイクが流行っている。
「盛り」はモノづくりに近い。

 

ビジュアルによって閉じたコミュニティを形成したがる、っていう見方はしたことがなかったけれど、これは中年男性の自分でも身に覚えはあることだな、と思いました。

女子高生ほど露骨ではないけれど。

あと、Twitterが女の子にウケなかった理由は、なるほどなぁと思ったし、面倒で不快なものは使わない!という潔さが若くて良いなぁと思いました。

 

 

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#「盛り」の科学と歴史