#クレームでもなく提言でもなく #清々しいまでの性生活 #ROCKETMANを観て
今日から公開の映画『ROCKETMAN』を観た。
エルトンジョンの半生と、そこで創り出された曲を題材にしたミュージカル映画だ。
Queenのフレディーマーキュリーの伝記的映画『ボヘミアンラプソディー』がヒットしてから間もないし、目新しさもない企画の映画ではある。
実際、監督も同じこともあって、演出のテイストはほぼ同じだったように思う。
フレディーマーキュリーとエルトンジョンの境遇も、よく似ているが故にストーリー展開も似たり寄ったり。
イギリスの労働者階級の家庭で育ち、両親は子どもの音楽的才能に理解は無く、性的マイノリティであることに思い悩む。
メジャーミュージシャンになるとド派手な衣装を着て、私生活ではアルコールとドラッグに溺れ、恋仲だったマネージャーに裏切られ、世間からのバッシングを浴びる。
けれど、心身ともに破綻していく一方で、枯れない才能と類稀なカリスマ性のおかげで、二人とも世界中にいるファンを魅了し続ける。
自分もそのファンの一人だ(ちなみにどちらも知ったきっかけは金髪先生だったりする)。
だから、ついこの間観たような映画だけれど、この『ROCKETMAN』の公開が楽しみで仕方がなかった。
実際に観たところ、たしかに似てはいたけれど、『ボヘミアンラプソディー』の方は「伝記映画」でストレートプレイのつくりで、方や『ROCKETMAN』はファンタジー要素の濃い演出が目立つ「ミュージカル映画」だった。
映画『LALALAND』を観たときと似たような高揚感に近い。
エルトンジョンの半生を描くストーリーは、彼自身の曲を織り交ぜながら展開し、多くの出演者たちが情感豊かに歌い踊る。
往年のカラフルな英国ファッションや、エルトンジョンのド派手なステージ衣装で、画面は色彩に溢れて、多彩な音で紡がれるメロディで濃密な映画体験だった。
田舎育ちの見た目も冴えない少年が、ピアノで王立音楽院の奨学生になって神童として期待され、作詞家のバーニーとの運命的な出会いを経て、ロックミュージシャンとして一気にスターダムへ駆け上がる様は、疾走感に溢れて特に刺激的だった。
これまでの自分とは違う、スーパースターとして世に認められる物語。
けれど、終始ハッピーな映画かというとそうではない。
むしろ真逆。
音楽家としてのテクニックで悩む場面は全くない。
全編を通して描かれるのは、エルトンジョンの抱えていた孤独感と愛への渇望についてだ。
その様子をまざまざと見せられ、途中、あまりの重さに映画館から逃げ出したい気持ちで胸がいっぱいになった。
不仲の両親には一切愛されることもないまま大人になり、作詞家のバーニーは共同制作者として唯一無二の存在として互いの才能を認め合っていたのに、彼はノンケだから恋愛関係になる願いは叶わない。
初体験の相手から恋仲に発展したマネージャーにはビジネスに利用され、馬車馬のように働かされた末に捨てられる。
家系的な遺伝で髪の毛は薄くなっていくし、小太りの体型へのコンプレックスはいつまでも解消されない。
ビジネス的な成功を得ていく中で、自分の思い通りにならない寂しさを感じては、生活は派手になっていくばかりで、アルコールとドラッグとセックス漬けの日々を送ることになった。
エルトンジョン自身も、派手な生活が良いなどとは思ってはいないのだけれど、本来の自分には戻りたくはない、という拒否感があるが故に後戻りはできなくなっていく。
「エルトン・ジョン」という名前は芸名で、古めかしい「レジナルド・ドワイト」という本名を捨てることで、見た目も冴えず親からも愛されない子どもから、生まれ変わるために付けられたのだった。
そもそも本来の自分から逃れるために、いろんな成功や富を手にしてきたのだけれど、その行いはすべて自分が何者であるかを見失うことでもあったのだ。
しかし、富と名声を得て生活が荒れていく中でも、天性の才能は失われることはなかった。
作詞家のバーニーは、振る舞いが派手なるばかりのエルトンジョンを非難する歌詞を書いて渡すのだけれども、エルトンジョンがそれに曲を付けると名曲に仕上がってしまう、という皮肉なエピソードもある。
『goodbye, yellow brick road』という曲なのだが、自身を非難する内容の歌詞に、これだけ叙情的なメロディをつけてしまうエルトンジョンの才能には圧倒されるばかりで、凡人には理解し得ないところが多い。
それだけの創作意欲を湧き立たせるまでに、バーニーの書く詞には力があるのだろう。
しかし一方で、個人的な感情をよそに、己の才能を抑えられないというのも、自制心が欠落しているという面で辛いことだと思う。
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※ここら辺の話は、町山智浩氏がDJ宇多丸さんの『アフター6ジャンクション』の映画批評コーナーで詳しく話しているので、下記のリンクをご参照くださいませ。
※映画を観に行く前に読むのもおススメ。
※類い稀な音楽的才能があるのに、どうしてエルトンジョンは歌詞が書けなかったのかの理由など。
※歌の創作背景を併せて知ると、より好きになってしまうカラクリがあるように思う。
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嫌だ嫌だと思う内容の歌なのに、傑作を生み出しては世間から賞賛を得てしまうのだから、自律神経に欠陥が出るのも無理はない。
チグハグさが過ぎるのだ。
そんなエルトンジョンが抱き続けた葛藤に、自分は同情ではなく共感を覚えた。
愛されたい人に愛されないことの寂しさに押し潰されそうになることはよくあるし、それでこの世の終わりだ!と落ち込んでいても、日々の仕事を淡々とこなしてしまう程には冷静だったりする。
誰か人を好きになる時にも、周りからどう見られるかを気にしては計算したりしなくもない。
こういう気持ちとは裏腹な振る舞いを、自分の理性だと言うには、幼稚というか少々未熟なことのように思うから、あまり言及もしたくはないのだけれど。
社会人としての常識や最低限やらなければならない義務、将来の夢や目標、それまでの地道な努力やネゴシエーションとか、
自分のやりたいこととは異なることに、追い立てるように日々をやり過ごしては、本来の「自分」を見失っていくような感覚は自分にもよくわかるのだ。
SNSを眺めるまでは知らなかったことなのに、まるで身近な事案として、怒ったり笑ったり欲望を刺激されたりで忙しなくなることも多いのだが、自分は何のために、わざわざ他人様のことで己の感情を震わせているというのか。
考えれば考えるほど不毛に思えてくる、そんな感じ。
映画のパンフレットには、次のようなインタビューに応えるエルトンジョンの言葉があった。
エルトンジョン自身、大体の人とは違う特殊な人生を歩んではいるのだけれど、彼の悩みは「自分らしい生き方って何なんだ」というシンプルで人並みな悩みだったりする。
だから自分も共感することが多分にあったのだろう。
自分も同じ性的マイノリティであるから、とか、そういうことではなく、他人同士がその生い立ちや才能、巡り合わせの違いに目を向けることで、自分自身に素直に向き合える。
己の自律神経は他人の存在があって初めて整うものなのかもしれない。
そういえば昔から、自分の思うようにいかない場面に遭遇しては、卑屈な感情に身体がこわばると、自分を慰めるかのようにエルトンジョンの歌を思い出していた。
悲劇のヒロインである自分を演出するようで、ちょっとした防衛本能なのだろうが、あまり褒められることではないなと思っていた。
だけどいまは、自分を守るためのことというよりも、心が折れないように支えにしては、バランスを取っていたのだろうと思う。
ただ、「本来の自分」なんて素敵なワケがない。
自分なんて、生来の負けず嫌いが祟って他人との諍いは絶えないし、人見知りなくせに見栄っ張りでお調子者で、類い稀な才能なんて無いのに地道な努力を嫌うから、いつまでたっても人間的に未熟で尊敬されたり懐かれることは少ない。
不摂生な生活をすればすぐに身体は緩むばかりだし、理想の体型はあっても願うばかりでトレーニングはいつまでも先延ばしになる。
後ろめたいことがあれば、そりゃ表情が明るくなるわけがない。
できれば、そんな内面と外面のコンプレックスなど無かったかのように見せたいし、端から向き合いたくもないのだけれど、それを許すと漠然とした虚無感に押し潰されるのだ。
誰からも好かれるように自分を押し殺すこともせず、逆に、誰からも愛されなくとも平気でいられるように覚悟する必要もない、ニュートラルさを理想とすべきところなのだろうか。
少なくとも、"自分でも理解できない自分"というモンスターは、セルフネグレクトでスクスクと育てられるもののようだ。
そうならないようにするには、正直にならないといけないらしい。
映画の冒頭で、ド派手なステージ衣装を着たままメンタルクリニックのグループセラピーに参加して、中毒患者であることを告白する場面のように。
演技ではあるのだけれど、本音の告白のように見えて鳥肌がたったし、一気に映画の世界に引き込まれていった。
告白の内容が過激だからではなくて、彼が本当の自分に向き合う瞬間の場面だったからだと思う。
心と身体、その恥に思うことさえも曝け出せるほどの正直さが、今の自分にあるかというと無い。
自分には映画になるようなパーソナリティはないけれど、いつか愛されたい人に愛されるときがきても、黒歴史な出来事も隠さずに振る舞えるようでありたい。
それと、多くの人の間に共通する「人並みな問題」について、悩みを軽くしてしまうような、そんな作品がいつか自分も作れたらと思う。
AmazonMusicを検索したら、エルトンジョンのベストアルバムと映画のサウンドトラックが聴けるようになっていた。
サウンドトラックでは、映画で使われたエルトンジョンの曲を、インストから全て映画用に録音し直していて、主演のタロンエガートンや出演者が歌っている。
オリジナルとは異なる映画用の尖ったアレンジで聴きごたえがあるので、聴き比べるのも楽しいかもしれない。
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