ウォンバットの黄金バット

いろんなバットちゃんです。

#ゲイと東京から遠く離れて 4日目(正午)

黒糖の味を噛みしめつつ、あれやこれやと考え事をしていたら、車はあっという間にファミレスに着いてしまった。

駐車場に車を停めてると、決めるべきことが何も決められていないじゃないかと、しばし頭の中が真っ白になる。

もう時間もないので、ハァッ!と気合いというか勢いで決める。

製糖工場に寄り道してしまった分、ゆっくりする時間は無くなったし、ファミレスはやめて隣のホームセンター内にあるフードコートで済ませることにした。

フードコートと言っても、食堂と言った方がその趣きは近い。

店舗はブルーシールとその食堂の2店舗しか無いからである。

そうは言っても、決して寂れた雰囲気があるわけではない。

ショッピングモールの派手さはないが、いつ来てもお客さんで賑わっている人気店であったりする。

ここの食堂は、これまでも何度か利用したことがあるのだが、大してメニューに特色が無いのが特徴という感じ。

それが逆に良くて、定食やうどんにそば、丼ものとカレーなど何でも出すような、昔ながらの食堂という趣きでとても落ち着くのだ。

ただ定番のラーメンは無く、代わりにちゃんぽんがあったりする。

そういう隠しきれない島らしさが、少しだけ垣間見られるのがとても面白い。

ちなみに、島出身の同僚が言うにはちゃんぽんが美味しいとのこと。

店内のサービスコーナーに隣接する飲食エリアに入ると、たしかにちゃんぽんを食べている人が多かった。

距離的にはかなり遠い九州ではあるが、この島もその内のひとつなんだな、と気づかされる。

席を押さえてから、列に並んで順番を待ち、ちゃんぽんの注文と会計を済ませる。

小と普通と大盛が選べたのだが、黒糖を食べたばかりでもあったし、他のお客さんが食べているどんぶりも大きく見えたので、控えた方が良いさそうだと小を注文してみた。

食券の代わりに番号の書かれたしゃもじを渡される。

食券としては、デカすぎるしゃもじに愛嬌を感じつつ席に戻る。

客席には観光で来ている人は少なく、ホームセンターに買い物にきた島の人たちが、昼食に立ち寄っている様子だった。

ちゃんぽんを食べている人も多いが、焼きそばを食べている人も多い。

美味しいのだろうか。

それとも単に焼きそばが好物な人が多いのだろうか。

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(食券札代わりのしゃもじ(本物))

そうこうしているうちに、しゃもじの番号が呼ばれたので受け取りに行く。

ちゃんぽんの小でーす、と言われて差し出されたどんぶりを見るとかなりデカかった。

どんぶりの大きさは小と言うよりかは普通サイズだし、量も大盛りと言った方がしっくり来るほどの圧巻のボリュームだった。

正直言うと食べたいところを我慢して小サイズにしただけに、うれしい誤算となった。

野菜も魚介も肉もたっぷりで、あっさり塩味のスープもかなり美味しかった。

これはまた食べたい、とスープまで飲み干しつつ満足感に浸った。

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(次は普通盛りと大盛りも頼んでみたい)

それと同時に、数時間後にはこの島を離れるのだということを、急にリアルに感じられてしまった。

帰りの飛行機の時間に間に合うように、と今日一日ずっと意識はしていたのだけれど、リミットが近づいたというか、なんと言えば良いのだろうか。

おそらくは、次にこの島に来た時のことを考え始めたからなのかもしれない。

しかし、かといって名残惜しさが出たのかというとそうでもない。

極論を言えば、貯金が無いわけでもないのだし、毎週のように来たって良いのだ。

逆に「いつだって来られる」という心持ちが、東京へ帰るモチベーションにつながっているような気がした。 

その分、スペシャルな何かが欠けてしまったように思えたりもするけれど、この島での身のこなし方を習得できてきた証なのかもしれない。

知らないことに対して適切な振る舞い方を覚えつつある、というか。

しかし、それは自分の暮らす東京であっても同じことだ。

「知らないことを知らない」と「知る」ことで、人の行動範囲ってのは広がっていくのかもしれない。

この世で知らないことなどいくらでもある。

それなのに、これまでつつがなく生きてこられたのは、その「知らないこと」を糧にしてきたからなのだろう。

逆に言えば、得体の知れぬ不安というのは、既知のものがそうでなくなることに感じてしまうのかもしれない。

彼の人が不機嫌になるのを自分が恐れるのも、どこか自分に都合のよい存在として扱ってしまっているからなのだと思う。

30代半ばの年齢になっても、独り善がりな考えに悩むことになるとは、なんとも情けない話だ。

けれど、そういうことを省みることができてよかったとは思う。

東京からは遠く離れたこの島で、惰性のままに雑に積み上げてきた固定観念を、一度崩して積み直すことができたのだと思う。

まだまだ途中だけれども。

ちゃんぽんの器をカウンターに返却し、店に出て駐車場に停めた車に乗り込む。

隣接するガソリンスタンドで返却前の最後の給油をする。

給油後の車は若干身体を重そうにしつつも、加速の勢いを取り戻したようだった。

滞在中、何度も往復した宿までの道のりを戻るのも、今回の旅では最後になる。

外の景色を眺めていても完全に見知った感じではあったが、少しだけ初夏の気配が色濃くなっているように見えた。

たった数日しか経っていないのに、本当だろうかと自分の感覚を少し疑ってみた。

実際に起きた変化なのか、それともただの気持ちの変化のせいでそう見えるだけなのか。

2、3日の間の変化なんて、東京にいると感じることもないのだが。

視界には入っているのに気づけていないことなんて、普段からたくさんあるのかもしれない。

その分、自分は何を見ているのだろうかと不思議に思った。

しかしながら、やはり一人で旅をするのも大概にした方が良いのかもしれない。

たった一杯のちゃんぽんを食べただけで、己の生き様を見直し始めるとか大袈裟が過ぎるだろ、と笑えてしまった。

 

#ゲイと東京から遠く離れて 4日目(正午)