#ゲイと東京から遠く離れて 2018年大晦日
ここ数年、年越しはひとりで過ごしている。
別にひとりがよいからそうしているのではなく、結果的にひとりになってしまっているので、我ながら寂しいことだとは思っている。
しかしながら、今年はかの人とは特に約束も取り付けなかった。
ゆっくり休みの取れない仕事をしているので、年末年始の休暇をアテにして毎年のようにお誘いをしてきたのだが、いつも余裕が無いと断られてばかりなこともあり、さすがの自分でも今年は学んだのである。
その一方で、今年は自分の都合的に大掃除と年賀状づくりがギリギリになってしまったので、誘う余裕など本当になかったことも理由のひとつだったりする。
早く終われば大晦日のうちに実家に帰ろうかとも考えてはいたのだが、その目論見は割りと早い時点で崩れ去っていた。
頭の中でスケジュールをやり繰りしても、人と会う時間など少しも割けそうにはなかったのだ。
しかし、姉が入院している間、ずっと疎かにしていた家事炊事の宿題事項は、おかげさまで年末の忙しさの勢いに乗って片付けることができた。
だから結果オーライではあるのだけど、こうなった経緯を考えると、来年こそは少し落ち着いた状態で年越しを迎えたいと思った。
出し残していた年賀状をポストに投函し、数日に渡って取り組んでいた大掃除を終え、年末年始の買い出しを済ませ、御年賀用の餅ついてのし餅をつくり終えると、案の定、年越しの30分前ぐらいだった。
(およそ1ヶ月の間、咲いてくれていたガーベラもさすがにくたびれてきたしまったので、大掃除のタイミングで片付けさせてもらった。)
(つきたての のし餅、ビニール袋に入れて伸ばすとカビにくい)
慌ただしく過ごしていたおかげで、いろんなことが頭から離れてはいたけれど、振り返ってみれば、やはりひとりで過ごす年越しは楽しいもんではない。
かの人の仕事も落ち着いただろうか。
気にしたくはなくてもSNSで関係ないところから、なんとなく様子を伺えてしまうのが如何とも具合が悪い。
その日の夕飯は、つきたて餅を少しだけ納豆餅にして食べた。
年越し蕎麦にしようかとも思ったのだが、ひとり分だけ作るのが億劫だし、新年は「細く長く」より「熱く粘りよく伸びよく」過ごしたいと思ったのだ。
なにより餅はつきたてが一番美味い。
(塩トマト、スカイベリー、エビスビールと焼き豚風ハム、そして納豆餅。赤色ばかりなのは特に意図はない。)
(いつものデパ地下の八百屋にて、タイムセールで半額だったので買ったスカイベリー。大粒で酸味が少なくそして甘い。)
ラジオからは、ラジオ深夜便の年越し特別番組の放送が聴こえてくる。
アナウンサーの厳かな声の響きによって、部屋の中にもしんしんと雪が積もってくるかのようだ。
食べているものは熱く粘りと伸びのよいものではあるが、部屋の空気は硬直していたように思う。
自分しかいない部屋も東京にあるのだろうかと疑わしく思えてくる。
外を見ても暗い街が広がるばかりだ。
久々に晩酌をしたせいか、早々に眠くなってしまったので着替えて布団に入って寝ることにした。
明日は朝のうちに実家に帰えらなければ。
#ゲイと東京から遠く離れて 2018年大晦日